第2話「旧校舎の噂」

「夕花は例の噂を聞いた?」

「噂?」

 昼休み、図書室の窓際の席で本を読んでいた私に、夜娃華がそう訊いてきた。

 夜娃華の方を見ると、彼女は窓を開け、桟に腰掛けながら本を読んでいた。

「坂口さん、そんな所に座ったらスカートが汚れるんじゃ」

「どうでもいいでしょう、そんな事。それよりも、夕花はあの噂を知らないの?」

 心底どうでもいいように言った後、微笑みを浮かべながら夜娃華はいつもの細い声で「あの噂」とやらについて訊いてくる。

「さぁ。私、噂とかに疎いから」

 小学生の頃から特別仲の良い友人のいなかった私は、クラスメイトの話に付いていけないという事が多かった。だから夜娃華の言う噂というのも、いったい何の話をしているのかサッパリ分からなかったのだけど、私は特に気にしていなかった。何故なら、

「そう。それなら、聞かせてあげましょうか」

 表情は先程とあまり変わらないが、短い付き合いの中でも、何となく夜娃華の機嫌の良し悪しが分かるようになった。今は多分、機嫌が良い。

 夜娃華は自分が面白いと感じた事を人に話すのが好きなのだ。私以外に特に親しい友達がいるようには見えないから、余計そうなのかもしれない。

「うっ……」

「夕花? 急に目頭を押さえてどうしたの?」

「ううん……ただ、自分の状況を思うと少し悲しくなって……」

「よく分からないのだけれど、強く生きればいいんじゃないかしら」

「うん。本当にそう」

 友達のいないボッチ二人組が寂しさを紛らわせる為に集まっていると思うと、何だか目頭が熱くなってしまう。いや、今はそこはどうでもいい。

「それで、その噂ってどんなものなの?」

 私の言葉に夜娃華はまた微笑い、口を開く。

「ええ。これはクラスメイトが話しているのを偶然小耳に挟んだのだけれど、昨日の朝、担任の教師からお知らせがあったのを覚えている?」

「えっと、二年の先輩が行方不明になっているっていう話?」

「覚えているのなら話が早いわ」

 夜娃華の話をまとめると、こういう事らしい。

 何でも、二日前の放課後、部活を終えた生徒が旧校舎の前を通ると、無人の筈の建物の中から灯りが漏れているのに気づいた。

 不思議に思った生徒が近寄って、窓から中の様子を窺ってみると、その灯りはゆっくりと移動し、別の部屋へと向かった。

 興味を惹かれた生徒はその灯りの正体を確かめようと、旧校舎の玄関を開けようとしたが、鍵が掛かっており、仕方なく窓が開いてないかを調べていると、一つの教室の窓が開いていて、運が良いと思った生徒は、そこから中に入り、先程の灯りを探し始める。

 しかし灯りは見つからず、流石に不安になった生徒が帰ろうとした時、どこからか音が聞こえたらしい。

 風の音のようにも、動物の鳴き声のようにも聞こえる不思議な音は、どうやら地下室から聞こえるようだった。

 生徒はその地下室に入り、それから二日経とうとしているが、それ以降、生徒の行方が分からないという事だ。

「ちょっと待って」

「どうしたの?」

 夜娃華の話が終わった瞬間、私はすぐさま口を挟んだ。

「えっと、その人は行方不明になったんだよね?」

「ええ。大変興味深い体験をしているわね」

「坂口さんが興味深いかどうかはともかくとして、その話はおかしいと思うのだけど」

 人がいなくなった事を興味深いと言う夜娃華はどうかと思ったけど、今はそれよりも気になる事が話の中にあった。

「どうして行方不明になっている人の行動がそこまで詳細に分かっているの?」

「ああ、そんな事」

 何故そんな事を訊くのか分からないと言いたげな夜娃華だけど、これは重要な事ではないのだろうか。

「そんな事って……この話自体が誰かが作ったデマかもしれないのに」

「ちゃんと根拠があるから、私は興味深いと言ったのよ」

「根拠?」

「これよ」

 言いながら、夜娃華はスマホを操作する。次の瞬間、私のスマホが振動し、何かの通知を受け取った事を伝えてくる。何かと思って見てみると、通話アプリに夜娃華からのメッセージが届いていた。

「これは?」

「百聞は一見に如かず。先ずは見てみる事」

 夜娃華の言葉に押され、私はメッセージを見る。それは見たところSNSへのリンクで、夜娃華の方を見てみると視線だけで先を促され、しょうがないと諦めた私はリンクに触れた。

「誰かのアカウント?」

 リンクの先は見覚えのないアカウントだった。まぁ、そもそも私はあまりSNSを使わないので、大体が見覚えのないアカウントなのだけど……。

「それ、行方不明の生徒のアカウントよ」

「えっ」

 言われて見てみると、プロフ欄には校名までは書いてないが、年齢は17歳と書かれているし、最後の投稿は二日前の20時04分となっている。遡ると、夜娃華の言っていた行方不明の生徒の行動が、数分おきに写真付き投稿されている。そして最後の投稿は、

「『でられないだれかたすけて』……」

「実況ってやつね」

 夜娃華は桟から下り、本を片付け、図書室から出て行こうとする。私も慌てて本を片付け、夜娃華の横に並んだ。

「何となく面白そうだったからSNSに様子を実況して、たまたま知り合いがそれを見て噂として広まったみたいね」

「これ、親とか先生は」

「知ってるんじゃないかしら。昨日から部活も休みで直ぐ帰るように言われてるし、捜索か、聞いた話だと、旧校舎自体の捜索は昨日の夜の時点で行われているみたいだけど、所謂、事件事故両方の可能性が疑われている感じかしら」

 夜娃華は面白そうにそう言った。もう直ぐ昼休みが終わる廊下は、まだ生徒の喧騒で溢れている。そして、まだ私には疑問があった。

「坂口さん、話はそれだけ?」

「これだけ――で終わると思う?」

 普段はあまり表情を変えない夜娃華が、誰が見ても分かる笑みを浮かべる。それはとても綺麗で、思わずドキリとするような笑みだけれど、私の鼓動が速くなる理由はそれだけではない。これは嫌な予感……いや、確信だった。

「今日、探しに行きましょうか」

「えと、何を?」

 無駄な抵抗だとは思ったけれど、私は尋ねてみる。

「行方不明の生徒――ではなく、旧校舎の謎を、ね?」

 再び笑みを浮かべる夜娃華に、私の心は抵抗出来なかった。

「……分かりました」

「ありがとう」

 夜娃華はズルいと思う。そんな顔を見せられると、私は何故か抵抗出来なくなってしまうのだから。

 そんな事を考えながら歩いていると、夜娃華のクラスの前まで来ていた。合同授業も無いから、次に会うのは放課後になる。

「じゃあ、坂口さん、また後で」

「夜娃華」

「え?」

 普通に挨拶をして去ろうとした私は、夜娃華の謎の発言に足を止める。

「えっと、何?」

「夕花はいつも坂口さんと言うけれど、前から言っているでしょう。私のこと、夜娃華って呼んでいいって」

「それはっ……えっと、その……」

 またその事か、と思わずにはいられない。

 夜娃華は苗字で呼ばれるのがあまり好きではないらしく、度々、苗字呼びする私に“夜娃華”と呼ぶように言ってくる。勿論、数少ない私の友達なのだから、名前呼びしたいという気持ちはある。というか、心の中ではそう呼んでいる。けれど、

「えっと、あの……や、夜娃……」

「うんうん」

「夜娃……ごめんなさいっ、やっぱり無理!」

「あっ」

 私はその場から急ぎ足で立ち去った。後ろの方で夜娃華が不満そうにしているのが分かるけれど、振り返らず教室に入り、教室中央付近にある自分の席に座って、腕の間に顔を埋める。

「私、どうしてこんな……でも、恥ずかしいし……」

 そう、恥ずかしい。いや、照れ臭い。夜娃華のことを名前で呼んで、夜娃華も私を夕花と呼ぶのを想像すると、顔が紅くなってしまう。こんなのは初めてだった。

 夜娃華はとても綺麗な人だと思う。若干癖のある私の髪と違って、手に取るとサラサラと流れ落ちる真っ直ぐな黒い髪や、こちらをジッと見つめてくる整った顔立ち。か細いけど、確かな意思を感じさせるような声。華奢で存在感が希薄なのに、それすらも彼女の魅力として映った。

 だから、そんな夜娃華と親しくなるのは、嬉しいと同時に、綺麗な容姿をした彼女に見惚れる自分が照れ臭いのだ。

「本当に、それだけだから……」

 そう自分に言い聞かせる私を他所に、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り、午後の授業が始まった。

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