第20話

 ヴァイオレットステークスの前のレースを観戦し、俺たちはパドックを見ることになった。


「あれ? バルベアボンドがいない……?」


 エンジェルの好敵手、バルベアボンドと戦うことになると思っていた俺は、出走馬の一覧を見て首を傾げた。

 俺のその様子を見ていたた愛子が補足説明をしてくれた。


「ペニークレスカップの前哨戦は他にもあるからね。また戦うことになるのは本番だね」


「そうなのか……良かったのか悪かったのか……」


「まあ今回はイオの腕を存分に発揮してもらうってことで」


 エンジェルは大外枠の8枠16番だった。愛子曰く、この競馬場だと少し不利な枠らしい。


「イオとミヤビエンジェルは初タッグだけど、無理に位置取りをあげなくていいって言ってあるよ。ミヤビエンジェルのスピードなら後ろから差し切る競馬も出来ると思うんだ」


「それは私が保証するよ。むしろ、加速がすごくて体が置いて行かれなければいいけど……」


 麗華は乗り替わり初戦のイオを少し心配するようにそう言った。馬に乗ったことがないのでなにが危ないのかは分からないが、DHOでもバランスを崩せば落馬事故が起こるらしい。


「うわ、また畠山ジョッキーがいる」


 出走馬のジョッキーを確認していると、トップランカーの畠山ジョッキーの名前を発見してしまった。

 ビオラ賞で三着に入ったマクレイランに騎乗するようだ。


「この人、一日何レース乗ってるんだ……?」


「一日30レースは間違いなく乗ってるだろうね。畠山さんもDHOの賞金とか、イベントの出演料だけで生活しているプロゲーマーだからね」


「良いなあ、俺もDHOの賞金で生活したい……」


 そんなことを話しながら出走を待っていると、ようやく出走を合図するファンファーレが鳴り始めた。


 芝2400メートルで行われるヴァイオレットステークスは、観客席の前を駆け抜けコースを一周してくるらしい。

 肉眼でも確認できる位置にゲートが現れているのを確認できた。


「エンジェルは一番人気だな」


「2歳長距離の王者だからね。期待が大きいのも当然だよ」


「なんか、自分が乗るときよりも緊張してきちゃった……」


 麗華は出走を控えてかなり緊張しているようだった。胸に手を当てて何度も深呼吸していた。


『ヒスイ競馬場にお集まりの皆様、まもなくヴァイオレットステークスの出走です。ペニークレスカップの前哨戦、本日は特別ゲストとして昨年電撃引退を発表した元ジョッキーの長瀬真司さんをお迎えしています』


『よろしくお願いします』


 実況の女性アナウンサーがそう言うと、会場内にどよめきのような歓声が沸き起こる。


「なあ、長瀬真司って……?」


「知らないの!? デビューから18年間リーディングジョッキーとして君臨し続けた天才ジョッキーだよ? まさかDHOで会うことになるなんて……」


 競馬に疎い俺は知らなかったが、どうやらすごい人物らしい。愛子と麗華はすごく興奮している様子だった。


『長瀬さん、DHOで騎乗したことはありますか?』


『いえ、まだ無いんですよ。ただ、実際の競馬とほぼ同感覚で馬を操れると聞いているので興味はありますね』


『ジョッキープレイヤーの方々はその内、長瀬さんと戦うことになるかもしれませんね。さあ、まもなく出走の準備が整いつつあります。一番人気は2歳長距離王者ミヤビエンジェル。ただ、ヒスイ競馬場では不利と言われている大外枠の8枠16番になってしまいました』


「大外枠で勝つことって少ないのか?」


「勝てないことは無いんだけど、人気馬がことごとく敗退していくから魔の枠、なんて呼ばれてるね。まあ、ミヤビエンジェルには関係ないよ」


「俺たちは応援するだけだな」


 そうして少し待っていると、発走の準備が整ったようだ。観客席は一瞬静寂に包まれる。

 

 間もなくして、ゲートが開き全馬が一斉に飛び出す。


『スタートしました! 各馬揃った綺麗なスタートです! やはり6番フヴェルゲルミルはスーッとハナを奪いに行きました』


「位置取りは……やっぱり後ろか」


 イオはスタート直後、他の馬の後ろを取って最後方に付けた。


「無理に前に行ってスタミナを使うよりは良いと思うよ」


『さあ、フヴェルゲルミルを先頭に正面スタンドを通過していきます。断トツ一番人気ミヤビエンジェルは最後方からの競馬になりそうです。長瀬さん、実際にDHOのレースを見てみてどうでしょうか』


『馬の動きもリアルで本当に現実さながらの迫力ですね。ジョッキーの皆さんも綺麗な姿勢で騎乗してますし、本当に驚くことばかりです』


「競馬関係者からの視点だとああいう感想になるんだな」


 俺なんか競馬を実際に見たことも無いからこれが当たり前だと思っていた。


「本当に長瀬さんがDHOをプレイする日も近いかもね」


 麗華はそう言ってにっこり微笑んでいた。ジョッキープレイヤーとして、良い目標になるかもな。


『さあ、バックストレートに入りまして、先頭は変わらずフヴェルゲルミル。3馬身ほど空きまして第二集団が続きます』


「……先頭までそんなに距離は無いよな?」

 

「そうだね。ミヤビエンジェルは最後方って言っても後方集団にピッタリくっついてるし、余裕で前に届くよ」


「不安要素はマクレイランだね。ビオラ賞の時も良い脚を使ってたし……」


 麗華は実際に戦ったことのあるマクレイランと畠山ジョッキーを警戒しているようだった。

 

『第三コーナーを通過して、残り800メートル、徐々に後方集団が動きを見せ始めています。一番人気、ミヤビエンジェルも馬群の外につけています。直線で一気に差し切ろうという態勢か!?』

 

 イオはペースを上げた後方集団の後ろにつけているが、やや外側に進路を取っていた。

 

『森崎ジョッキーはレースの流れをしっかり読めているようですね。あのまま内ラチ沿いを走っていれば、直線で馬群に飲まれる可能性もありました』


 長瀬ジョッキーはイオのコース取りについてそうコメントした。天才ジョッキーという長瀬ジョッキーに褒められるくらい、イオの腕は良いということだろうか?


『さすが元ジョッキーの長瀬さん。やはり着眼点が一味違いますね……さあ、先頭は残り600メートルを通過して直線に向かおうとしています! ここでミヤビエンジェルの鞍上森崎が仕掛けた!』


 イオのゴーサインに応えるようにミヤビエンジェルは後方集団を大外からまくり始めた。

 


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