第13話
「私、なんだか緊張してきちゃった……」
「え? 愛子が? GⅠレースなんて何百回と経験してるんじゃないのか?」
「そうだけどさ……麗華のGⅠ初制覇がかかってるからね」
「へえ……麗華ってまだGⅠ獲ったことないのか」
愛子は友達の分も緊張しちゃうタイプなんだろうな。あれ、でも俺の初レースの時は緊張している様子もなかったような……。気にしないことにしよう……。
『さあ、まもなく出走が近づいてまいりました! いよいよ、ファンファーレです!』
女性アナウンサーのその声を合図に、出走前に流れるファンファーレが流れ始める。
すると、大勢の観客が打ち合わせでもしたかのようにファンファーレのリズムに合わせて手拍子を始めた。
「この前は誰もやってなかったよな?」
「ああ、手拍子? DHOではGⅠレースのファンファーレに合わせてこうやるみたいだよ? 誰が始めたのかは知らないけど、一体感があって盛り上がるでしょう?」
確かにその通りかもしれない。みんな、笑顔を見せて楽しそうに手拍子を打っている。
そうしてファンファーレが流れ終わると、観客からは大きな歓声が沸き起こる。
『さあ、ファンファーレが終わりまもなく出走です。現在、各馬のゲートインが順調に行われています』
ドノティス競馬場はスタート地点を肉眼で見ることはできないので、俺は座席のモニターに着席して祈るように見守ることにした。
「……エンジェルはすんなりゲートに入ったな」
「大人しい子だからね。気性の荒い馬だとここで嫌がって体力を消耗しちゃうんだよね」
エンジェルが大人しい子で助かった。ゲートインからハラハラしないで済むからな。
そうして、全馬がゲートインを終えたところで、観客席は先ほどまでの歓声が嘘のように静寂に包まれた。
観客全員が、スタートを固唾を飲んで見守っているのだ。
「……たのむぞ、麗華、エンジェル」
俺の祈りと共に、ゲートは開かれた。
『スタートしました!!』
スタートと同時に観客席は大きな歓声が沸き起こった。
『全馬スムーズなスタートを見せました。一番人気、バルベアボンドはやはり後ろに付けます!』
「やっぱりバルベアボンドは最後方からの競馬なんだな」
「予想通りだね」
やはりGⅠの大舞台でも魅せる競馬をしてくるようだ。中森ジョッキーは相当の自信があるようだな。
『先頭集団から3馬身ほど空きまして、10番ミヤビエンジェルはここにいます。少し前に付ける形になりました』
先頭集団の4頭を少し離れた位置から窺う形でエンジェルはターフを駆けている。いつもより少し位置取りが前の方だ。
「なんで今回は前に付けたんだ……?」
「付けた、じゃなくて付かされたの方が正しいかな。他のジョッキーがバルベアボンドを意識しすぎて位置取りが後ろになってる。麗華はいつもと変わらないレース運びをしていると思うよ」
「ったく、あいつはあいつでしっかり実力があるんじゃねえか」
俺はスキルに頼るしかできないってのに。着々と腕をあげている麗華に少し嫉妬してしまう。
しかし、そんな彼女が俺の馬に乗っている。これほど心強いことは無い。
『後方集団に10頭以上集まっています。いつもより位置取りが後ろになっている馬が多いようです。先頭は1000メートルを通過しまして、残りはあと1400メートルです』
「……中森ジョッキーがいつ仕掛けてくるか怖いな」
「ジョッキーたちも気が気じゃないと思うよ。少しでも反応が遅れたら一瞬で置いて行かれるからね」
「ロケットエンジンでも積んでるみたいな加速だもんな」
前走のレースには俺も驚愕するしかなかった。あの加速がいつ仕掛けられるのか、それを窺うジョッキーたちは精神的にも消耗してしまいそうだ。
「後方集団の先頭にいるマクレイランって馬がいるでしょ? あれに乗ってるのがDHOナンバー10ジョッキーの畠山さん。彼もかなりの腕前だよ」
「上のレースは一流ジョッキーが集まるものなんだな……。まあ、うちには将来有望な女性ジョッキーがいるじゃないか」
「そうだね。麗華には中森さんを抜いてトップジョッキーになってもらわないとね」
そう言う愛子はとびきりの笑顔を見せていた。
『さあ、残り1000メートルのハロン棒を通過。先頭は2番フヴェルゲルミルですが、ペースはややスローペースと言ったところでしょうか。未だバルベアボンドは最後方、ここから先頭を捉えられるのでしょうか!?』
実況の女性アナウンサーは未だに動きを見せないバルベアボンドを見て焦ったようにコメントしていた。観客の中にもややざわめきが起こっている
「……!! 動いた!」
「ここで来るのか……早いな……」
モニターの映像がバルベアボンドに寄った時、微かに中森ジョッキーの手が動きバルベアボンドは位置取りを上げ始めた。
『さあ、ここでようやく中森の手が動きます! 徐々に後方集団に近づいていきました! 他のジョッキーもこれを見てペースを上げ始めました! 残り700メートルを通過して、先頭はもうすぐ直線に向くかというところです!』
「一気に戦況が変わったな……!」
後方集団がバルベアボンドにつられるようにペースを上げ、中団の馬群に詰め寄っていくのが確認できた。
「スローペースだったから前の馬群にいるエンジェルは有利な位置取りかも! あとは麗華がラストスパートをかけるタイミングだけだよ!」
「頼むぞ、麗華……!」
『さあ、先頭のフヴェルゲルミルが直線に入って残り550メートル! 後方集団からはかなり距離を保っています! ここで中森の手が動き、バルベアボンドがまた一段と加速します!!』
バルベアボンドはすでにコースの外を取る形で、後方から一気に追い込む体勢を見せていた。観客達もバルベアボンドの動きを見てどよめきのような歓声をあげた。
『さあ、先頭集団を追うように走っていたミヤビエンジェルもここで徐々にペースを上げます! しかし、後方からマクレイランも追い込みを始めた! あっという間にミヤビエンジェルの横に並びます!』
「うお……あの馬一瞬でエンジェルの横に追いついたぞ!?」
「やっぱり畠山ジョッキーもスパートのタイミングが完璧だね……。でも、ミヤビエンジェルはまだ余力を残してる! 大丈夫だよ!」
すでに俺たちは直線対決を肉眼で見るために、スタンドの手すりにもたれかかるように応援していた。
周りの観客の応援にもかなり熱が入っており、スタンドは腹を震わせるほどの大歓声に包まれていた。
『先頭のフヴェルゲルミル、逃げ切りを図りますが後方からミヤビエンジェルとマクレイランが追いかける! すでに先頭集団の2頭ををかわして3頭の対決になりました! バルベアボンドはようやく後方集団を抜け出したというところ! 流石にこれは厳しいか!?』
「……いや、そんなに甘くないよな」
「奇遇だね、私もそう思う」
あの馬がこのまま負けていく姿は俺たちの頭の中には想像もできていない。あの人馬には恐ろしいほどの加速をどこかで見せてくるはずだ。
『さあ、バルベアボンド! 後方集団から抜けて物凄い加速を見せているぞ!? あっという間に競り合っている3頭に近づいていきます! 残りは400メートルを切っている! ここでミヤビエンジェルに乗る長宝院の手が動いた!』
「よし! 抜け出した!」
今まで溜めていた脚を解放するように、麗華はエンジェルに一発鞭を入れた。それに応えるように、エンジェルはほかの2頭をかわした。
「あとは逃げ切るだけだよ!」
「さあ、リベンジだぞ麗華!」
『ミヤビエンジェルが抜け出しました! 必死にフヴェルゲルミルとマクレイランが追いすがりますが、後ろからバルベアボンドが飛んで来ています! 残りあと200メートル!』
GIの大舞台。先頭の4頭がそのタイトルを獲ろうと必死に走るその姿に、観客も総立ちで応援している。
「エンジェル、麗華、頑張れ……!」
必死に走るエンジェルや麗華の姿に、愛子は祈るようにそう言っていた。
「行け! エンジェル! 麗華!」
『さあ、バルベアボンドがマクレイランに並んであっという間にかわした! 残るは先頭のミヤビエンジェルですが、どんどん差が縮まっていきます! すでに並びかけている!』
「底力を見せろっ!! リベンジするんだろ!?」
今日こそ勝つんだろう!? ここで勝てなきゃいつまでたっても中森ジョッキーに勝てないぞ!
『残り100メートルでバルベアボンドがかわした! やはり強い……っ! しかし、内からミヤビエンジェルが再び盛り返した!』
一瞬バルベアボンドが先頭に立ったが、そうはさせまいと再びエンジェルが先頭を奪い返した。両者、一歩も譲らない接戦になっている。
2頭の叩き合いを見て、観客席のボルテージは最大まで膨れ上がり、割れんばかりの大歓声が沸き起こっている。
『さあどっちだ!? バルベアボンドか!? ミヤビエンジェルか!?』
「行けええええぇぇぇ!!!」
「頑張れー!!!」
俺も愛子も、我を忘れるように心の底から応援していた。コースから距離はあるが、ゴールの行方はしっかり肉眼でも確認できる。
『外からバルベアボンド、差し返すか!? しかし、ミヤビエンジェルも負けじと粘り込みを図る! 熾烈な叩き合い! 今、2頭が並んでゴールイン!!!』
その勝負の行方を見守った俺は、横にいた愛子と顔を見合わせた。結果は競馬場の大型モニターに映った麗華の姿を見れば一目瞭然だった。
『長宝院ジョッキーが拳を突き上げた! ドノティス・ビオラ賞を制したのは……ミヤビエンジェルです!』
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