第7話 謎の倶楽部  

 なんと、葵くんは僕が教育実習でお世話になった高校の生徒だった。

 実際には葵くんのクラスは受け持たなかったそうだけど……こっちに二週間滞在するにあたって、塾のバイト先(本部)に相談してこの県の姉妹校に雑務係としてちゃっかりバイトさせて頂いたのだ。その塾が今の職場になっている。

 葵くんは、そこの塾生だったそうで……。僕は陰で「渡ちゃん先生」と呼ばれていたのだそうだ。知らなかった。しかし十年以上前の、たった二週間しかいなかった僕のことをよく覚えていてくれたな……。嬉しかった。

 が、その一方でちょっと傷付いてしまった。

 「ね。昔の方が渋くてかっこよかったのに……センセ、丸くなられまして?」

 と葵くんに指摘されたんだ。

 はい、人間的にも身体的にも丸くなりましたよ……お蔭様で、ね。

 昔は肩肘張っていたというか尖っていたんだよ。色々と思うことがあって。ストイックと言うよりはだったな。三大欲求(食、睡眠、性)が生じなかった時期だったから……スレンダーだったのは確かだ。

 世間て広いようで狭いとはこのことなんだな……。

 僕は、もう一度気を引き締めようと思った。そうか、この県には多少の縁があったんだ。

 体は引き締められそうもない。下腹がそろそろまずいかな。うん、他人に見せる機会がないから気が緩んでいるのは確かだ。まだ大丈夫だと一応手触りで腹を撫でて確かめた。……微妙。



 『岬』の常連になったのかな、と自覚してから半年以上が経過した。初めて訪れてから十ヶ月は過ぎていた。

 もう少しでバレンタインデーが来るという頃だった。ある日、バータイムで珍しく客が僕しかいなくて……カウンターで葵くんの言うところの放置プレイ?状態で吞んでいたんだ。

 こういうのは嫌いじゃない。独り家吞みとは違う。傍に人がいるだけで、場所が違うだけで、何かが僕に安らぎをくれる。言葉がなくてもね。

 カウンター内では、基くんがいた。だけど、会話はなかったんだ。彼は何か仕事をしていたと思う。僕は意識していなかったので、分からない。ただぼんやりとアルコールに浸っていた。溺れるまでは深くなかった……ほろ酔い気分で心地よかった。

 おもむろに、基くんが僕の前にスッ、と名刺サイズのカードを差し出した。

「今日はこの話をするのに丁度いいかな。もう、いいかな、と思いまして」

 「えっ?」

 ショップカードだろうか。薄いグレー地に黒や紫の文字で何か書いてある。僕はそれを手に取り、読んでみた。

 「会員制倶楽部……? 『M only park』……?」

 会員制?倶楽部?って、え、Mって!?怪しい!怪しくないか?

「え……何、これ、なの!?Mだけ?ってこと?」

 基くんは自分から話を振った癖に、驚いた顔をした。

 「あれ、先生、の人でした?」

 「は?そっち、ってぼ、僕は違うよ!」そっち、とは?なんだ?

 彼は珍しく、参ったな、と頭を掻いた。え、こんな顔もするんだ……なんだ、いつもの仏頂面はポーカーフェイスだったのか?

 「……すみません。あくまでも俺のなんですけど。このMはメンズの意味なんですよ……」

 「え、メンズ……?」

 メンズオンリー、の、公園……広場か?

 僕は背中に緊張が走った。背筋がつられて幾分か伸びてしまう。メンズオンリー……会員制の倶楽部……?

 戸惑いを隠せない僕と基くん。彼は溜息をつくと「俺の勘は外れたことがないんだがな……」と呟いた。

 「勘?」なんの、とは怖くて聞けない気がする。

 「あの、ですね……いわゆる仲間内だけで飲み会やらイベントやらをやりませんか、というお誘いなんですけど……あ、コレがあったか。どうぞ」

 そう言ってカウンターの上に、小さなパンフレットみたいな小冊子を置いた。

 「可愛い……」

 表紙にはメルヘンチックなパステル画で夜の公園が描かれていた。

 「アイツの趣味なんで。俺の趣味ではないんですけど」

 ページをめくると岬のドアがまたメルヘンチックに描かれていた。文章と共に。

 



 カランカラン……と地下室のバーの扉を開けると音がする。

 一階のカフェではチリンチリン……の音。

 その扉を開けたならば、必ず野太い低い声を高めに作り上げた

 「いらっしゃいませぇ~ 」

がお出迎え。

 ……そう。こちらの店長はオカマなの。昼はカフェ、夜はバーの『カフェバー 岬』へようこそ。

 

 何の変哲もないふつうのカフェバーです。オカマバーでもゲイバーでもありません。ただのカフェバーです。


 ただ、店長がオカマで、オーナーがゲイというだけなのです。

 そこを除けばふつうのカフェバーです。皆様、どうぞごゆるりとお寛ぎ下さいね。


 ……えっ……?

 がばっ、と顔を上げて基くんを見上げた。基くんは僅かに微笑んでいる。僕はもう一度小冊子に目を向けてしっかりと文字を見つめた。

 ……オーナーが、ゲイ……?

 オーナーって、確か基くん……だった、はず。葵くんが店長で基くんがオーナーってことになっている、と……え?会員制って、まさか!?

 「君も……ゲイなの?」

 基くんが小さく拳を握って「っしゃ!」とガッツポーズを取った。

 「あ、えっと、その」

 自分からバラしてどうする!!

 基くんは前かがみになって、誰もいない店内なのに、小声で囁いた。

 「如何ですか、先生……参加しませんか。月千円の会費制なんですが」

 なんだ?悪だくみでも画策するみたいな勧誘の仕方じゃないか?その笑みはなんなんだよ……?つられて僕もおかしくなった。

 僕はふふっ、と笑って静かに頷いた。

 基くんは、注意事項は小冊子の最後のページに記載されているので、目を通しておいて欲しいと言った。

 「あ、それともうひとつ」 

 「え?」そんなに要注意が多い倶楽部なのか?面倒くさいな、と思った。

 彼はしれっと言い放った。

 

 「アイツは他人ごとには目ざとく敏感ですが、自分のことにはからっきし。超が付くほど鈍感ですから。ハッキリ言わないと伝わりませんよ、先生」


 それは……どういう意味が……。

 僕は声にならなかった。


 



 



 






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