第5話 僕の名は

 バータイムに何回かお邪魔して数日後、僕はカフェタイムに日曜ブランチを摂るために岬へ出掛けた。塾は日曜日も授業がある。僕のシフトは休日出勤指定が第三日曜のみなので他の日曜日はしっかり休める。その代わり、土曜日が流動的に他の講師と交代要員の待機当番で出勤する日がある。

 四月も下旬になると、ゴールデンウィークが近付くので世間が少しずつ浮き足立っていた。僕の職場は受験生がいるので年中無休だし、そんなに浮かれてもいられない。その間も授業がある。だから交代で休みを取る。

 僕は受験生を担当しない中高生の国語基礎クラス専門だ。だからお盆休みや年末年始休暇は案外取りやすい。その代わり、独身で家族もいないから(内縁の妻君はいるけど)ゴールデンウィークは受験生を受け持つ家庭持ちの講師らが休めるように、出勤するようシフトを組んでいる。

 受験生クラスに借り出される授業としては、漢字集中特別コースや現代古文文法集中コースくらいかな。『今年もやります、ゴールデン漢字百戦錬磨集中コース』。百選と掛けているのだろうか……。未だにネーミングセンスの理解に追い付けない僕である。派生語百選とのことらしい。


 天気がいいので僕は自宅から歩いて岬へと向かった。だいたい十五分くらいで着いた。

 ドアを開けると、チリンチリン、と地下のバーとは違うドアベルの音が鳴った。

 「いらっしゃいませぇ~。あら、嬉しい!こちらにもいらしてくださったのね!」

 葵さんの語尾にピンクのハートマークが見えそうだ。

 「……こんにちは……」

 店内にはお客さんが数名いた。皆さんが暖かい眼差し、というよりは苦笑いし「諦めな?」の視線を送っているのは勘違いではないと思う。

 うん、葵さんの強いパワーに引かれているのは僕だけじゃなさそうだ。

 引力の強い人なんだ。何故だろう。

 「ねえ、カウンターでいいかしら?お一人様?それともどなたかと待ち合わせ?」

 「いえ、僕だけです」

 こちらも店内は狭い。カウンター席はバーよりも席数は少ない。でも、丸いテーブルが中央にあって、その左右に長方形のテーブルが置かれていて、不思議な空間になっていた。丸いテーブルに何人でも座れそうで……葵さんに座らされそうな感じ。「相席で宜しいかしら?」なんて……。

 ハッ、と気付くと、葵さんが僕をじっと見つめていた。

 「あちらのテーブルの方がよろしくて?」

 「あ、いえ……こちらでいいです」

 椅子はバーのカウンター席よりも低かった。

 「いらっしゃい」

 横から基さんがぬっ、といきなり現れた。

 「こ、こんにちは」

「ちょっと基、急に出て来ないでよぅ、お客様がびっくりしちゃうじゃないの。そんなでかい図体してぇ」

 「驚かせてしまいましたか。申し訳ありません」

 「え、いえ大丈夫です」

 しかし大きな人だな。細いから余計に高く見えるのかな。

 葵さんが僕の前にお水とおしぼりを置いて、立てかけてあったメニュー冊子を開いた。

 「で?今日はお茶にする?それとも    ガチでお昼ご飯?」

 は?カフェなのにガチでご飯……?

 「ウチはカフェというよりは田舎の食堂に近いんです」

 僕の顔が疑問符仕様になっていたらしい。基さんが何故か少し恥ずかしそうに言う。そうか、お洒落なカフェというより、お茶も食事も両方イケる、ということか。そうだよな、今ここにいるお客さんは若い子じゃなくて、中年の男女ばかりだ。もしかしたら近所の人かも?と思った。

 「そうなんですか……僕は日曜日はブランチになってて、食事とお茶と両方頂きたくて」

 メニューに視線を落とすと、本当にカフェらしくなかった。ラーメンやうどん、蕎麦があれば普通の食堂になりそうだ。流石に麺類はパスタ止まりだな。え、でも丼系がある。カツ丼、親子丼、天丼?天丼でも海老天とかき揚げ天に分かれている。

 「ではもう少しでランチタイムになりますから、こちらの中からお選びください」

 時計をみると、十一時になるところだった。ランチタイムは十一時半から一時半まで。あ、その後で午後のお茶タイム……?て、三時のおやつタイムってこと?

 「ランチタイムだったら、コーヒーか紅茶とケーキのおまかせセットがお得ですよ。あのねぇ、紅茶は二杯ちょっとが一人前だから公平になるようにコーヒーはお代わり一回無料なの」

「え……長居してもいいんですか?」

 葵さんはケラケラ笑った。

 「大丈夫よぅ、ご心配なく。殆ど常連さんしかいらっしゃらない店ですもの。そんなに混まないわ、って。自分で言ってて虚しいわ」

 背後で笑い声が聞こえる。常連さんなんだろうな。

 「葵ちゃーん、ちょっといい?」

 その背後から呼ばれた。お客さんは『葵ちゃん』と呼んでいるんだな。

 「はぁい、行きまーす。じゃ、お決まりになったら宜しくです」

 基さんは厨房へと入って行った。

 

 ランチタイムになると、そこそこ混み合って来た。テーブル席は両サイドが満席、カウンター席は後二名で満席、どうしてだろうか。中央の丸テーブルには誰も座らない。

 不思議に思っていると、しばらくして賑やかな団体客が入って来た。

 「こんにちわぁ~大丈夫?空いてる?」

 「こんにちわぁ」「ん、にぃちわぁ」

 「あら、いらっしゃいませぇ~。空いてるわよ、どうぞどうぞ。今日は何名様?」

 「今日は五人なの。ひとりはお子様仕様にして貰える?」

 「はぁい、了解~!どうぞお掛けになって。基~いつもの四つとお子セットねっ」

 そう告げると、奥から可愛い子供用の椅子を持って来た。

 「はぁい、ここでいいかしら?おばぁちゃまの傍がいいの?お姉ちゃまの横?」

 小さな女の子が葵さんの持っている椅子をここに、と指している。

 お祖母ちゃんとママと女の子が三人。お孫さんかな。

 一気に葵さんと基さんは忙しくなった。そうか、この丸テーブルはこちらのお客さんのために空けておいたのか……!

 僕より先に来ていたお客さん達は、そろそろ、とタイミングを見計らって会計をしようと落ちつくのを待っている。僕も食事を終えそうだけど、先客の会計が済んでからにしよう。あの二人はてんてこ舞いだろう。今は特に。

 

 葵さんがお水とおしぼりを出し終えて、先客の会計を済ませた。僕はコーヒーでケーキセット(なんと、おまかせだそう)をお願いしようと思うのだが……どう、声をかけてよいやら。

 葵さんがこっちを向いた。すかさず「あのっ」と声に出したが、葵さんはニッコリ笑うと、ひと言。

「葵ちゃん」

「え……」

て呼んで?」

 そんな……恥ずかしいんだけど!「呼んでくれなきゃ注文取れないわよぉ?はい、どうぞ」

 そんな、他のお客さんが見てる中でそんな……。

 そろそろ、団体さんのお料理が出来はじめるんじゃないのかな……ええい!

 「あ、葵……さん」

 「

 やっ、葵ちゃんは無理だよ!恥ずかしいし馴れ馴れしいし……。

「あ、葵……くん」

 お、これならば言える!と思ったら、カウンター席のお客さんから小さな拍手を貰ってしまった。は、恥ずかしい。なんの羞恥プレイなんだよ!

 葵くんはにやにやしながら近づいて来た。

 やっとのことで、おまかせケーキセットに有りつけた僕。パスタもサラダもボリュームがあって美味しかったし、こっちも美味しい……んだけど不思議なんだ。

 コーヒーをひとくち。ケーキが食べたくなる。ケーキをひとくち。するとコーヒーが飲みたくなる。またまたケーキをひとくち。

 きりが無い。永遠にループ。

 「……なんでだ」 

 独り言をつぶやくと、僕より一回りは年上だろうと思われる男性が横から「それがおまかせケーキマジックなんですよ」と、解答してくれた。

 「え、マジック?」

 「そう。コーヒーを飲むとケーキが食べたくなるでしょう?逆にケーキの次はコーヒーが欲しくなる」

「は、はい、その通りです!僕だけじゃないんですね!」

 「それが基の狙いですもの~うふ、だからおまかせセットにしてあるんですぅ。両方が欲しくなるようなケーキと豆を選んでいるんですよ。えっと……お客様、は、どうお呼びしたら……?」

 「僕、ですか?僕は田部井たべいです」

 「田部井さんね。アタシはもう呼んで頂いたから、基も名前で呼んでくださる?アタシ達、苗字が同じだから名前で呼んで頂いてるんですよぅ」

 「ん?田部井さん……?」

  葵くん(こっちの方がしっくり来るかも!)が何やら考えこんでいる。

 すると厨房から「葵ー出来たヤツから運んでくれー」と基くんの声がした。

 なんだろう。葵くんと基くん。多分僕よりはずっと若い子だと思う。けど年上みたいな落ち着きがあるなあ。

 この空間にいて、居心地がよくて、なんだか安心出来るというかほっと出来るというか……?バーもカフェもまた来たくなってしまう。

 このコーヒーとケーキのように。

 横のお客さんもうんうん、と頷きながら紅茶をひとくち、ケーキをひとくち、とループしている。

 今度は僕も紅茶でケーキセットを試してみよう。

 ……嵌まってしまいそうな予感がしていた。

 


 


 

 

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