死にたがりな君たちへおくるボット
「死ね」
その言葉の鋭さと重みを、僕は小学校の道徳の授業と、高二の時のクラスメイトから教わった。
クラスメイトの高田くん。何をするにも鈍くさくて、顔も頭も運動神経すら悪くて、そして極めつけに誰よりも優しかった高田くんは、いじめられっ子だった。
「殺すぞ」
とか
「死ね」
という言葉が口癖というか、ご挨拶代わりだった不良のいじめっ子、松岡くんを筆頭に、クラス全体が高田くんならいじめてもいいという雰囲気を作っていた。
そんな高二のある日、とある出来事が起きた。
それは、松岡くんの口癖である
「死ね」
が引き金だった。
「だったら死んでやるよぉおおおお!」
獣の咆哮のような、断末魔のような声は、高田くんが発したものであった。皆固まって、あの松岡くんですら動けなかった。
高田くんは叫びながら教室を飛び出し、それ以降、学校には来なくなった。不謹慎だが、これが高田くんが自殺しただとか、反対に松岡くんを殺しただとか、そんなセンセーショナルな事件だったら、良かったのかもしれない。
結局、松岡くんが制裁されることも、高田くんが救われることもなかったからだ。
そんな経験も踏まえて、僕は
「死ね」
という言葉を平気で発する人間に対して、嫌悪と恐怖を覚えるのだ。高田くんが主人公の物語では、きっと僕も加害者の一員でしかないだろうが、僕が主人公の物語では、僕も高田くんと同じ被害者なのだった。
♪♪♪
「ね、これ知ってる?」
恋人の千晴ちゃんに見せられたのは、彼女のスマホの画面で、そこには
「死にたがりな君たちへおくるボット」
という赤い文字と、人物の顔が塗り潰された遺影写真、後その下にテキストボックスが表示されていた。
「何なの? この悪趣味なサイト」
「何を送っても『死ぬ』ことに関連する返信がくるボットなんだって、クソボットだって流行ってるらしいの」
彼女はテキストボックスに
『こんにちは』
と打ち込んで送信ボタンを押した。すると、すぐにボットから
『平和ボケして98歳で大往生しろ』
なんて、よくわからない返信がきた。
よくわからず首を傾げる僕に、彼女は悪戯っぽく笑って、今度はテキストボックスに
『死ね』
と打ち込んで送った。僕は思わず顔をしかめ、
『お前が死ね』
という返信を見てますますしかめっ面になった。
その後も、色々な言葉を送ったが、
『逝去しろ』
だの、
『滅しろ』
だの、どれも端的に言えば『死ね』と返してくるチャットボットらしい。この世にはこんなにも「死ぬ」という意味の言葉あるのかと、感心するくらいに色々な返信がきたが、こんなものを作って喜んでいる奴も、こんなものを嬉しそうに使っている彼女も、本当にどうかしていると思う。
「これね、特定のある言葉を入れると特別なことが起こるんだって!」
少し興奮したようにそう言った彼女に、僕は心底嫌そうな声で
「特別なことって?」
と聞き返した。
すると、彼女は肩を竦めて
「わかんない。だってまだ誰も特別なことがあったって報告してる人がいないんだもの」
と言った。
♪♪♪
千晴ちゃんから件のボットの存在を聞いてから、変わらず「死ね」という言葉に対して嫌悪感や恐怖は持っていのにも関わらず、僕はあのボットのことが気になって仕方なくなった。
怖いもの見たさとか、興味本位とか、そういう感情だったのだと思う。
登録したボットに、少し迷ったが
『初めまして』
と送ってみた。すると、すぐに
『以後お見知りおきすることもなく落命しろ』
なんて、返ってきた。
『僕は、死ね、という言葉嫌いだ』
『こちらも嫌いだから安心して事切れろ』
『正直に言うと、怖い』
『怖いことなんて何もない成仏しろ』
機械的に文章の単語の一部に反応して返信してくるチャットボットは、AIの機能を使うのだと、パソコンスクールの事務をしている千晴ちゃんは言っていた。だから、このチャットボットも僕の送る言葉の一部に反応しているだけだ。
それなのに僕は、何だかこのボットに贖罪の言葉を聞いて欲しくなった。僕が「死ね」という言葉が怖くなってしまった、僕の罪を。あの出来事への言い訳を。高田くんへの謝罪を。
『高校の時に高田くんというクラスメイトがいたんだ』
『未来ある若者よ他界しろ』
『高田くんはいじめられていた』
『いじめられっ子は諦めて、いじめっ子は苦しんでくたばれ』
『僕は見てるだけだった』
『こっち見んな没しろ』
まったく会話にならない一方的な懺悔と、一方的な暴言。いや、暴言というよりは僕にとっては断罪だ。
『見てるだけなんてそんなの、松岡くんと同罪だ』
そのメッセージを送ったら、不思議なことが起きた。機械的に即座に返信があったボットが、一拍間をあけて
『松岡』
と、返信がきたのだ。
『そうだ』
『松岡充雄』
『思い出した』
『松岡充雄』
『殺す』
『殺す』
『殺す』
『死ね』
『死ね』
『死ね』
『死ね』
『死んだ』
僕は呆然とスマホの画面を見詰めていた。僕は同罪だと送ってから、一言もメッセージは送っていない。一方的に、ボットからメッセージが来て、松岡充雄という、あのいじめっ子だった松岡くんのフルネームまで言い当てたのだ。
何の確証もなく、確認もするつもりはないが、多分、松岡くんは死んだんだと思った。そして、このボットは、高田くんだ。
僕は高校二年の時のクラスメイトの名前を、思い付く限りに送信した。そうするべきだと、そうしないといけないのだと思った。
いじめに関わっていた奴の名前は、松岡くんと同じ現象が起きたし、いじめには関係ないと思っていたクラスメイトの名前を送った時は
『誰だよとっととおっ
などと、元のボットとしての返信がくるパターンと、
『死んだ』
と、返信がくるパターンに別れた。
僕の知らないところでいじめに加担していたのかもしれないし、本人にそのつもりがなくても高田くんは「加害者」だと認識していたのかもしれない。
それならば、僕は?
あの頃、ただ見ていただけの僕は。
高田くんがいじめられていると知っていて何もできなかった、いや、何もしなかった僕は。
高田くんを、救えなかった僕は。
震える指先で、自分の名前を打ち込んだ。
『覚えてる』
『いつも哀れんだ目でこっち見てた』
『お前は殺さない』
『殺さない』
『だってお前は自分で死ぬ』
『耐えきれなくなって死ぬ』
『松岡も山本も須田も高橋も』
『佐々木も砂川も桃井も』
『お前が殺した』
『お前が思い出させたから』
『お前が名前を教えたから』
『人殺し』
『人殺し』
『人殺し』
『お前はまた見殺しにした』
『人殺し』
『死ね』
『死ね』
『死ね』
『死ね』
『死ね』
『死んだ』
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