強制メンテナンス

第18話

「桐生、今日はなんか調子よさそうじゃない?」

 昼休み、会社近くのイタリアンで向かいに座った及川先輩が言った。

「そ、そうですかね……?」

「いつもより気合が入ってるというか、キラキラが滲みだしてるというか……もしかして! 例の大学生とついに付き……」

「あってません!」

 及川先輩は楽しそうにこちらを見つめている。

 オタクを打ち明けたあの飲み会から先輩との距離はぐっと近づいた。それは嬉しいんだけど……

「何度も言っていますが、そういう関係じゃないんです」

 こうして時々からかわれるのはちょっと困る。私が変に意識しちゃったら、私のわがままに付き合ってくれている斗真君に悪い。

「ごめん、あんまり可愛いからついからかいたくなっちゃうのよ。でも、その子が関係しているんでしょ」

「今日はうちに来る日なんです」

「そうだったの! もう、早く言ってよ」

「言いませんよ!」

 声を上げる私とは対照的に、及川先輩は悠々とパスタを口へ運ぶ。

コスプレ本番はいつするの?」

 本番か……今日やろうと決めていたことが終われば、もう引き延ばす理由はない。

「来週……くらいでしょうか」

「そう。じゃあ、可愛い彼の写真を楽しみにしてるわ」

 きっと斗真君は完璧ならむねちゃんになると思う。それはもう可愛いの一言では表せないくらい。でも……だからこそ、独り占めして私だけのものにしたい。

「み、見せませんよ……」

 私の様子を見て、及川先輩は笑った。

「そうだね。こんなに顔を真っ赤にして想うくらいなんだから、他の人には見せられないか」

「そんなんじゃないです!」

 私は熱くなった頬を押さえた。


 会社に戻ると、フロアはやけに騒がしかった。

「及川! この資料、誰が作ったか分かるか?」

 課長が及川先輩に声をかける。その手には見覚えのある紙の束があった。

「さっき先方から連絡があった。送られてきた資料がおかしいとな」

 及川先輩が渡された資料をぱらぱらとめくる。

「そうですね……恐らくこのページのデータが間違っていて、それ以降の計算が合わなくなっているのではないかと思います」

 私は体が冷たくなっていくのを感じた。

「すいません! その資料は私が作成しました!」

 勢いよく頭を下げる。どうしよう。冷汗がでる。先輩や課長の顔が見れない……

「すいません。私が最終チェックをするべきでした。すぐに作り直します」

 隣で及川先輩も頭を下げた。そんな……私のせいで及川先輩まで……!

「じゃあ、次は確実に頼んだぞ」

 そう言って課長は席へ戻っていった。

 こんなミスするなんて、気持ちが緩んでいた? きっと浮かれていたんだ。プライベートなことにばかり気を取られて、仕事に集中できていなかった。せっかくやりたかった仕事に就けたのに、自分が情けない……

「桐生」

 そう言って私の肩をぽんと叩く。振り向くと、そこには最高に頼もしい先輩の顔があった。

「私も一緒にやるから大丈夫。すぐ始めよう」

「……はい!」

 そうだ。反省は後から目いっぱいする。今は仕事に集中しないと。


 及川先輩の的確な指示のおかげで、資料の修正は定時までに終わった。でも、今日やるはずだった仕事が出来なかった分、残業になった。

 パソコンをシャットダウンして時計を見ると、21時半を指していた。

「すいません。先輩まで残業させてしまって……」

「いいのよ。うちの新人は優秀だから今まで手が掛かんなかったし、このくらいね」

「すいません……」

 及川先輩は真剣な顔で私を見つめた。

「ミスは誰だってする。次からは私でもいいし、誰か上司にチェックをしてもらうこと。取引先相手の場合はなおさらね。今回の件で身に染みたでしょ」

「はい……」

「よし、反省終わり! 午後の働きは申し分なかったわ。今日は華の金曜日だし、パァーっと飲みに行くわよ!……って、今日はダメね。例の彼と会う日なんだから。遅くなるって連絡は入れたの?」

「……あ」

「忘れてたの!? じゃあ、ほら。さっさと連絡しなさい」

「私……斗真君の連絡先、知らないです……」

「ええ!? それならなおさら早く帰った方がいいわね。私のことはいいから先に行きなさい」

「……すいません! お先に失礼します!」

 及川先輩に頭を下げ、私は会社を飛び出した。


 なんで連絡先を聞いておかなかったんだろう。 

 金曜の21時くらいになると斗真君がうちのチャイムを鳴らす。今まではそれで問題なかった。

 夜の街をヒールで走る。全力を出せないのがもどかしい。

 今、斗真君はどう思っているかな。怒っている? 心配している? それとも、失望している……

 早く会って謝りたいのに、電車は強風の影響だとかで止まっていて、結局バスで帰ることになった。

 アパートの前に着くころには23時を過ぎていた。

 斗真君はまだ起きているかな。せめて一言謝りたい。

 斗真君の部屋のチャイムを鳴らそうとしたとき、扉がゆっくりと開いた。

「斗真君……!」

「お仕事遅かったんですね。お疲れ様です」

 斗真君の優しい言葉に胸が締め付けられた。

「ごめん! 心配というか、迷惑というか、色々とかけたよね。本当にごめん。こんな、仕事もちゃんとできなくて、人に迷惑かけて、本当に……」

「ちょっと待ってください! 僕は迷惑だなんて思っていませんし、謝らないでください。話はあとで聞きますから、まずは部屋に入りましょう。菜々子さんの部屋、上がってもいいですか?」

「うん……」

 斗真君に促されて私は部屋に入った。

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