第19話

「菜々子さん、夕ご飯は食べましたか?」

「そう言えば……」

 お昼に食べたイタリアンから何も食べていない。もう空腹さえ感じなかった。

「分かりました。じゃあ、僕が用意するので菜々子さんはお風呂入っていてください。作ってくるので、お風呂あがったら僕の家のピンポン押してくれますか?」

「うん……」

 てきぱきと動く斗真君を視界の端に映しながら、私はもたもたと着替えの準備をする。心が鉛のように重たくて、手足に上手く力が入らない。

 その時、スマホが鳴った。画面には「母」と表示されていた。

「もしもし」

『やっと出た。あんた、何回も電話かけたのにずっと出ないから』

「ごめん、仕事終わって家に帰ってきたとこ」

『そう、誕生日なのに大変だったのね』

「誕生日……」

『そうでしょ。23歳の誕生日おめでとう』

 母とは少し話して電話を切った。

「菜々子さん、もしかして今日誕生日なんですか?」

 斗真君が驚いた顔で私を見ていた。

「うん……すっかり忘れてたけど、そうだった。」

 今日は人に迷惑をかけるばっかりで最悪な誕生日だ。今日の私にはおめでとうなんていわれる資格がない。

「菜々子さん、ゆっくりお風呂入っててくださいね!」

 そう言って斗真君は勢いよく玄関を飛び出していった。


 斗真君に言われた通り、浴槽にお湯を張ってゆっくり浸かることにした。

 斗真君はなんでこんな私に優しくしてくれるんだろう。年上なのに、社会人なのに、ちゃんとできない私に。

「あがろ……」

 ぐるぐると答えの出ない問いを考えているとのぼせてきて、私はお風呂を出た。


 斗真君の部屋のチャイムを鳴らす。しばらくしてバタバタと足音が聞こえた。

 ガチャリと扉が開く。

「焼きたてなので温かいうちに食べましょう!」

 そこには大きなホットケーキを持った斗真君がいた。

 私の部屋に入ると、斗真君はホットケーキにロウソクを刺した。

「僕のうちには4本しかなかったのでちょっと寂しいですが……菜々子さん、ライター持っていますか?」

「うちにはないや」

「そうでしたか……さっきコンビニに行ったときに買い忘れたんです。でも、ホットケーキミックスが売っていてよかったです」

 隣に座った斗真君は私の方を向きなおった。

「菜々子さん、誕生日おめでとうございます」

 君は、どうして……

「とは言ってもショートケーキみたいなちゃんとしたのは用意できなかったんですけど…」

 そう言って斗真君は申し訳なさそうに笑う。

 どうして私に与えてくれるの?

「菜々子さん……?」

 斗真君が私を心配そうに見つめる。

 初めは推しそっくりの顔が拝める喜びを。次に好きなものの話が出来る楽しさを。そして今日は落ち込んだ心を温める優しさを。

 目のあたりが熱くなって、自分では止めることが出来なくなった。

「ちょっと! な、泣かないでください……僕、何か気に障ることしましたか? あ、強引に家に入ったから!? すいません、僕……」

「違うの……今日、仕事で大きなミスをして……憧れの先輩にも迷惑をかけて……それに斗真君のことも……」

 自分の生活はいくら自堕落でも、仕事や周りの人に対しては出来る自分でいたいって思っていたし、今まで上手くやれていると思ってた。でも今日、自分の慢心を思い知った。悔しさと申し訳なさでいっぱいだった。しかも今日が誕生日なんて、惨めさも加わった。

「たくさんの人に迷惑をかけて最悪な誕生日だって思った。でも、斗真君がこんな風に祝ってくれて……そうしたら勝手に……」

 その時、斗真君が私の手に重ねた。

「僕は菜々子さんの誕生日をお祝いできて嬉しいです。菜々子さんが喜んでくれるならもっと嬉しい気持ちになります」

「……すっごく嬉しい。ありがとう!」

「よかったです」

 斗真君は優しそうな笑顔を見せた。

「菜々子さんの誕生日ケーキ、一緒に食べましょう」


 ホットケーキを食べ始めると段々お腹が空いてきて、鈍くなっていた感覚が取り戻されていくのを感じた。それと同時に鉛みたいだった心も軽くなっていった。

「菜々子さん、お腹いっぱいになりましたか?」

「うん! 美味しかったよ。ありがとう」

「いえいえ」

 帰り支度を始める斗真君に私は声をかける。

「斗真君」

「はい?」

「今更なんだけど、連絡先聞いてもいいかな。社会人として、報・連・相を怠るようなことはしないと誓いますので……」

 今日の後ろめたさから、変なことを口走った気がする。

「ほうれん草?」

「報告、連絡、相談のことだよ」

「なるほど」

 私達はようやく連絡先を交換した。

 玄関先まで見送ると、斗真君が私の方を振り向いた。

「菜々子さん、今日は夜更かししないですぐ寝るんですよ。ベッドに入ったら、僕に連絡してください。報連相です」

 新しく覚えた言葉を使いたかったのかな。そういう時あるよね。……というか、

「今日の斗真君、なんか強引じゃない?」

 私は思っていたことを口にした。

「あっ……あの、すいません! いつも明るい菜々子さんなのに今日は元気がないから、僕が何とかしなくちゃって思って……ちょっと調子に乗り過ぎました……」

 そう言って斗真君はシュンと縮こまった。

「あ、違うの! 言い方がよくなかったみたい。その、斗真君の違う一面が見えたかなって」

 優しいのは知っていたけど、こんな風に他人を引っ張る一面もあるなんて。ちょっと意外。

「多分、菜々子さんだからですよ」

 そう言って微笑む斗真君があまりに可愛くて、その言葉の意味は聞きそびれてしまった。

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