第2話

「また生きてしまった」


 そんな言葉から、私の一日は始まる。


 寝ている間にぐっすりすやすやと、そのまま死ぬことができたらどれだけ楽だろうと思う。


 思うだけで、叶わない。


 それが現実である。


 会社までは、徒歩と電車で三十分ほどのところにある。


 電車を待つ間、私はいつも考えている。


 ここで飛び降りれば、死ぬことができる――。


 でも――と、思う。


 通勤ラッシュであることも相まって、最寄り駅のホームは人で溢れている。


 私が電車の通過と同時に飛び込めば――、この人達に迷惑をかけてしまうことになる。


 この中に、どれだけ緊急の用事の人がいるだろう――どれだけの人生を阻んでしまうことになるだろう。


 それだけの重荷を、私は背負うのだろうか。


 もし何かの間違いで生きてしまったら?


 いやいや、もっと確実に死ねる方法を模索しよう――そんな風に脳髄内を検索している間に、列車は到着し、そのままそれに乗って会社へと到着しているのである。


 また――死に損ねてしまった。


 それから仕事をする。IT関係の仕事だ、とだけ言っておこう。


 別に私は、ここで必須の人間ではない。


 社会は歯車である――などという比喩表現が時折使われるけれど、それは正鵠せいこくていない。


 歯車であるのなら、どれか一つが欠けた時点で、動かなくなってしまうからだ。


 精密な機械なら、尚更である。


 私はこう思う。


 ――と。


 私が欠けたとしても、別の誰かが少しだけ労力を重ねれば、私の分など簡単に補完できてしまうだろう。


 だから私は、いなくなっても良いのだ。


 自分は、必要ないのだ。


 そう思うことで、私は己の中の希死念慮を高めた。


 昼食は、常に一人で食べている。元々一人は好きなので、その社風は私に合っていると思った。


 いけないいけない。


 何を人生を満喫しているのだ。


 死にたいと思わなければ。


 そんな風に思いながら――夕方を迎える。


 定時を越えてしばらくした後、業務が終わったので、私は帰宅する。


 帰りの電車は――朝の通勤ラッシュよりも、死にたくなる。


 夕焼け色に電車が染まり、人々は疲弊する。目を瞑れば、誰かの社会人の溜息が聞こえてくる。ストレス、ストレス、ストレス、ストレス、ストレス、ストレス、ストレス、ストレス、ストレス、ストレス、ストレス、ストレス、ストレス、ストレス、ストレス、ストレス、ストレス、ストレス、ストレス、ストレス、ストレス、ストレス、ストレス、ストレス、ストレス。そうだ。社会は嫌なことばかりだ。辛いことばかりだ。苦しいことばかりだ。それに耐えられる人間と、耐えるフリが上手い人間だけが、この世を回している。皆辛くて、傷を舐め合って醜く生きているのだ。


 そんな自分が嫌だから、醜さを受け入れることができないから――そうだ、私は潔癖症なのだ。


 そう思うと。


 涙が勝手に溢れてきた。


「あ――あれっ、ヤバ」


 慌てて目を覆った。コロナ禍ということもあり、マスクを着用していたのが功を奏した、周りの人は気付いていない。良かった。心を落ち着かせて――そのまま私は、帰りの電車に揺られる。


 アパートの近くのスーパーで、お惣菜を買った。


 今日は流石に料理する気にはなれない。


 おかしいものである。仕事終わりは、料理をしようという気があるのに。


 そもそも食事を摂らなければ――私は餓死することができるのに、どうして食べているんだろう。


 どうして――?


 でも、お腹は空く。


 生きるためには、食べなければならない。


 その食欲に抗うことの出来ない自分が、とても嫌だった。

 

 お惣菜の、冷たい春巻きを食べながら、私は泣いた。


「………死にたいな」


 シャワーを浴びて、髪の毛を乾かして、その日はすぐに寝た。


 変な夢を見た。


 よく見る夢である。


 私は教室の中で、机に座っている。皆は先生の話を静かに聞いているのに、私は自分の身体が揺れていることに気付く。ゆらゆらと揺れる。止めたいと思っているのに止まらない――勝手に動くのだ、皆が私に注目する――でも、止められない。先生から怒られるが、ガタンガタンと音が鳴るまで、私は異常行動を止めることができない。先生に廊下に連れていかれて、そのまま廊下が横に傾き――下まで落ちて、永遠に落ち続けて――その辺りで、私は目を覚ます。


 時計は、午前三時を示していた。


 もう一度寝ようと、電気を付けて枕を所定の位置に直した。


 そこで、自分の頬に、涙が伝っていることに気が付いた。


 泣いてばっかだな、私。


 それから私は、再び寝入った。



つづけ

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定期便の遺言 小狸 @segen_gen

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