第12話 妖狐 衣女

 すると、廓代くるわよが驚くべきことを口にしたのだ。

 

 「あの若侍は、伊勢いせの新九郎しんくろう宗瑞そうずいと名乗りました。伊勢いせの新九郎しんくろう宗瑞そうずいというのは、後の北条早雲のことです。早雲の子孫が北条と名乗ったので、現代では、伊勢いせの新九郎しんくろう宗瑞そうずいのことを北条早雲と呼んでいますが、新九郎しんくろう自身は北条氏を名乗ったことはないんです。それと、さっきのお坊さんは隆渓りゅうけい繁紹はんじょうという有名な人で、早雲が韮山城主のときに修禅寺のご住職として来てもらった人なんです。つまり、いまは15世紀終盤の室町時代だというわけですね。それに、さっきの様子からすると・・・隆渓りゅうけい繁紹はんじょうは私たちが未来からこの時代に来たことに気付いているみたいでしたね」


 京介は息をのんだ。今は室町時代だって。そして、あの若侍が後の北条早雲だって・・・


 結衣も絶句した。


 「ぞれじゃあ、私たちは、現代の三島の白滝公園から、15世紀終盤の室町時代の修禅寺に飛んだわけね。今度は空間だけでなく、時間も移動したというわけね」


 廓代くるわよがボソリと言った。


 「それに、私たち、妖狐とかいう狐の妖怪を退治することになってしまいましたね。私たちがこの時代で生活して、そして、いずれ現代に戻るには、隆渓りゅうけい繁紹はんじょう和尚と伊勢いせの新九郎しんくろう宗瑞そうずいの手助けが絶対に必要ですから、何としてでも、私たちはその妖狐という妖怪を倒さないといけないわけですね」


 結衣が廓代くるわよに聞いた。


 「槍間やりまさん。妖狐ってどんな妖怪なの?」


 「さあ、私も民俗学を研究していますので、古い狐が人を化かすという話が全国各地にあることは知っていますが・・・でも、妖狐なんていう妖怪は聞いたことがありません」


 そのときだ。三人の横の鐘楼にボッと人魂が一つ浮かび上がった。


 あたりはすっかり暗くなっていた。空には満月が掛かっている。満月の月明かりの中で、鐘楼がくっきりとした黒い影になっていた。その黒い影の前で、オレンジ色の人魂が宙に浮いて、妖しくゆっくりと左右に揺れている。


 満月のくっきりとした月影の中、鐘楼の前で妖しく揺れる人魂・・・それは、幻想的で、この世のものとは思えない美しさだった。まるで幽玄の世界だ。


 京介も、結衣も、廓代くるわよも・・・誰もが呆然となって、人魂を見つめている。


 京介は思わず息をのんだ。口から言葉が出た。


 「なんて美しいんだろう!」


 すると、人魂が大きく空中でひらがなの『の』の字を描くと、京介の顔の少し手前で静止した。


 人魂の輪郭がぼやけた。そして、だんだんと大きく膨らんでいく。・・・京介は口を開けてそれを見つめていた。


 やがて、京介の眼の前に、人の形が出来上がった。


 京介の前に現れたのは、あでやかな衣装を着た美しい女性だった。まだ若い。20代だろう。いや、ひょっとしたら、10代かもしれない。


 女性は橙色の小袖に、赤い帯を締めていた。小袖の袖口が小さくなって、キリリと引き締まっている。さらに萌黄もえぎ色の打掛うちかけを背中から羽織っていた。打掛うちかけの模様は四季折々の花だ。手には扇子を持っている。髪をハート型に左右に分けて、後ろに長く垂らしていた。整った目鼻立ちで、女性は京介を黙って見つめている。


 京介は女性の美しさに圧倒された。結衣も廓代くるわよも美人なのだが、現代的な彼女たちの美しさとは違って、時代を超越した、この世のものではないような美しさなのだ。


 こ、これが妖狐か・・・


 京介はごくりと唾を飲み込んだ。


 妖狐の口が開いた。美しく澄んだ声が出た。


 「わらわの名は衣女きぬめじゃ。・・・そもじは何と申す?」


 「そ、そもじ?・・・」


 すると、廓代くるわよの声が響いた。


 「鏑木さん。『そもじ』というのは、きっと『あなた』ということだと思います。恐らく、妖狐の衣女きぬめは、鏑木さんの名前を聞いているんです」


 京介の口から、振り絞ったような声が出た。


 「ぼ、ぼくは・・・鏑木京介だ」


 衣女きぬめの眼がキラリと光った。衣女きぬめが京介に近づいた。


 「京介か・・・そもじ、美しい顔をしておるのう。わらわにもっとよく見せい。どりゃ、もそっと近こう寄れい・・・」


 京介は衣女きぬめに魅入られたように、ふらふらっと数歩、前に歩み出た。


 そのときだ。


 衣女きぬめの身体が大きく宙を飛んだ。満月を背に、打掛うちかけが宙に大きく広がって、黒い影になった。そのまま、衣女きぬめが京介の頭上に落下していく・・・


 「あぶない!」


 とっさに、結衣が京介に体当たりした。結衣と京介の身体がもんどりうって、地面に倒れる。その上に、衣女きぬめの身体が折り重なるように落下した。瞬間、辺りがまばゆい光に覆われて・・・すぐに元の暗闇になった。


 京介はすぐに気が付いた。身体が地面に倒れていた。


 京介は倒れたままで周囲をうかがった。眼の前に、結衣と衣女きぬめが黒い影になって重なりあうように横たわっていた。京介はその場で、ゆっくりと立ち上がった。それに合わせるように、結衣も衣女きぬめも地面から起き上がってきた。


 「山瀬さん、大丈夫ですか?」


 そう言って、結衣を見た京介が絶句した。・・・京介の眼の前には、なんと結衣が二人立っていたのだ。


 満月の月明かりの中で、京介の眼の前にいる二人の結衣の顔と服装がはっきりと京介の眼に映った。二人はそっくり同じ結衣の顔をしていた。服装も全く同じだ。二人とも、あの『虹の郷』のコスプレショップで買ったセーラー服なのだ。白の半袖のブラウスに、明るい藤色で、膝上丈のミニのプリーツスカートを履いている。


 京介が絶句した。


 「や、山瀬さんが二人いる・・・」


 二人の結衣は、京介の言葉に、お互いの顔を見た。次の瞬間、二人の結衣が飛び離れた。片方の結衣が、もう一人の結衣を指さしながら叫んだ。


 「あ、あなた、誰よ? どうして、私と同じ顔と服装をしているのよ?」


 言われた結衣が言い返した。


 「あなたこそ、私の偽物ね。あなた、妖狐の衣女きぬめでしょう。白状しなさい」


 「何よ。あなたが衣女きぬめじゃないの。私に化けるなんて、許せないわ」


 二人の結衣が睨み合った。


 廓代くるわよが京介の横に来て言った。


 「鏑木さん。これとよく似たことが、静岡の民話に記載されています。古狐が、自分の身体に触れた人に化けるという民話なんですが・・・。妖狐の衣女きぬめも同じように、きっと、身体が触れた人物とうり二つの身体になることができるんです。さっき、伊勢いせの新九郎しんくろうは、妖狐は長く生きていると言っていました。それは、きっと、このように別の身体に成り代わって生きながらえてきたんですよ」


 「で、でも、槍間やりまさん。そ、それじゃあ、同じ人物が二人いることになるよ」


 「静岡のその民話では、古狐に身体を取られた人物は、すぐに死んでしまうんです・・・」


 「えっ、す、すると、山瀬さんは・・・」


 「ええ、このままだと死んでしまいます」


 「た、大変だ。で、どうすればいいの?」


 「それは、はっきりとしたことは分かりませんが・・・身体を乗っ取られた人物が死んでしまう前に、どちらが偽物かをはっきりさせたらいいと思います」


 「そ、それはどうやって?・・・二人はまるで同じだよ。しかも、満月が照ってると言っても、この夜だ。二人を見極めるのは難しいよ」


 京介の言葉に廓代くるわよがポンと手を打った。


 「そうか、夜か! 鏑木さん、お手柄ですよ。・・・さっき、伊勢いせの新九郎しんくろう隆渓りゅうけい繁紹はんじょうは、妖狐は夜になると現れると言っていましたね。これって、『夜に現れる』んじゃあなくて、きっと『夜にしか現れることができない』んですよ。・・・つまり、きっと衣女きぬめは、他の人物と完全に同じ身体になることはできないんです。どこか違うところがあるんですよ。だから、それを胡麻化すために、夜にしか現れないんです」


 「す、すると、その違いを見つければいいのか・・・」


 そのとき、片方の結衣が廓代くるわよに言った。


 「槍間やりまさん。そんな話はいいから、早くなんとかしてよ。私、こんな女が私に化けてると思うと虫唾むしずが走るわ」


 もう一人の結衣も片方をにらみながら、廓代くるわよに言った。


 「それはこちらのセリフよ。槍間やりまさん。この女が私の偽物だって、早く証明して頂戴。証明のためなら、私、何でもやるわよ」


 片方の結衣が睨んだ。


 「何よ、偽物のくせに。山瀬結衣はこの私なのよ。あなた、山瀬結衣のすることが何でもできるのなら、やって見せてごらんなさい」


 京介は廓代くるわよを隅に連れて行った。京介が困った声を上げる。


 「槍間やりまさん、どうする? しかし、困ったね。本物の山瀬さんしかできないことか?・・・難しいなあ。山瀬さんはお上品でおしとやかだけど、何でも一通りはできるからね・・・」


 すると、廓代くるわよが再びポンと手を打った。


 「鏑木さん、私、鏑木さんの言葉で、いいことを思いつきました」


 「えっ、どういうこと?」


 「私に任せてください。たぶん、本物の山瀬さんが生きていられる時間は、そう長くないと思います。だから、詳しくご説明している時間はありません。急がないと・・・」


 廓代くるわよはそう言うと、京介を連れて、二人の結衣のところに戻って行った。二人の結衣はまだ睨み合っている。


 廓代くるわよが二人の結衣を見ながら、声を上げた。


 「では、これから、お二人の山瀬さんの、どちらが本物か、判定したいと思います」


 二人の結衣が廓代くるわよの顔を見る。京介も廓代くるわよの顔を見つめた。


 いったい何をする気なんだろう?・・・


 廓代くるわよの声が続く。


 「山瀬さんは、ダンスが大好きで、新聞社の忘年会でいつも、即興のダンスを踊っていました。で、お二人の山瀬さんには、山瀬さんの十八番おはこの『おならダンス』を踊っていただきます。うまく踊れた方が本物ですよね」


 今度は二人の結衣がそろって声を上げた。


 「お、おならダンスですって・・・」


 廓代くるわよが二人の顔を見る。


 「そうです。自分のおならを演奏にして、歌を歌うんですよ。歌は替え歌でも何でも構いません。本物の山瀬さんなら、去年の職場の忘年会でも『おならダンス』をみんなの前で披露されているんですから・・・もちろん出来ますよね」


 一人の結衣が応える。


 「もちろん、できるわよ。『おならダンス』なら任せなさい!」


 廓代くるわよがもうひとりの結衣を見た。


 「こちらの山瀬さんは、『おならダンス』ができますか?」


 もうひとりの結衣が、もじもじした素振そぶりを見せた。


 「そ、そりゃ、できるけど・・・」


 「じゃあ、決まりですね」


 廓代くるわよはここで言葉を切ると、高らかに宣言した。


 「では、これより、お二人の山瀬さんの『おならダンス』対決を行いま~す。どちらが先にやりますか?」


 すると、さっき「もちろん、できるわよ。『おならダンス』なら任せなさい!」と言った結衣が一歩前に出た。


 「私からやるわ。あっちは偽物だから、『おならダンス』なんて踊れないはずよ」

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