第8話 マーマレード

 京介は赤いパンティをひざまで降ろして・・ドジョウをむき出しにして・・おばさんたちに背中を押されて・・おばさんたちの先頭を突っ走った。パンティがひざに止まったままなので、足を大きく開くことができない。おばさんたちに背中を押されているので、どうしてもせわしない小走りになった。京介が足を小刻みに動かすたびに、ドジョウも小刻みに揺れた。


 京介の眼に、女子トイレがみるみる大きくなってくる。


 ドジョウを揺らした京介とおばさんたちが、そのまま女子トイレにぶつかった。ガーンという大きな音がした。あまりの勢いに女子トイレの壁と屋根が粉々になって消し飛んだ。ピンクの便器だけが残っている。さらに、京介とおばさんたちは女子トイレの後ろにあった、仕切りの板壁にぶつかった。ドッガーンというものすごい音がした。板壁の一部が木っ端みじんに吹っ飛んだ。板壁に大きな穴が空いた。穴からコスプレの女の子がいっぱいの観客席が見えた。ドジョウを揺らした京介とおばさんたちは、その穴をくぐって舞台に走り出た。


 今度は京介の眼に観客席がぐんぐん迫ってくる。舞台の横では次の参加者が替え歌を歌い始めた。


 「♪ ドジョウぉが出た出たぁ。ドジョウぉが出たぁ、あ、ヨイヨイ ♪」

 

 その歌を聞きながら、ドジョウを揺らした京介とおばさんたちは、そのまま舞台を突っ切って観客席にドドドドドド・・・となだれ込んでいった。


 もう、ハチャメチャだ。


**********


 廓代くるわよが結衣と京介に頭を下げた。


 「すみみません。私、『虹の郷 女子トイレ コスプレ替え歌大会』の主催者の方から、私の替え歌に合わせてダンスを踊る人を二人準備していますって聞いていたので、てっきり、お二人がその方だと思っていました。・・・お二人が、まさか、新聞の記者さんだとは思ってもいませんでした」


 京介は思い出した。


 そう言えば、京介と結衣を先頭にしたおばさんの一団が舞台の階段に殺到したとき、ちょうど階段を登り始めた女の子が二人いた。たしか、セーラー服のコスプレをしていたように記憶している。その女の子二人は、階段でおばさんたちに吹っ飛ばされてしまった。では、あの子たちが、廓代くるわよの替え歌に合わせて踊るダンサーだったのか・・・


 三人は広場の端に立っていた。三人とも全く同じセーラー姿だ。京介は今はミニスカートをちゃんと履いていた。結衣が舞台に落ちた京介のミニスカートを持ってきてくれたのだ。おばさんたちと京介が舞台のセットをぶっ壊して、観客席に突っ込んでいったので、『虹の郷 女子トイレ コスプレ替え歌大会』は中止になってしまった。広場では今その後片付けが行われている。


 結衣が後片付けを見ながら、廓代くるわよにやさしく言った。


 「いいのよ。気にしなくても。あなたのせいじゃあないわよ。・・・それより、あなた、槍間やりまさんだったわね?」


 廓代くるわよが「はい」とうなずく。


 「あなたが参加した『虹の郷 女子トイレ コスプレ替え歌大会』は中止になっちゃったけれど、あなた、これからどうするの?」


 廓代くるわよが困ったような顔をして言った。


 「私、今日は一日、『虹の郷 女子トイレ コスプレ替え歌大会』に出るつもりでいたんですけど・・・それが中止になってしまったので、特に行く当てはありません。・・・でも・・・」


 廓代くるわよが京介と結衣の顔を交互に見た。


 「もし、よろしかったら、山瀬さんと鏑木さんに同行させていただけないでしょうか?」


 結衣が驚いた顔をした。


 「同行って? あなた、私たちは新聞の取材なのよ」


 廓代くるわよが少し、はにかみながら言った。


 「あの・・・私、女子大で民俗学を研究している女子大生なんですが・・・民俗学の知識を活かして、将来は新聞記者になりたいんです。できれば、新聞の文化部の記者さんになれたらいいなって・・・。で、よろしかったら、お二人の取材を見学させていただきたいんですが・・・」


 京介は驚いた。


 民俗学を研究している女子大学生が、セーラー服のコスプレをして、あんな「♪ ぼぉくのドジョウが まぁるぅ見えよ ♪」なんて歌を歌うだろうか? 世の中は変わったなぁ・・・


 京介の思いとは別に、結衣がびっくりした声を上げた。


 「まあ、槍間やりまさんは文化部の記者になりたいの? 私は今一応、毎朝新聞の文化部の記者なんですよ」


 廓代くるわよが憧れるような眼で結衣を見つめる。


 「わたし、山瀬さんのような敏腕女性記者になりたいんです」


 結衣が笑った。


 「私はそんな大した新聞記者じゃないわよ。でも、私たちに同行したら、新聞記者のイメージが少しでも湧いてくるわよね。きっと、槍間やりまさんにとっていい経験になりそうね。・・・いいわよ。槍間やりまさん。私たち、取材といっても、ここでブラブラするだけだし。私たちについてきても構わないわよ。・・・それに、槍間やりまさんは、私たちと全く同じセーラー服のコスプレですもの。私たちが三人で行動するのは当然じゃない」


 廓代くるわよが満面の笑みを浮かべて飛び跳ねた。


 「本当ですか! うれしい」


 京介は大はしゃぎをする廓代くるわよを見ながら微笑んだ。京介が結衣に聞く。


 「で、山瀬さん。僕たちは次にどこへ行きます?」


 結衣が『イギリス村』を指さした。


 「決まってるじゃない。最初の予定通り『イギリス村』から園内を回ってみましょうよ」


 こうして、廓代くるわよを加えて三人組となった一行は、そろいのセーラー服姿で『イギリス村』に向かって歩き出した。ただし、廓代くるわよだけはミニスカートと同色の明るい藤色をした大きなリュックサックを背負っている。


 結衣がリュックサックを見ながら聞いた。


 「槍間やりまさん。素敵なリュックね。セーラー服と一緒に買ったの?」


 「ええ、私、このセーラー服の衣装を『匠の村』のコスプレショップで買ったんですが、そのとき、このリュックも買いました」


 「あら、私たちもそのお店でこのセーラー服を買ったのよ。だから、同じコスプレ衣装になったのね。でも、おかしいわね。私たちがセーラー服を買ったときには、そんなリュックはお店になかったわよ」


 「もう品切れだったんですよ。私のリュックが最後だったから・・・。でも、このリュックがあるので仕掛けをいっぱい入れることができました」


 「仕掛け?」


 「ええ、『虹の郷 女子トイレ コスプレ替え歌大会』で使う仕掛けです。あの替え歌大会は勝ち抜きのトーナメントなんですよ。山瀬さんと鏑木さんに踊っていただいた第一回戦では、かんしゃく玉を使いましたが、私、二回戦以降に進んだときのために、いろいろな仕掛けを準備してきたんです」


 「へえ~。面白そうね。どんな仕掛けがあるの?」


 結衣が廓代くるわよにそう聞いたときだ。前方から「これ、かわいい!」とひときわ大きな歓声が上がった。


 三人が会話を中断して前方を見ると、『イギリス村』の入り口に、あの総合入り口で見た『ハーフティンバー』と呼ばれる二階建ての建物が建っていた。白壁の中に黒い木造の柱がむき出しになったデザインだ。一階が英国雑貨店、二階が喫茶店になっている。一階の入口の上には青地に黄色い文字で『マーマレード』と書かれた看板が掛かっている。店名だろう。入り口の前には、魔女の扮装をした女の子が五人いて、ショーケースの英国雑貨を見ながら、さかんに「これ、かわいい!」と黄色い声を上げていた。


 女の子たちはひとしきり騒ぐと、「ここでお土産を買おうよ」と言いながら店内に入っていった。京介、結衣、廓代くるわよのセーラー服三人組もそれにつられるように『マーマレード』の前に立った。


 結衣が京介と廓代くるわよの顔を見ながら言う。


 「素敵なお店ね。私たちも入ってみましょうよ」


 三人は店内に足を踏み入れた。


 店の中は若い女性で混雑していた。壁や中央の展示棚にはさまざまな英国の雑貨が所せましと並んでいる。ピアスやネックレスなどの英国製アクセサリーが若い女性に特に人気のようだ。壁の上部には日傘と雨傘が広げて掛けてある。傘には色鮮やかな西洋の中世の絵画がプリントされていた。下から見上げると、天井に何十枚という絵が掛けてあるようだ。若い女性は店内を見て歩くだけで楽しくなるだろう。


 廓代くるわよが歓声を上げた。


 「うわ~、かわいい。ここでお土産を買ってもいいですか?」


 結衣が答える。


 「そうね。そうしましょう」


 その声に、結衣、京介、廓代くるわよはバラバラになって、店の中に散っていった。


 京介は人ごみをかき分けながら、店内をゆっくりと見てまわった。陳列棚には英国製アクセサリーの他にも、食器、陶器、民芸品、おもちゃ・・・といった英国雑貨が並んでいる。コスプレをした若い女性たちがそれらを手に取って、嬌声を上げながら大騒ぎをしている。なんとも楽しそうだ。店内には若い女性のエネルギーが充満していた。


 山瀬さんと槍間やりまさんはどこにいるんだろう? 京介が首を巡らせると、若い女性たちに混じって、向こうの方で結衣がピアスを耳に当てて、鏡に顔を映しているのが見えた。廓代くるわよは店の奥に飾ってある陶器の絵皿に見入っている。


 しかし、京介は時間を持て余した。こういった若い女性向けの雑貨にはまるで興味がなかったのだ。何か変わったものはないだろうか?


 すると、京介は店の隅に奇妙なものを見つけた。一辺が5㎝ほどの立方体をした小さい木の箱だった。全体が黒色だ。上面に金色の小さな三角形のマークが一つ浮き出していた。その他に装飾はない。地味な箱だった。英国の花柄の食器が並べられた一画にポツンと置かれている。店内の華やかな雑貨と比べると、明らかに異質な気がした。


 「何だろう。オルゴールかな?」


 京介はその箱を手にとって眺めた。フタはついていなかった。どこにもスイッチのたぐいは見当たらない。どうもオルゴールではなさそうだ。


 いつのまにか、結衣が京介の横に来ていた。手には店の紙袋が握られている。お気に入りのピアスを見つけて購入したようだ。


 「鏑木君。それはなあに?」


 「さあ、何でしょうか? オルゴールではなさそうですし・・・」


 「ちょっと見せて」


 結衣が箱を手にとった。結衣が首をかしげながら箱を眺めている。


 「何に使う箱なのかしら?」


 京介が箱についている金色の三角形を指さした。


 「装飾はこの金色の三角形が一つあるだけですね。この三角形はどういう意味なのでしょうか?」


 結衣が首を振る。


 「う~ん。分からないわねえ・・・」


 そこへ、廓代くるわよがやってきた。廓代くるわよも結衣と同じように手に紙袋を持っている。女性陣には戦利品があったようだ。結衣が聞いた。


 「あっ、槍間やりまさん。何を買ったの?」


 廓代くるわよがペロッと舌を出した。こういう仕草をすると、廓代くるわよもかわいい。


 「素敵な絵皿があったので、買っちゃいました」


 廓代くるわよが結衣の持っている箱を覗き込んだ。


 「山瀬さん。その箱は何ですか? オルゴール?」


 「それが分からないのよ。オルゴールではないみたいね」


 結衣はそう言うと、京介の方に向き直った。


 「鏑木君。私、これ買っていくわ」


 京介は驚いた。


 「ええっ、山瀬さん、こんなのを買ってどうするんですか?」


 京介が値札を見ると5千円とあった。結構高い。結衣が箱を高く掲げて言った。


 「何か気になるのよ。このお店には不似合いじゃない。まあ、何でもなければ、私のお部屋の飾りにするわよ。黒くて小さくて、なんかかわいいじゃない」


 結衣がその箱をレジに持って行った。レジのお姉さんに「この箱は何ですか?」と聞いたが、お姉さんには分からなかった。結局その箱が何か分からないまま、結衣はレジを済ませた。


 三人は『マーマレード』を出ると、人の流れに沿って左に進んだ。団体客が入園してきたらしく、『マーマレード』の先にある花屋の前では、小旗を持った添乗員の女性が中年男女の団体に向かって何かを一生懸命に説明していた。その横で、花屋の花をバックに、メイド服のコスプレをした二人の若い女性が写真を撮り合っている。


 少し行くと右手にまた広場が見えてきた。赤茶色のレンガを敷き詰めた広場だ。正面の建物には『ロムニー駅』という表示が掛かっている。


 結衣がもらった絵地図を広げた。京介と廓代くるわよが覗き込む。絵地図によると、小さな機関車がこの『ロムニー駅』駅と、カナダ村の『ネルソン駅』を結んでいるらしい。ちょうど、機関車が『ロムニー駅』に着いたところらしく、駅から大勢の人が広場に出てくるのが見えた。広場の左手は『クイーンアリス』という土産物屋だ。絵地図には雑貨も売っていると書かれている。右手には『トイミュージアム』があった。親子が長い列を作っていた。


 『ロムニー駅』の左横に木のベンチがあった。


 「あそこで一休みしましょう」


 結衣の声で、三人はベンチに座った。4人掛けのベンチだ。結衣が一番『ロムニー駅』に近い端に座る。その横に廓代くるわよが座った。さらに、廓代くるわよの横に京介が座った。京介の横は一人分空いている。京介が空いている方を見ると、ベンチの向こうに一体の地蔵が置かれているのが見えた。人間の背丈ほどもある大きな石の地蔵だ。


 京介は首をひねった。


 『イギリス村』に地蔵? なんとも不釣り合いなものが置いてあるなぁ・・・


 結衣と廓代くるわよは地蔵には気がつかない様子だ。三人の前をコスプレをした若い女性や団体客や家族連れなどがひっきりなしに行きかっている。結衣が眼の前の雑踏を見ながら言った。


 「虹の郷って、人が多いわねえ」


 廓代くるわよが頷いた。


 「そうなんです。お二人は東京の方だから、ご存じないかもしれませんが・・・虹の郷って、静岡でも有名なテーマパークなんですよ」


 「あら、そうなの。槍間やりまさんは静岡のご出身なの?」


 結衣がそう聞いたときだ。ベンチの京介の横に誰かが座った。


 うん? 誰なんだ・・・


 京介が横を見ると・・・さっき見た地蔵が座っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る