第6話 虹の郷

 「で、山瀬さん。これから、どうします?」


 結衣が笑った。


 「決まってるじゃない。あの子たちが教えてくれた、隣のコスプレショップに行きましょうよ。何か適当な衣装を買って着替えるのよ。あの子たちが言っていたように、私たち、このままじゃ本当に風邪をひくわよ」


 それから、1時間後・・・


 結衣と京介は農家の隣のコスプレショップの中にいた。二人は、買ったばかりのコスプレ衣装に着替えて・・・自分たちの姿を店の中に設置してある大きな鏡に映していたのだ。


 鏡の前で京介の情けなさそうな声が飛んだ。


 「山瀬さん。こんなの、僕、嫌ですよぉ・・・」


 鏡の中には・・・なんと・・・ミニスカートのかわいらしいセーラー服を着た結衣と京介が写っていた。


 二人が着ているのは、某有名女子高のセーラー服を模したコスプレ衣装だった。ブラウスは白の半袖だ。セーラーの前襟はV字で、後ろ襟は四角くて角が丸みを帯びている。セーラーの襟ラインには明るい藤色の三本の線が縫い付けてあった。胸のタイも同色の藤色だ。白のブラウスの上に藤色のタイ・・・胸元に揺れるタイの藤色がブラウスの白に映えて、なんとも艶やかな雰囲気を醸し出している。ブラウスの左胸にはポケットがあって、セーラーの襟と同じ藤色の三本の線が縫い付けられていた。スカートはやはり同色の明るい藤色で、膝上丈のミニのプリーツだ。なんとも短い。膝上20cmというところだろうか。京介が動くとスカートのプリーツが波打つように揺れた。足元は白のハイソックスと黒のパンプスだ。ハイソックスには、ご丁寧に藤色の校章の様なマークまでついていた。


 結衣は自分の長い黒髪をセーラー服に流しているが、京介は黒髪のショートボブのウイッグをかぶっていた。京介が動くと、それに呼応するようにウィッグの黒髪が左右に揺れた。そのたびに、ほのかなお色気が周囲に漂うようだ。


 鏡の中の結衣が笑った。


 「鏑木君。あなた、とっても良くお似合いよ。どう見ても、女の子にしか見えないわよ」


 結衣の横に立っている店のお姉さんも笑いながら同じことを言った。


 「ホント、よく似合っていらっしゃいますよ」


 京介の口から再び同じ言葉が出た。


 「山瀬さん。こんなの、僕、嫌ですよぉ・・・」


 結衣が肩をすくめる。


 「仕方がないでしょ。ここはテーマパークで、服といったらコスプレ衣装しか売ってないんだし・・・このお店で売っている服で、私たちがペアで着られるのは、このセーラー服だけだったんだから・・・」


 「や、山瀬さん。どうしてペアの服じゃないといけないんですか?」


 「決まってるでしょ。女の子たちは、みんな、何人かで来ていて、全員がそろいの衣装を着て写真を撮ってるのよ。だから、一人でコスプレ衣装を着てたら、返って目立って恥ずかしいでしょう。それとも、鏑木君。あなたは一人でそのセーラー服を着て、このテーマパークの中を歩きたいの?」


 京介が飛び上がる。


 「い、いえ、そ、そんなのイヤです」


 「だったら、黙って、私と同じそのセーラー服を着ていなさい」


 「で、でも、山瀬さん・・・」


 結衣が京介をにらむ。


 「何よ。まだ、何かあるの?」


 「し、下着まで・・・女の子のを・・・着ないといけないんですか?」


 「それも仕方がないでしょ。このお店は女の子の下着しか売ってないんだから。下着を着ないと寒いでしょ。風邪はひきたくないでしょ」


 「そ、そうですが・・・で、でも、し、白いブラジャーと、あ、赤いパンティだなんて・・・」


 「うるさいわね。それしか、鏑木君のサイズに合う下着がなかったのよ。もう文句は言わないの!」


 結衣に怒鳴られて、京介はシュンとなってしまう。蚊の泣くような声が出た。


 「は、はい・・・」


 結衣が横に立っている店のお姉さんに顔を向けて聞いた。結衣の横には、結衣と京介が今まで着ていた濡れた服がビニール袋に入れて置いてあった。


 「あの、この『虹の郷』の中に、私たちの濡れた服を乾かす場所はあるでしょうか? 例えば、コインランドリーのような・・・」


 お姉さんが首をかしげる。


 「さあ、『虹の郷』にはコインランドリーはありませんねぇ。・・・お客様の濡れた服でしたら・・・良かったら、うちで乾かして差し上げますよ。今日はいいお天気ですから、裏に干しておけば、夜までには乾くと思います」


 結衣が安堵する。


 「それは助かります。では、夜になったら、またこちらに取りに伺いますので、よろしくお願いします」


 『虹の郷』はナイター営業があって、夜もやっているのだ。


 結衣が京介の方を向いた。


 「それでは、鏑木君。それまで、私たちはセーラー服で『虹の郷』を見物してまわりましょうよ」


・・・・・


 京介と結衣はコスプレショップの外に出た。


 先ほどは農家からコスプレショップまで走るように移動したので、ゆっくりと周囲を見る余裕がまるでなかった。京介と結衣は改めてまわりを見渡した。


 緑が眼に入った。どこかの山の中のようだ。眼の前には、舗装道路が一本走っている。さまざまなコスプレ衣装に身を包んだ女の子たちが道路をぞろぞろと歩いていた。セーラー服を着た女の子もたくさんいる。何人かの女の子が、道路の端に立っている京介と結衣の品定めをするような視線を送ってきた。どうも女の子たちは、お互いのコスプレ衣装を比べ合っているようだ。


 女の子たちの視線を受けると、セーラー服を着ている恥ずかしさで京介の顔が真っ赤になった。


 結衣がもらった絵地図を見ながら言った。


 「この道を行くとバス停があるわよ。バスに乗りましょうよ」


 コスプレの女の子たちに混じって、京介と結衣は道路を歩き出した。歩くと、ミニスカートの裾が揺れて、パンティが見えそうだ。京介はあわててスカートの両脇に両手を垂らしてスカートを押さえた。手でスカートが揺れないようにしたのだ。その格好で歩く京介を見て、結衣がプッと噴き出した。


 「鏑木君。そんな歩き方、不自然でしょ。手をスカートから離して、ちゃんと足に合わせて、手も動かして歩かないと・・・女の子はミニスカートを履いても、スカートを手で押さえて歩くなんてことはしないわよ」


 あわてて、京介がスカートから手を放す。すると、一陣の涼風が吹いてきて、京介のミニスカートがめくれ上がった。赤いパンティが見えた。すかさず、周りを歩く女の子たちから声が上がった。


 「わっ、見た? あの子、赤いパンティを履いてるわよ」


 「白と藤色のセーラー服に赤いパンティだなんて・・・普通、赤のパンティなんて履かないわよねぇ」


 「センス悪いわねぇ。よっぽど田舎から出てきた女の子なのね」

 

 京介は再び真っ赤になって下を向いた。どうも歩きづらい・・・


 すると、道の向こうに、京介たちがさっき出てきた農家と同じような造りの建物が二軒見えてきた。外見は農家だが、どうも土産物屋と喫茶店のようだ。大勢の観光客が出入りしている。コスプレ衣装を着た女の子たちばかりだ。みんな楽しそうだ。


 土産物屋と喫茶店の前で道が左右に分かれていた。京介と結衣は絵地図を見ながら右に歩いた。道の右手は小高い丘になっていて、樹々が生い茂っている。道の左手はゆるやかな崖のようになっていて、緑の草地が下に降りていた。崖下から気持ちのいい風が吹きあがってくる。初夏の草の匂いがした。


 道のところどころに、野ざらしの白い小さな地蔵が祀ってあった。それぞれの地蔵の横には、地蔵の由来を記した立て看板がある。少し行くと、左手にバス停の赤い看板が見えた。赤字に白抜きで『園内バスのりば』と書いてある。下には簡単な路線図が描いてあった。看板の横には木のベンチがある。バスを待っているのだろう。メイド服のコスプレをした女の子が二人並んで座っていた。女の子たちを見て、京介の足が止まった。また、何か言われそうだ・・・


 しかし、二人はおしゃべりに夢中な様子だった。女の子の一人が京介たちをチラリと見たが、興味がなさそうに、またおしゃべりに戻っていった。京介は安堵した。


 京介がバス停の路線図を見ながら聞いた。


 「山瀬さん。園内バスでどこまで行きましょうか?」


 結衣が絵地図を見ながら答える。


 「そうねえ。とりあえず、この『イギリス村』というところに行ってみましょうよ。『イギリス村』は『虹の郷』の総合入り口の近くにあるから、行動するには、この『イギリス村』が何かと便利よね」


 しばらく待つと真っ赤な二階建てのバスがやってきた。これがロムニーバスだ。ロンドンの二階建てバスを真似ているようだ。バスの中はコスプレ衣装の女の子たちで満員だった。バスの中に若い女の子特有の甘い香りが充満している。京介はその香りにむせながら、ずっと下を向いていた。


 二人はロムニーバスで『イギリス村』まで移動した。『匠の村』から『イギリス村』まで30分も掛かった。『虹の郷』はとにかく広いのだ。


 到着した『イギリス村』は『虹の郷』の総合入り口を入って、少し歩いたところにある。京介たちが『イギリス村』のバス停でバスを降りると、眼の前に大きな広場が広がっていた。広場の左手が『虹の郷』の総合入り口で、右手が『イギリス村』になっている。


 広場では仮設舞台のようなものがつくられていた。舞台は地面より1mほど高くなっていて、その上に大きな板壁が立てられている。何に使うものなのか、板壁のこちら側には高さ2m、巾1mほどの長方形の木箱が立てて置かれていた。板壁の影から、向こう側に仮設の観客席が設けられているのがチラリと見えた。こちらから見える範囲では、観客席はほぼ全て埋まっているようだ。みんな、コスプレ衣装を着た女の子たちだった。この舞台を使って、もうすぐ何かのアトラクションでも始まるのだろうか・・・


 すると、結衣が左手を指差した。


 「あれが『虹の郷』の総合入り口ね。では、まず総合入り口に行ってみましょうよ」


 結衣と京介は左手に歩いて行った。


 『虹の郷』の総合入り口には、黒の柱をむき出しにして、柱と柱の間を白壁で覆った建物が建っていた。この建物の横に入り口のゲートがある。入り口のゲートから、大型バスや自家用車でやってきた観光客が次々と園内に入ってくる。二人はその総合入り口まで歩いて、そこから反転した。今度は大勢の新規の入園者たちと並んで『イギリス村』の方へ歩いた。


 道の両側に三角屋根と白い壁の家が見えている。どの家も白壁の中に黒い木造の柱がむき出しになっていた。入り口の建物と同じ構造だ。黒い柱が素敵なアクセントになって、なんだか外国のおとぎ話に出てくる家のようだ。たくさんの女の子たちが家の前でポーズを取って写真に収まっている。


 京介がスマホで調べてみると、これは『ハーフティンバー』と呼ばれるものだった。『ハーフティンバー』とは、柱や梁、筋交すじかいなど木の構造材を外側にむき出しにして、その間を漆喰などで埋めて白壁としたもので、イギリスの家屋の特徴的な外観デザインだそうだ。外から見ると半分は木材、半分は漆喰などの白壁なので、このデザインが『ハーフティンバー』と呼ばれるようになったらしい。


 京介が『ハーフティンバー』のことが書かれたスマホ画面を結衣に見せているときだった。


 入り口のゲートから騒がしい声が聞こえてきた。


 見ると、何十人ものおばさんが一段となって、ゲートから園内に入ってくるところだった。おばさんたちの団体がバスでいま『虹の郷』に到着したようだ。おばさんたちの嬌声がなんともかしましい。


 「トイレ休憩がないなんて、ひどいわねぇ」


 「道が渋滞しているので、バスの『虹の郷』への到着が大幅に遅れるから、サービスエリアを省略します、なんて・・・そんなのないわよねぇ。それじゃあ、私たち、トイレを一体どこで済ませたらいいのよ?」


 「だから、トイレのない観光バスってイヤなのよねぇ」


 「そうよ。私、もうダメ。洩れそうよ・・・」


 「とにかく早くおトイレを探しましょう・・・」


 「女子トイレはどこにあるのかしら?」

 

 どうも、おばさんたちは団体で観光バスに乗って『虹の郷』にやってきたらしい。でも、途中でバスが渋滞にあってしまって、それで、サービスエリアでのトイレ休憩がなくなってしまったようだ。そのために、おばさんたちはみんな、トイレに行くことが出来ず、トイレを我慢した状態で『虹の郷』に到着したみたいなのだ。


 おばさんたちの一団は周りをキョロキョロしながら、京介と結衣の前にやって来た。すると、おばさんの一人が広場にある舞台を指さして言った。


 「あっ、あれ、女子トイレじゃないの?」


 京介と結衣が振り返って、おばさんの指さした方向を見ると、さっきの舞台が見えた。さっき見たように、舞台の上に板壁があって、その板壁のこちら側には高さ2m、巾1mほどの長方形の箱が立てて置かれている。どうも、おばさんは、その箱を指さしているようなのだ。


 京介は首をひねった。


 あの箱が女子トイレだって?


 しかし、京介がよく見ると、その箱の表面には、スカートを履いた女性の赤い小さなマークが描かれていた。おばさんはそれを見て、箱が女子トイレだって思ったようなのだ。


 京介は面食らってしまった。


 えっ、あの箱が女子トイレだって? あんな箱が女子トイレの個室だったら、トイレの出入りが周りから丸見えじゃないか! それに、個室が一つだけポツンとある女子トイレだなんて? こんな女子トイレを使う女の子がいるわけがないじゃないか!


 すると、白のブラウスに藤色のプリーツスカートのセーラー服を着た一人の女の子が舞台に上がった。京介や結衣と同じようなセーラー服のコスプレだ。その女の子が、なんと、その箱のドアを開けて中に入っていったのだ。ドアを開けたときに、中にピンクの洋式便器が見えた。


 京介は絶句した。


 こんな女子トイレを使う女の子がいた・・・


 おばさんの声がした。


 「あっ、やっぱり、あそこが女子トイレよ」


 「あそこに女子トイレがあるわよ。急げぇ」


 「私が先よ。私、もう、洩れるのよ」


 「いいえ。私が先よ。私の方が先に洩れるわ」


 おばさんの一人が走り出した。すると、何十人というおばさんが舞台に向かって、我れ先にと一斉に走り始めたのだ。


 ドドドドド・・・という地響きが聞こえた。地面が揺れた。


 京介と結衣は、おばさんたちと舞台の間に立っていた。おばさんたちが京介と結衣に迫った。おばさんたちから声が飛んだ。


 「そこの女の子たち、セーラー服の二人よぉ。邪魔よぉ。どきなさぁい・・・」


 京介と結衣は、おばさんたちの突進をかわすことができなかった。気がつくと、おばさんたちに背中を押されて、二人とも舞台に向かって走っていた。おばさんたちのスピードが速くて、横に逃げることができないのだ。


 「ちょっ、ちょっと・・・待って・・・」


 京介が叫んだが、おばさんたちの突進は止まらない。おばさんたちの先頭を、背中を押された京介と結衣が、おばさんたちと一緒になって突っ走る。すごいスピードだ。京介の眼に舞台がどんどん迫ってきた。

 

 そのとき、京介の眼に舞台の上の板壁に文字が書いてあるのが映った。


 『虹の郷 女子トイレ コスプレ替え歌大会』と読めた。


 突っ走るおばさんたちに背中を押されながら、京介の絶叫がこだました。


 「じょ、女子トイレ、コスプレ替え歌大会ぃぃぃ? それって、い、一体、何なんだぁぁぁ」

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