第5話 修善寺

 結衣が真剣な顔で答えた。


 「私ね、これは龍に関係しているんじゃないかって思うのよ」


 「えっ、これが龍に関係しているんですか?」


 そのとき、二人が乗っていた天井裏の床が割れた。京介も結衣も再び、眼下の『次の間』を満たす水の中に落下していった。


 「うわー」、「きゃー」・・・


 落下するときに、京介の眼には、何匹もの鯉が水面に鋭い三角形の歯を見せて、二人の落下地点に集まってくるのが見えた。


 また、水に落ちる。京介は眼をつむった。


**********


 水には落ちなかった。


 京介は背中から床に叩きつけられた。身体が床で大きく跳ね返って、空中で一回転して今度はうつぶせになって床にぶつかった。京介は額をしたたかに打った。額にコブができたようだ。


 「いてて・・・」


 京介は床に転がったまま、身体を回転させて上を向いた。


 京介の顔の上に結衣が落ちてきた。


 結衣のベージュのロングスカートが花が咲くように開いて、その中に京介の頭がすっぽりと入ってしまった。その次に結衣の尻が降ってきた。京介の眼に赤い花柄ショーツが見えた。水をたっぷりと含んだ結衣のショーツが京介の顔にぶつかった。ショーツの水が京介の顔の上でピシャッと跳ねて、顔の周りに広がって飛んだ。結衣の尻が京介の頭を強く押し下げて・・・今度は京介は後頭部を床にしたたかにぶっつけた。床でゴンと大きな音が鳴った。思わず、京介の口から声が出た。


 「むぎゅう」


 驚いた結衣が「キャー、痴漢!」と叫んで足をバタつかせた。京介の頭は結衣のスカートの中だ。京介の頭は結衣の膝で挟まれ、揉みしだかれて、次に素足で蹴られた。最後は結衣の両太ももが京介の首に掛かった。肉付きのいい太ももが京介の首にピッタリとはまって、首を絞めつけてくる。おまけに、たっぷりと水を含んだ結衣のロングスカートが京介の顔に張り付いた。首を絞められ、鼻と口をふさがれて、息ができない・・・


 京介の口から断末魔の悲鳴が飛んだ。結衣の太ももが京介の首を絞めているので、かすれた高音になった。


 「ヒィィィ・・や、山瀬さん・・・た、助けて・・・い、息ができない・・・」


 その声に驚いて、結衣が太ももの力を緩めた。


 「えっ、あなた?・・・鏑木君なの?」


 結衣が床から体を起こした。スカートをめくって、中から京介の上半身を抱き起した。結衣があきれた声を出した。


 「いやらしいわね。鏑木君。あなた、こんなときに・・・一体、なんてことをするのよ!」


 何が何だか訳が分からず、京介は上半身だけを起こして周囲を見た。木の床が見えた。


 えっ、木? 木の床?


 京介は急いで床を手で探った。驚いたことに板の間だった。畳ではない。水の中に落ちたはずなのに水もない。


 「山瀬さん。床は畳じゃなくて板の間ですよ。水もありませんよ。・・・こ、ここは『楽寿の間』ではないみたいですよ」


 結衣も驚いた様子だ。


 「えっ? 板の間ですって?」


 京介は立ち上がって周りを見渡した。結衣もあわてて立ち上がる。


 そこは農家のような家の中だった。板敷の床に板張りの壁だ。横の板戸が大きく開かれていて、その開口の先には陽に光る緑の木々が茂っていた。あの三島の『楽寿館』の『楽寿の間』にあった絵画や畳は消えていた。もちろん、『次の間』を満たした水もない。二人を襲った鳥や鯉もいなかった。


 農家の中には誰もいなかった。結衣と京介だけだ。


 結衣が茫然としてつぶやいた。


 「ここは・・・いったい・・・どこなの?」


 京介も言葉が出ない。


 「・・・・・」


 そのとき、外で声がした。


 「ねえ、ここで写真、撮ろうよ」


 開いている板戸から、そろいの黒いワンピースドレスに、ド派手な金色と紫色のウイッグをつけた若い娘が二人並んで入ってきた。


 娘たちは京介と結衣を見て驚いたように足を止めた。無理もない。京介は上下黒のスーツ、結衣は淡いピンクの花柄のブラウスにベージュのロングスカートという服装だが・・・京介も結衣もびしょぬれだったのだ。木の床の上には、二人の衣服からしたたった水で、大きな水溜まりが出来ていた。


 金色のウイッグの娘が声を出した。


 「どうしたんですか? びしょぬれですよ?」


 京介は何と答えていいか分からず黙っていた。娘たちの眼におびえの光が宿った。すかさず結衣が答えた。


 「いえ、さっき、水道の水で手を洗っていたら、水道から水が吹き出してきて、止まらなくなったの。それで私たち、びしょぬれになっちゃったんですよ」


 娘たちは結衣の答えで納得したようだった。今度は、紫のウイッグをつけた娘が口を開いた。


 「まあ、それは災難でしたね。この農家のお隣のお店で衣装を売っていますから、衣装を買われてはいかがですか? とにかく、服を着替えないと風邪をひきますよ」


 京介が首をひねった。


 「衣装・・・?」


 金色のウイッグの娘が、着ている黒いワンピースドレスのスカートの裾を両手で大きく広げてポーズを取った。


 「私たち、さっき、この衣装を隣のお店で買ったんですよ。みんな、こういったコスプレ衣装を買って、写真を取って、SNSにアップしているんです」


 どうも話が理解できない。京介があわてて聞いた。


 「こ、ここはどこなんですか?」


 金色のウイッグが驚いて答えた。


 「えっ、どこって? ここ、たくみの村ですけど・・・」


 京介は首をひねった。


 「た、匠の村ですか?・・・匠の村って?」


 変なことを聞く人だと思って、娘二人が後ずさりをする。明らかに警戒した顔だ。結衣がとっさに京介に助け船を出した。結衣が京介に言う。


 「鏑木君。バカね。そんなこと、急に聞いても・・・聞かれた人も、どう答えたらいいのか分からないじゃない」


 そう言うと、結衣は娘たちに顔を向けた。


 「ごめんね。変なことをお聞きして・・・私たち、うっかりして迷ってしまったのよ。だから、ここがどこか分からなくなってしまったの」


 娘二人は結衣の咄嗟の言葉で状況が理解できたようだ。顔を見合わせてうなずいた。


 「ここ、広いですもんね。私たちも迷いそうだったもん」


 「いま、ここですよ」


 紫色のウイッグがポシェットから紙を出して、京介と結衣に見せてくれた。絵地図だった。絵地図には『虹の郷 園内マップ』と書かれている。金色のウイッグが地図の右上を指で示した。『匠の村』と書いてあった。


 「ああ、そうそう、確か『匠の村』だったわね。で、私たち、ここから移動したいんだけど・・・移動するにはどうしたらいいのかしら?」


 結衣が娘たちと話を合わせていく。こういうことをさせたら、京介よりも結衣の方が一枚も二枚も上手のようだ。


 紫色のウイッグが地図にある『匠の村』の左側を示す。赤いバス停のマークが見えた。


 「ここにバス停があります。ロムニーバスがありますよ」


 さすがに、今度は結衣も首をひねった。


 「ロムニーバス?」


 「ええ、イギリス村、カナダ村、匠の村を経由して日本庭園までを循環しているバスです」


 結衣が絵地図を見ると、バス停のマークの近くに真っ赤なバスのイラストが小さく描かれていた。


 「ねえ、この地図、いただけないかしら? 私たち、途中で地図を無くしちゃって・・・困っているの。無理を言って、本当にごめんなさい」


 金色のウイッグが紫色のウイッグの顔を見た。


 「別にいいわよねえ。私たち、入場するときにもらった地図をもう一枚、持ってるから」


 「そうよねえ。じゃあ・・・この地図を使ってください」


 紫色のウイッグが結衣にその絵地図を渡してくれた。親切な娘たちだった。結衣がお礼に言った。


 「どうもありがとう。じゃあ、あなたたち、この農家にコスプレの写真を撮りにきたんでしょう。では、私が写真を撮ってあげるわ」


 娘二人は結衣にカメラを渡すと、いくつかのポーズを決めて写真に収まった。そして、結衣にお礼を言って農家を出ていった。


 娘たちが出ていくと、京介が結衣に絵地図を差し出しながら、つぶやいた。結衣が娘たちの写真を撮っている間、京介が絵地図を持っていたのだ。


 「山瀬さん。この絵地図に住所が書いてあるんですけど・・・ここ、修善寺ですよ」


 結衣があわてて絵地図を受け取った。


 「えっ、修善寺? 修善寺って、あの、伊豆の?」


 「ええ、それで、山瀬さんがあの子たちの写真を撮ってる間に、僕がスマホで『虹の郷』というのを調べてみたんですが・・・」


 結衣が驚いた声を出した。京介を見ると、スマホを手にしている。


 「えっ、鏑木君。あなたのスマホは使えるの? 水に濡れなかったの?」


 「はい、僕はいつもスマホを防水ケースに入れているので、水には濡れていませんでした」


 結衣が肩に掛けたショルダーバッグから、自分のスマホを取り出した。バッグもスマホもびしょぬれだ。結衣は自分のスマホを操作したが、あきらめた声を出した。


 「だめだわ。私のスマホは濡れて作動しないわ」


 「じゃあ、山瀬さん。僕のスマホを使ってください」


 結衣が京介の顔を見て笑った。


 「そうさせていただくわ。でも、スマホが使えたなんて、鏑木君、あなた、お手柄よ。スマホがあるのとないのとでは、手に入る情報量がまるで違うもの」


 結衣に褒められて、京介の顔が赤くなった。それを結衣に見られないように、京介は自分のスマホに眼を落して、あわてて言った。


 「そ、それでですね。・・・ここなんですが、・・・絵地図に書かれている『虹の郷』というのは、調べてみたら、伊豆の修善寺にある大きなテーマパークなんですよ」


 京介はスマホに『虹の郷』のホームページを出して、結衣に見せた。結衣が京介の手元をのぞき込む。急いでスマホに眼を走らせた。


 それによると・・・


 『虹の郷』は静岡県修善寺にある人気のテーマパークだった。園内は『イギリス村』、『カナダ村』、『日本庭園』、『フェアリーガーデン』、『伊豆の村』、『匠の村』の6つのエリアに分かれているらしい。どのエリアでも、今の季節は季節の花々と美しい緑が満開だそうだ。また、どのエリアでも展示物やショッピングや遊びや食事を楽しむことができると書かれている。さらには、これらのエリア間をかわいい機関車やバスに乗って移動することが可能なのだそうだ。この機関車やバスも観光客の人気の一つになっているのだ。そして、『虹の郷』には、さっきの娘たちが言っていたように、コスプレ衣装を売る店が何件もあって、若い女性がさまざまなコスプレ衣装で写真を撮って、SNSに上げることが流行っているみたいなのだ。


 結衣は京介のスマホから顔を上げると、茫然となって言った。


 「じゃあ、私たちは三島の『楽寿館』から、修善寺の『虹の郷』まで瞬間的に移動したっていうこと? えっ、だけど・・・空間の移動だけだったのかしら? ひょっとして、時間も移動したんじゃないの? 鏑木君、スマホでは今は何月何日なの?」


 京介がスマホで日時を確かめる。


 「山瀬さん。日時は僕たちが『楽寿館』で鳥や鯉に襲われたときと変わっていません。だから、僕たちは・・・空間だけ移動したんですよ。でも、こんなことが起こるなんて・・・」


 結衣が首を振った。


 「鏑木君。私はもう驚かないわよ。ふすまの絵から抜け出した鳥や鯉に襲われたり、空間を移動したり・・・私たちは何故か、何かの超常現象の中に巻き込まれてしまったのよ。でも、超常現象が相手だったら・・・何故、こんなことが起きたのかって、いくら考えてもすぐに答えは出ないでしょう。いつかきっと、自然に答えが分かる時が来るわよ」


 「そ、そうですね。超常現象を考えても、僕たちに答えが分かるはずはないですものね」


 京介もそう答えるしかなかった。


 「で、山瀬さん。これから、どうします?」


 結衣が笑った。


 「決まってるじゃない。あの子たちが教えてくれた、隣のコスプレショップに行きましょうよ。何か適当な衣装を買って着替えるのよ。あの子たちが言っていたように、私たち、このままじゃ本当に風邪をひくわよ」


 それから、1時間後・・・


 結衣と京介は農家の隣のコスプレショップの中にいた。二人は、買ったばかりのコスプレ衣装に着替えて・・・自分たちの姿を店の中に設置してある大きな鏡に映していたのだ。


 鏡の前で京介の情けなさそうな声が飛んだ。


 「山瀬さん。こんなの、僕、嫌ですよぉ・・・」


 鏡の中には・・・なんと・・・ミニスカートのかわいらしいセーラー服を着た結衣と京介が写っていた。

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