第7話 死体発見
シャベルで土を掘り起こしながら京介が唄う。東京ゲーテ記念館の玄関に京介の唄が響いている。
「♪ 死体があるぞ。死体があるぞ。死体がここに埋まってる ♪」
乾いた布が少しずつ水を吸収するように、京介の不気味な唄が少しずつ周りの観衆に広がっていった。
何ということだろう。いつの間にか、周りの観衆も京介と声を合わせて、不思議な唄を唄っているのだ。もう東京ゲーテ記念館の前は不気味な唄の大合唱だ。
「♪ 死体があるぞ。死体があるぞ。死体がここに埋まってる ♪」
すると、京介を取り囲む観衆が唄いながら、少しずつ身体を左右に揺らし始めた。その揺れが少しずつ大きくなっていく。・・・いつの間にか、観衆は京介の不気味な唄に合わせて、身体を左右に大きく揺すりながら大声で唄い続けている。唄のリズムに合わせて、大観衆の身体がいっせいに右に左に大きく揺れた。まるで、巨大な波が東京ゲーテ記念館に打ちよせて、記念館の前で右に左に揺れながら渦を巻いているようだ。
京介が地面を掘る。京介の唄が響く。大観衆がその京介の唄を大声で唱和しながら、身体を左右に大きく揺らす。
「♪ 死体があるぞ。死体があるぞ。死体がここに埋まってる ♪」
さらに、その騒ぎに何事かと驚いて、家の外に出てきた近所の東京都北区西ケ原2丁目の人たちや、たまたま近くを通りかかった通行人たちが、次々と観衆の輪の後ろに並んで・・・それぞれが右に左に身体を揺すりながら、不気味な大合唱に加わっていく。
観衆の大合唱に押されるように、京介は一心不乱に地面を掘り続けた。不気味な京介の唄も続いている。
「♪ 死体があるぞ。死体があるぞ。死体がここに埋まってる ♪」
そのとき、数匹の猿回しのサルを連れた芸人グループが東京ゲーテ記念館の前を通りかかった。西ケ原2丁目にある
東京ゲーテ記念館からゲーテの小径をさらに北上すると、飛鳥山公園に行きあたる。その飛鳥山公園のすぐ東に七社神社がある。
七社神社の祭神は
猿回しの芸人グループは、東京ゲーテ記念館の前の大騒ぎに驚いて、何ごとかと観衆に加わって、京介が穴を掘るのを見つめた。やがて、芸人グループの人たちは、他の観衆と同様に右に左に身体を揺すりながら、不気味な大合唱に加わっていった。なんと、サルも周りの観衆に合わせて、身体を右に左に身体を揺すっている。東京ゲーテ記念館の前は、サルをも魅了する人気ロック歌手のコンサート会場のようだ。
京介はそんなことは知らない。唄いながら、土を掘り続ける。
「♪ 死体があるぞ。死体があるぞ。死体がここに埋まってる ♪」
「♪ 死体があるぞ。死体があるぞ。死体がここに埋まってる ♪」
「♪ 死体があるぞ。死体があるぞ。死体がここに埋まってる ♪」
・・・
大観衆が京介に唱和する。そして、京介の唄に合わせて、左右に身体を揺する。
ウワーンという喧騒と不気味な唄と熱気と身体を一斉に揺する観衆の揺動とが、混然一体となって東京ゲーテ記念館の前でぶつかり合い、渦を巻いて、晩夏の夕方の虚空にほとばしった。西ケ原2丁目一帯が騒然となっていく。大合唱が空気を切り裂いて、巨大な音の奔流となって西ケ原2丁目を飲み込んでいった。西ケ原2丁目一帯は、もう大変な大騒ぎだ。
その大騒ぎの中で、ふと京介の手が止まった。京介が叫んだ。
「ここに何かあるぞ」
京介の声に観衆の大合唱が少しずつ小さくなっていく。大観衆の身体の揺れも収まっていった。
土にまみれて出てきたのは、ひじから先の切断された人間の腕だった。
大観衆の中から、ヒャーという声にならない悲鳴があがった。
さらに京介が土の中から何かをつかんで引っ張り出した。今度は、膝から先の人間の足だった。誰かがゴクリと唾を飲み込む音が響いた。大観衆が注視する中で京介が叫んだ。
「みなさん。私、毎朝新聞、政治部の鏑木京介は、本日、世紀の大犯罪を暴くことに成功しました。この犯罪は、ご覧のように殺害した人間の身体をバラバラにした、恐ろしいバラバラ殺人事件なのです。そして、犯人は死体を東京ゲーテ記念館の前の、この木の根元に埋めたのです」
バラバラ殺人・・・その恐ろしい言葉が大観衆の中に染みわたっていった。もう大観衆の中で声を立てるものは誰もいない。
東京ゲーテ記念館の部長をしている川越は、結衣の横に立って、茫然と京介を見つめていたが、京介の言葉にフラッと地面に倒れかかった。結衣があわてて、両手で川越を支える。
「川越さん。大丈夫ですか?」
「し、死体が・・・バラバラ死体が・・・うちの記念館の庭にあるなんて・・・こ、これは何かの悪夢だわ。・・・そうだわ。警察に電話しないと・・・」
そう言うと、川越は紺のツーピースのスカートのポケットから携帯電話を取りだした。
「もしもし、滝野川警察署ですか?・・・私、東京ゲーテ記念館の部長をしている川越という者ですが・・・う、うちの東京ゲーテ記念館の庭に、バラバラ死体が埋まっているんです。・・・ええ、そうです。・・・バラバラ死体です。・・・今、新聞の記者さんが、バラバラ死体を掘り出したんです。・・・ええ、ええ・・・そうです。・・・す、すぐにこちらへ来てください」
滝野川警察署は七社神社のすぐ近くにある。パトカーが東京ゲーテ記念館の前に到着するまで、いくらも時間は掛からないだろう。
京介はそんなことには気づかない様子だ。懸命に土の中を手で探っている。・・・すると、京介が何か丸いものを土の中に見つけた。その丸い物の表面の土を払うと、人間の鼻がでてきた。さらに土を払うと、唇がでてきた。京介が震える手で、さらに土を払うと、人間の毛髪が出てきた。かなり長い髪だ。そして、金髪だ。京介は驚いた。
えっ、金髪? 殺害されたのは外人の女性だったのか?
そのとき、観衆の中にいた猿回しのサルが三匹、京介の方に飛び出した。三匹のサルは、すばやく、東京ゲーテ記念館の前のアプローチを駆け抜けると、ピョンと京介の肩に乗って、京介が掘っている穴の中に飛び込んだ。
一匹のサルは先ほど京介が掘りだした人間の腕を
最後のサルに引っ張られて、外人女性の頭部が土の中からスポリと飛び出した。京介を取り囲む大観衆の眼に、晩夏の夕方の太陽に照らされた女性の頭部と、キラキラと太陽の光を反射する、まばゆいばかりの金髪が眼に入った。大観衆の中に動揺が走った。
つ、ついに・・・頭部が出てきた・・・
三番目のサルが、女性の頭部を銜えたまま、京介の肩から大観衆の輪の中に飛び込んだ。それが合図だったようだ。一番目のサルと二番目のサルが、それぞれ人間の腕と足を銜えて、三番目のサルに続いて、大観衆の中に飛び込んだのだ。
観衆が大混乱に陥った。三匹のサルたちが、そんな観衆の大混乱の中を頭、腕、足を銜えたまま、縦横無尽に駆け回る。大観衆のあちこちから悲鳴が湧き上がった。
「キャー、人間の頭が・・・」
「う、腕だ・・・」
「わ~、足をこっちに持ってこないで・・・」
・・・
そこへ、滝野川警察署の数台のパトカーが東京ゲーテ記念館の前に到着した。先頭のパトカーを降りた数人の警官が大観衆の中に突っ込んでいく。それが大観衆の混乱をさらに増長した。逃げまどう大観衆の中で、警官たちの声が響いた。
「バラバラ死体はどこだ?」
「おい、そこのサル・・・人間の頭なんかを振り回すな・・・」
「大人しくしろ! 神妙にお縄につけ!」
・・・
一人の警官が話を聞こうとして、京介の方に走って来た。京介は土にまみれたシャベルを持っているので、ひときわ目立つのだ。
「おい、君。君が死体を掘り当てた新聞記者かい?・・・ちょっと話を・・」
警官には京介が掘った穴が見えなかったようだ。そう言いかけた警官が、京介が掘った穴にスポッと落ちてしまった。驚いた京介は、思わず手にしていたシャベルを取り落としてしまった。シャベルが穴の中に落ちていって・・・先ほど落ちた警官の頭にボォォンと音を立ててぶつかった。警官が穴の中で「びゃび~ん」と声を上げる。
それを見ていた大観衆の中から勘違いの声が上がった。恐怖が恐怖を呼ぶ。
「警官が殺されたぞぉぉ」
「あの鏑木という新聞記者が警官を殴って、死体を穴に埋めたぞぉぉ」
「いや、違う。鏑木が警官を生き埋めにして、シャベルで殴り殺したんだ」
「鏑木は殺人犯だ」
「バラバラ殺人も鏑木がやったんだ」
・・・
思いも寄らない展開に、京介は穴の周りに突っ立ったままだ。
な、なんで、僕が殺人犯?・・・
群衆の声に扇動されて、後から到着したパトカーから出てきた数人の警官が京介に走った。警官の罵声が京介に飛んだ。
「おい、そこのお前。そこを動くな・・・」
それに合わせて、恐怖にかられた大観衆の一部が京介に向かって走ってくる。なぜか、あの三匹のサルも、それぞれが人間の頭部、腕、足を銜えたままで、大観衆と一緒になって京介に向かってきたのだ。
後から走って来た警官、一部の観衆、三匹のサルが一斉に京介に押し寄せて・・・なんと、またもや全員と三匹が次々と京介の掘った穴に落ちてしまった。
ちょうど、最初に穴に落ちた警官が穴から這い出ようとしていたときだった。最初に穴に落ちた警官の頭に、後から穴に落ちた警官、一部の観衆、三匹のサルが落ちてきた。最初に穴に落ちた警官が再び「びゃび~ん」と声を上げながら、穴の底に押し倒されてしまった。
もう、狭い穴の中は大混乱だ。残った警官と周囲の観衆が驚いて穴の周りに駆けつける。
穴の中では最初に落ちた警官が、後から落ちた者たちに上に乗られて・・・苦しくて、無茶苦茶に手足を振りまわしていた。その足が女性の頭部を銜えたサルの顔を思い切り蹴り上げた。サルが「ギャァァ」と叫ぶ。すると、その勢いで、女性の頭部がサルの口を離れて・・・穴の中からポーンと外に飛び出した。
女性の頭部が穴から飛び出したのを見て、穴に駆け寄ってくる群衆の中から悲鳴があがった。すると、群衆の中の一人のおじさんがその女性の頭部を両手で受け止めた。まるで、ドッジボールで、飛んできたボールを受け止めたような格好になった。
一瞬、東京ゲーテ記念館の前が静寂に包まれた。
静寂の中で、おじさんが抱えた女性の頭部をしげしげと眺めた。そして、頭部を両手で持ったままで、京介に声を掛けた。おじさんの声が静寂の東京ゲーテ記念館の前にひときわ甲高く響いた。
「兄ちゃん。こりゃ、マネキンじゃねぇか?」
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