第6話 発掘
京介はその日の夜、横浜の独身寮の自分の部屋に戻っていた。夕食を済ませて、部屋のベッドに仰向けになっている。あれから夕方になって、結衣がクリーニング店に京介のスーツを取りに行ってくれた。それから京介はそのスーツを着て、やっと自分の住み家である新聞社の独身寮に帰ったのだった。
京介は『コリントの花嫁』と書かれた紙を手に持って眺めている。京介の頭に、今日、あれから結衣の部屋で結衣と交わした会話がよみがえってきた・・・
結衣の部屋の中で、京介は茫然と『コリントの花嫁』と書かれたメモを見つめていた。結衣が京介に確認する。
「で、鏑木君は、この紙には覚えがないのね」
「ええ、僕はこんなメモは書いていません。でも一体、いつ、僕のポケットに入ったんでしょうか?」
結衣が少し考えてから言った。
「一番考えられるのは、吸血鬼に扮した誰かが鏑木君に抱きついたときに、この紙をあなたのスーツのポケットに忍ばせたということね。つまり、吸血鬼が鏑木君にメッセージを残したのよ」
京介が相づちを打った。
「ああ、そうか・・・確かに、僕のスーツのポケットにこんなメモが入るのは、そのときしか考えられませんものね。でも、そうだとして、このメッセージには一体どんな意味があるんでしょうか?」
結衣は首をひねる。
「さあ、それは何とも・・私には分からないわ・・・それが分かったら、この事件は、おそらく解決するんだろうけれどね」
・・・しかし、結衣の部屋で二人の会話はそれ以上進まなかったのだ。
独身寮の自分の部屋のベッドの上で京介は考えている。
そうだ。山瀬さんが言ったように、この紙は僕へのメッセージだ。そして、吸血鬼に扮した誰かが、僕に抱きついたときに、僕のスーツのポケットにこれを入れたことは間違いないだろう。では、『コリントの花嫁』って、一体どんな意味なんだろう。このメモが僕へのメッセージであるならば、『コリントの花嫁』には何か深い意味が必ずあるはずだ。
京介は考えを巡らせた。
山瀬さんが教えてくれた『コリントの花嫁』の物語りは、『母親が病気になって異教の神に助けられた際に、娘がいけにえにされて、殺されて土に埋められた』という話だった。・・・ということは、この紙は、誰か女性が殺されて土の中に埋められているという犯罪の告発ではないだろうか?・・・そして、吸血鬼に扮した誰かが、そんな完全犯罪を告発するために、僕のポケットにこのメモを忍ばせたのではないだろうか?
京介の考えは続く。
でも、その人物はどうして警察に言ってでないのだろう?・・・そうか? きっと、その人物は犯罪組織の一員なので、警察にそんなことを言うと組織から命を狙われるんだ。でも、その人物は、犯罪組織を抜け出したいために、女性の死体が埋まっているということを、どうしても誰かに伝えたかったんだ。
京介の顔が険しくなった。
そうだ。きっと、そうにちがいない。・・・では、女性の死体が埋められている場所は?・・・この事件はすべてゲーテに関係している・・・
京介の脳裏に東京ゲーテ記念館が浮かんできた。
東京ゲーテ記念館?・・・そうだ、分かったぞ。死体が埋められているのは、きっとゲーテに関係する東京ゲーテ記念館だ。この紙は東京ゲーテ記念館のどこかに殺された女性が埋まってるという告発だったんだ。そして、そのことを、あの吸血鬼に扮した人物が告発のメッセージとして僕に残したというわけなんだ。おそらく、一昨年も昨年も、吸血鬼の人物はこのメッセージを抱きついた女性に渡したんだろう。だけど、渡された女性がそれに気づかなかったんだ。それで今年、僕がやっとメッセージを解いたということだ・・・
女性の死体か! 殺人事件だ。すると、これは大変な事件ということになる。そして、大スクープだ。この大スクープをものにするためには、何としてでも東京ゲーテ記念館から女性の死体を掘り出さなければならない。
どこだ。死体は? 埋めたというのだから、土が露出しているところだ。そんなところが東京ゲーテ記念館にあっただろうか?
京介は東京ゲーテ記念館を思い浮かべた・・・
翌日、京介は結衣と連絡を取って、15時に東京ゲーテ記念館の前で待ち合せた。
指定された時間に東京ゲーテ記念館に現れた結衣は、京介の姿を見て眼を疑った。
なんと、京介はいつもの黒のスーツにシャベルを持って、工事用のヘルメットをかぶっているのだ。そして、白いタオルを首に巻いて、黒の長靴も履いている。
結衣があわてて聞いた。
「鏑木君。その格好は一体どうしたの? どうしてシャベルを持ってるの? どうしてヘルメットをかぶっているの?」
京介が自信満々に結衣に答えた。
「山瀬さん。あの『コリントの花嫁』のメッセージの謎が解けましたよ」
結衣が飛び上がった。
「えっ、あの謎がもう解けたの。そ、それで、一体、あれは何だったの?」
「ええ。あれは、女性の死体が東京ゲーテ記念館に埋まっているっていう、僕へのメッセージだったんですよ」
結衣は思いも寄らない言葉に呆然となって京介を見つめた。結衣の口から絞り出すような声が出た。
「じ、女性の・・・し、死体ですって・・・この東京ゲーテ記念館に?」
結衣の声が完全に裏返っている。
「そうなんです。それで、東京ゲーテ記念館の周りを見回してみてください。山瀬さんは、どこに女性の死体が埋まっていると思いますか?」
京介はそう言うと、グルリと東京ゲーテ記念館を見わたした。結衣も京介につられて、東京ゲーテ記念館の周りを見る。二人が立っているところから、コンクリートのアプローチが真っすぐに東京ゲーテ記念館の玄関に伸びていた。玄関は全てコンクリートで造られている。死体を埋めるところなど、どこにも見当たらない。結衣が首をひねった。
「・・・」
すると、京介が大げさに両手を広げて見せた。右手に持っているシャベルがコンクリートのアプローチに当たって、カチンと乾いた音を立てた。
「ご覧のように、東京ゲーテ記念館の周りはコンクリートで固められていますよね。でも、一か所だけ土になってるところがあるんですよ。分かりますか?」
「・・・」
「それはここです。そして、女性の死体がここに埋まっています」
京介は東京ゲーテ記念館の、玄関に向かって左手にある植え込みをめがけて歩き出した。植え込みには1本の大きな木が植えてあり、周りをよく手入れされた生け垣が取り囲んでいる。京介は生け垣の前に立つと、持ってきたシャベルで、いきなり生け垣を崩し始めた。結衣が制止する間もない。
たちまち、生け垣に人が一人通れるような穴が空いた。結衣がその穴を見ると、生け垣の向こうに大きな木の根本が見えた。木の根本が土になっている。
あきれて見つめる結衣を尻目に、京介が穴から生け垣の中に入って、持っていたシャベルで、その木の根元を掘りだした。
「な、何をするのよ? 鏑木君。あなた、気は確かなの?」
京介が手を休めずに答える。
「山瀬さん。ここに女性の死体が埋まっているんですよ。掘り出さないといけません」
二人の騒ぐ声を聞いたのか、東京ゲーテ記念館の中から人が飛び出してきた。
「あ、あなた。ここで何をしてるんですか?」
中年でやせてメガネをかけた女性が血相を変えて、京介に詰め寄った。紺のツーピースを着ている。あわてて飛び出してきたらしく、足元はサンダル履きだった。昨日、京介の股間に本を投げつけた女性とは別の人物だった。
京介がシャベルを動かす手を止めて、女性と向き合った。京介が聞く。
「あなたは?」
「わ、私は東京ゲーテ記念館の部長をしている川越です。そんなところを勝手に掘って、何をするんですか! あなたは一体、誰なんですか?」
「僕は鏑木京介と言います。毎朝新聞の社会部の記者です」
川越が眼を白黒させて、声を絞り出した。
「し、新聞の記者ですって?」
京介が川越を諭すように言った。
「川越さん。あなたはご存じではないと思います。ここに女性の死体が埋まっていることを・・・」
「し、死体ですって! なんで死体がうちの記念館の庭に?」
京介がニヤリと笑った。
「コリントの花嫁ですよ」
川越が
「コ、コリントの花嫁ぇぇぇ?」
「まあ、川越さん。そこで見ていてください。もうすぐ、ここから女性の死体がでてきますから」
そう言うと、京介はわき目もふらずにシャベルで土を掘り始めた。
すると、ゲーテの小径を散歩をしていたおじさんが足を止めて、生け垣の向こうから暇そうに京介に話しかけた。
「兄ちゃん、土の中に何があるんだい?」
京介がシャベルを使いながら答える。
「おじさん。コリントの花嫁ですよ」
「えっ、コントの花嫁? この教会で何かコントが始まるのかい? 兄ちゃんは芸人さんなんだな?」
おじさんは東京ゲーテ記念館を教会と間違えたようだ。そして、教会の結婚式の余興か何かで、コントが始まったと思ったらしい。
おじさんが道に立って熱心に京介を見つめているので、おじさんにつられて、何人かの通行人が足を止めた。京介はそれに構わず一生懸命に土を掘り下げている。そんな京介を暇な観衆が見つめている。みんな、これから何が始まるのか興味津々の顔だ。興味が興味を呼んで、推測が推測を呼ぶようだ。観衆の中から、いろんな声が出始めた。
「何かコントをやってるらしいよ」
「違うよ。徳川の埋蔵金を掘り当てたらしいよ」
「徳川の埋蔵金? じゃあ、これはテレビの撮影なのかい?」
「テレビだって? すると、ここにアイドルタレントがやって来るんだね」
「いや、映画の撮影だろう。きっと、ハリウッドのスターが来るんだよ」
・・・
こうして、憶測が憶測を呼んで・・・時間とともに近隣の家からも人が出てきて、京介の周りに集まってきた。
観衆の数は少しずつ増えていった。そして、なんと、15分も経つ頃には、東京ゲーテ記念館の前には、京介を取り囲んで押すな押すなの人だかりができていたのだ!
むせかえるような大勢の人だかりの中で、京介は一心不乱に土を掘り起こしていく。土にシャベルを突き刺して、土をすくって、その土を玄関横のコンクリートのアプローチに運んで、東京ゲーテ記念館の玄関前に積んでいく・・・京介の動きが一定のリズムを持ってきた。
その一連の動作に合わせて、いつの間にか、京介の口から声が出ていた。
「♪ 死体があるぞ。死体があるぞ。死体がここに埋まってる ♪」
唄うような不気味なリズムだ。
結衣と川越は玄関の前に茫然と突っ立って、木の根元をシャベルで一心に掘り続ける京介を、大勢の観衆とともに見つめていた。不気味な京介の唄を聞きながら・・・
シャベルで土を掘り起こしながら京介が唄う。東京ゲーテ記念館の玄関に京介の唄が響いている。
「♪ 死体があるぞ。死体があるぞ。死体がここに埋まってる ♪」
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