第72話 幸先のいいスタート
瑠利は遠くに見えるグリーンを、眺めていた。
今日のピンポジは右の奥。
ここからの残りが227ヤード。
普通の選手であれば
けれど、瑠利は昨日の練習ラウンドで、同じようなところから
「どうしようかな」
彼女が悩む理由は、丁度いい番手が無いことだ。
3Wでは大きいし、
そうして悩むこと数分。
すでに同組でプレーする二人は打ち終えていた。
どちらもグリーンには届かないので、三打目を得意な距離へとレイアップしていたのだ。
彼女たちのボールは瑠利の前方、残り100ヤード付近に一つと、80ヤード付近に一つ。
グリーンの両サイドにガードバンカーはあるものの、曲げなければどうということはない。
「よっし、5Wでいこう」
瑠利はそう決断して、クラブを手にする。
コース攻略のセオリーは手前から。
奥には絶対に行かせないことが鉄則である。
そう考えれば迷う事なんてなかったが、周りの反応は少し違った。
「うそっ、届くの?」
榎本優花里は瑠利の手にしたクラブを見て、声を震わせる。
自分なら3Wでも無理だと自覚しているのに、まさかの5W。
次元が違う。
瑠利という存在は、恐怖でしかなかった。
けれど、それに比べて華彩秋良は全く違った反応を示す。
「なによ! ここまで飛ばして、結局刻むんじゃないの」
と、あまりにも自分勝手な解釈で、いまだ瑠利を下に見ていた。
それを冷ややかな視線で見つめる榎本優花里。
ただ、こうなってしまえば、彼女にとっても好都合だ。
『華彩秋良は確実に潰れる』
これはある意味チャンスである。
二人は友人であってもライバルだ。
団体戦のメンバーに選ばれているからには結果を求められるし、個人戦でも予選を通過するためには、敵である。
自動で枠が一つ空くのであれば、歓迎するしかない。
榎本優花里は愚かな友人の言動で、冷静さを取り戻すのだった。
瑠利の二打目。
綺麗に振り抜かれたボールは、先程のティーショットとは違って低く打ち出され、勢いよく飛んで花道を転がり、グリーンまで駆け上がっていく。
そして、一番手前ではあるが、コロンっとグリーン上にボールは止まった。
カップまでおよそ30ヤード。
ロングパットは残ったが、結果としては上々だ。
「よしっ!」
瑠利は小さくガッツポーズし、ご機嫌でバッグにクラブを放り込む。
『届けばいいなあ』くらいで打った打球がグリーンに乗ったのだから、嬉しいに決まっている。
だが、それを見ていた二人は完全に固まっていた。
「す、すごい」
僅かに身体を震わせながらも素直に驚く榎本優花里に対し、華彩秋良は明らかに動揺していた。
「う、うそでしょう。まだ200ヤードはあるのよ。5Wで届くわけないじゃない」
厳密にいえば、それはカップまでの距離であり、グリーンエッジまでは195ヤードほどだ。
それでも彼女からしてみれば考えられない飛距離であり、その結果に愕然とする。
「な、なによ、そ、そんなのズルいでしょう」
声を震わせながら呟く彼女に同情できないこともないが、それこそがゴルフというスポーツの本質。
飛距離というのは絶対的なアドバンテージであり、誰もが求め追及するが、結局は手に入らぬものなのだ。
榎本優花里の三打目。残り100ヤード。
衝撃的な瑠利の第二打を見て驚きはしたが、まだ自分を保ち続けている彼女は、冷静にグリーンセンターへ乗せる。
ピンは奥にあるのでオーバーを怖れて、無難な選択だ。
ここは確実にパーが欲しいので、正しい判断である。
華彩秋良の第三打。残り80ヤード。
ボールの傍まで来てライ(ボールがある場所の状態)を確かめながらも、頭には瑠利のショットが過る。
「あんなこと、私には無理。でも、これをピンそばにつけられれば……」
それはゴルファーにとって、悪魔ささやき。
ここは無理せずパーオン狙いが鉄則だが、すでに冷静さを失っている彼女には正しい判断が出来ていなかった。
結果……。
「あっ! 止まって」
勢いよく振り抜かれた打球は、明らかに大きい。
ピンより奥に落下し、コロコロと転がりグリーンをオーバーしていった。
結局、彼女は次のアプローチもミスしして5オン2パットのダボ。
榎本優花里は冷静さが功を奏し、3オン2パットのパー。
そして瑠利は2オンに成功し、イーグルパットは外したが、きっちり寄せてのバディと、幸先のいいスタートとなったのであった。
☆ ☆ ☆
ここは女子更衣室の一角。
そこに竜峰学園高等部女子ゴルフ部の選手たちが集まっていた。
「そろそろ、スタートした頃か」
更衣室に掛けられた時計を見て、そう口にしたのは主将の浜辺聖来。
東海地区大会では無敵を誇る竜峰学園の、今代のエースだ。
優勝こそが絶対の義務。
そのプレッシャーは半端ではないが、どこか面白がっているようにもみえる。
「ええ、もう少ししたら、報告が来ると思うわ。楽しみね」
その主将の言葉に頷き笑みを浮かべるのは、副将の澄田咲月。
彼女もまた、同じようなプレッシャーを感じているものの、一組目の報告が楽しみで仕方のない様子。
ただ、その二人と比べ嫌そうにするのは、二年生の香坂雫だ。
彼女もまた団体戦の選手であるが、一緒にプレーする相手が、ライバルの舞木りんだった。
「私はそんなの聞きたくないわ。だって、自分の事で精一杯ですもの」
それが正しく彼女の本音。
学園に流れてくる情報では、あきらかに朝陽瑠利は本当の化け物。
ライバル対決の控えている彼女は、関わりになりたくないのある。
と、そんなムードの中、偵察に出ていた一年生が、走り込んで来た。
ハアハアと息を切らし、その顔には焦りが浮かんでいる。
「報告します。トップスタートの朝陽瑠利ですが、1番ホールで2オンに成功。バーティを奪取し、次のホールへ向かいました」
この報告に、広角をあげる主将と副将。
「ほう、やはり噂通りか」
「ええ、そのようね」
と、いかにも楽しそうだ。
その後続けられた報告にも、当然だと言わんばかりに頷く二人。
「スタート前に鶴都学園の華彩秋良から、執拗に絡まれていたのですが動じす、全く影響はないようです」
「ふはは、そうだろうな。小物の遠吠えなどに、動ずるような玉ではないだろう」
「そうね、明日香先輩も言ってたけど、揺さぶりなんて、まるで意味をなさないでしょうね」
そう断ずる彼女たちに、死角はない。
むしろ、全国クラスの強敵が現れたことを、本気で嬉しそうにするのだった。
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