第55話 その頃、神川ゴルフ練習場では……

 瑠利たちゴルフ部員が春乃坂ゴルフクラブでコース練習をしている頃、神川ゴルフ練習場では受付で並んで座る陸斗と海未の姿があった。


 季節は5月。

 もう夏日を記録し、外では暑い日差しが降り注いでいた。


 練習場の打席に立ってボールを打つ彩夏も水分補給は欠かせないのか、事務室の冷蔵庫に何度も足を運び、ゴクゴクとスポーツドリンクを飲み、再び打席へ向かうの繰り返しだ。


 陸斗も「あっ、アヤナねえちゃん、また来た」と、それは面白そうに観察する。


 ゴールデンウィークということもあり、お客さんも普段よりは多く、この時間になっても出たり入ったり。

 いつもなら彩夏と一緒に練習をしたりしている陸斗も、今は店番だ。

 佳斗がいないというのも理由で、相変わらずの人手不足である。


 けれど、この状況は平日の午後(土日以外で祝日は出勤)しかいない海未とっては嬉しいご褒美で、時々鼻を押さえては、怪しげな行動をとっていた。


「はぁ……、相変わらず、リクトくんが可愛い」


 そんなことを小声で呟くも、当の本人には聞こえていないらしい。

 以前のように閑古鳥が鳴いているならともかく、最近では日中でもお客さんはいる。

 それが嬉しくて、陸斗は落ち着きなさげに視線を彷徨わせていた。



 駐車場に車が入り、数分後には入口の自動ドアが開く。


「「いらっしゃいませ」」


「おう、リクト! 今日は店番か?」


「うん、タケルおじさん。もう終わったの?」


「ああ、今日も散々だったよ。でもな、帰りに瑠利ちゃんを見かけてな。ありゃ、高校の部活動だったみたいだが、頑張っているじゃないか」


 そう語る葛城猛のプレーしてきたコースは、春乃坂ゴルフクラブ。

 どうやらパター練習を終えてスタートホールへ向かう瑠利を、最終ホールを終えてクラブハウスへ戻ってきた時に見かけたようだ。

 声こそ掛ける余裕はなかったが、ポロシャツの背中に書かれた春乃坂学園の文字は見えたので、間違いないと確信しているのである。


「タケルおじさん、ルリ姉ちゃんに会ったんだ。時間ギリギリだったみたいだけど、間に合ったんだね」


 陸斗はその話を聞いて、自分の事のように喜んだ。


 その理由は、今がとても楽しいからだ。




 これまでは父と子、二人だけの生活だった。

 日中は美里が手伝いに来たり、休日は詩穂とカエデが遊びに来たりと楽しかったが、夜になればまた二人だけ。


 祖父と祖母が亡くなったのが5年前。陸斗が7歳の時に交通事故で、一瞬だった。

 その2年後には母親を病気で亡くし、それから3年間が二人きりでの生活である。

 佳斗を慕い、訪ねてくる者も多くいるが、それはあくまでも一時的な事。


 けれど、あの日。

 瑠利が父・佳斗の弟子になりたいと現れた時から、世界が変わった。


 人員不足のために海未が派遣されてきて、同じような理由で彩夏もいてくれる。

 そして、何より瑠利の存在だ。

 たとえ父が留守の時でも、家に電気がつき、彼女が一緒にいてくれた。


 それから詩穂。

 女子寮が出来てからは、今回のように佳斗が遠征に出かける時、家を預かるのは彼女の役目。

 というか、母屋に部屋まで用意して、ほとんど住みついている状態だ。

 すぐ近くに実家があるのに、帰りもしない。


「だって、明日また5時でしょう。帰るだけ無駄」


 それが彼女の言い分だ。

 元々大学へ行ったら、家を出るつもりであった。

 それを近場で済ませているのだから、むしろ感謝して欲しい。

 家賃だって、払っていないんだから。

 ついでに給料も得ているのだから、誰からも文句を言われる筋合いはない。

 むしろ、佳斗からは感謝されている状況でもある。



 だから、陸斗は今が幸せだった。





 それから暫く、陸斗は受付でゴルフ雑誌を見ていた。

 所詮は子供のすること。

 訪れるお客さんは微笑ましそうにして、誰も咎める者はいない。


 というより、むしろこの状況は海未にとって、増々のご褒美。

 ページをめくり、知らない言葉が出てくると……。


「うみねえちゃん、これって何て読むの?」


『う……、近い……』


 そんな心の声は置いておき、海未は必死に冷静さを保とうとする。

 だが、子供特有の甘い香りが彼女を誘惑し、赤い奴が鼻に込み上げてくるのを感じた。


『ま、マズいわ』


「ねぇ、どうしたの?」


 ここで海未はグッと耐える。


「あ、うん、なんでもないよ。それはね、寛容性かんようせいって読むの。広い心で他人の考えを受け入れるという意味なんだけど、ちょっと難しいかな」


「う~ん、よくわかんない」


「グフォッ……」


「大丈夫? 体調悪いの?」


 どうやら海未、一旦は持たせたようだが、止めを刺されたらしい。


 陸斗が気を利かせて背中を擦ってくれるのも、マイナスだ。(もちろん本人にはプラス)


 怪しげな声を聞き取った詩穂が事務室から出てきて海未を一瞥すると、「ふ~ん」と一言。


「リクちゃん、その子はほっといていいから、代わりに対応してあげて」


「うん、わかった」


 そう言うなりも事務室へ戻っていく詩穂を見ながら、陸斗は「いいのかな?」と、首を傾げるのだった。




 それから数分、ようやく海未が復活。

 どうやら心の整理がついたらしい。

 手に持っていたハンカチは赤く染まっていたが、それを見せないようにトイレへと向かう。


 そして何気ないふりをして戻ってくると、再び陸斗の隣へ座った。


『ふう……、もう大丈夫。これ以上のことは起きないわ』


 そんな心の声はフラグというもの。


 平静を装い陸斗の相手をしながら仕事を続けていると、不意に寝息が聞こえてきた。

 どうやら海未の左腕の辺りにもたれ掛かり、寝てしまったようだ。


 中学生と言っても、まだ小学4年生並の身長しかない陸斗は、そのぶん体力がない。

 それを朝の5時から起きていれば、こうなるのも必然であった。


「どうしよう」


 状況としてご褒美。だが、流石にこのままではまずい。


 咄嗟にそう思った海未は、すぐに詩穂を呼ぶ。


「シホさん、ちょっといい?」


 陸斗を起こさぬようにと小声で呼んだが、事務室の中にいた詩穂には聞こえたようだ。

 すぐに出てきて、状況を確認。


「リクちゃん寝ちゃったのね。仕方ない、私が部屋まで連れて行くよ」


 そうして海未に寄りかかる陸斗を軽く持ち上げ、背中におぶって連れて行く。


 海未はそれを羨ましそうに見つめていたが、「さあ、仕事仕事」と、ようやく雑念を振り払うことが出来たようであった。






―――――――――――――――――――――


ここまでお読みいただきまして、ありがとうございます。


ついに10万文字まで到達しました。

これも全て、応援していただける読者様のおかげです。

本当に感謝いたします。


今回のお話、重い内容もありましたが、結局は海未のご褒美回です。

あまり出番のない彼女にもスポットをあてて、忘れられないようにとの配慮ですね。

書いてる僕もうっかり忘れそうになるので、それも理由です。



とりあえずは、明後日もう1話公開して、申し訳ありませんが少しお休みを。

その後は週に2回とペースダウンする予定ですので、もしよろしければそのままお付き合いください。


ありがとうございました。

 

 

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