第28話 詩穂の決断

 その日の夜。


 神川家の母屋で美里が洗い物をしていると、そこに詩穂が現れた。


「お母さん、ちょっと、いいかな?」


「なに? どうかしたの」


「聞いて欲しいことがあるんだけど……」


 深刻な表情で、そう頼む彼女。

 少し思いつめた様子であり、美里もこれはただ事ではないと、一旦水道の蛇口を捻り、場所を居間へと移した。

 

「で、話って」


「うん、それなんだけど……」


 詩穂はそこまで言って、二階にある陸斗の部屋の気配を探る。


 すでに営業を終えたこの時間、小学生の陸斗は寝ているのだが、万が一起きてきて聞かれやしないかと心配しているのだ。


「なになに、りっくんに聞かれちゃいけない内容なの?」


「あ、う、うん。そういうわけではないんだけど……」


「へえ~、そうなんだ」


 僅かばかりの動揺。

 美里は娘の反応を見て、おおよその見当をつける。


 考え得ることは、テレビ画面で見た佳斗の姿だ。

 あれを見たうえで、陸斗にも話せないこととなると限られる。


「もしかして、ここの事?」


「えっ」


 それはまさに図星であった。

 女の子なのだから恋バナなんてことも考えられるが、そこはやはり美里である。

 雰囲気から、それは無いと見抜いていた。


「あ~あ、やっぱりね」


「どうしてわかったの?」


「そりゃあ、可愛い娘のことだもん。わかるわよ」


 そんなことを宣う美里だが、本当の理由は単純。

 彼女もまた、同じことを考えていたからだ。


 あの映像を見た美里の考えは、『兄に、ここは狭い』であった。


 そして、詩穂も……。


「私ね、佳斗おじさんは、こんなところにいるような人じゃないと思うの。もっと、自由に大空を羽ばたいて欲しいっていうか……」


「そうね」


「だから、お母さん。ここの経営を、私に任せて貰ったらダメかな? もちろん、将来的にリクがやりたいって言うなら譲るけど、あの子もここに留まるような器じゃないと思うのよ」


 それが彼女の純粋な気持ちであった。


 佳斗だけでなく、陸斗も狭い箱庭に閉じ込めるのではなく、最初から自由な選択肢を与えてあげたい。

 その結果、それでもここに戻って来たいというのなら、その時は受け入れるつもりであった。


「わかったわ。兄さんには私から話してみるけど、あなた大学には行くのよね」


「うん、ここから通える春華しゅんか女子大で、経営学を学びたいと思っているの」


「そう、ならいいわ。ただ、両立なんて甘くないわよ」


「うん、わかってる」


 美里は娘の成長を嬉しく思う反面、兄や甥っ子の代わりに詩穂がここへ閉じ込められるのではと、懸念していた。 


「ハァ……、いつの間にか大きくなっちゃって……」


「なに? なんか言った?」


「ううん、こっちの話。でも、あなたも自分の幸せを優先させなきゃダメよ」


「もちろんだよ」


 

 こうして、また一人、神川ゴルフ練習場へ力強い仲間が加わった。


 これまで母の後に付いてきていただけの詩穂が、経営に参加すると決めたのだ。

 近場の春華女子大であれば、それほど苦も無く入学できる。

 なんせ、彼女の通う高校はレベルの高い春乃坂だ。

 もっと上を目指すことも可能であるが、現状これがベストな選択だと考えていた。



「それじゃあ、明日から手伝ってもらおうかしらね」


「えっ……」


「うふふ、朝六時だから、早く寝なさい」


「そんなぁ……」


 そして、早くも後悔する詩穂であった。


 というのも、ここに佳斗はおらず、瑠利も母親が迎えに来て帰っていった。

 そのため、陸斗だけを置いておくわけにはいかないので、美里と詩穂がお泊りしているのである。


 もちろん、カエデが拗ねたことは言うまでもないが、父親が寂しがるからと姉妹でジャンケンをし、負けたのだから仕方のないことである。

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