ひ・つ・じ・ど・ろ・ぼ・う

某自主企画さまに参加したくていろいろ考えていました。前2作が男性主人公だったので、今回は女性主人公が書きたい。ほのぼのBLとノアール・ブロマンスに続いて、コメディか、しばらく書いていなかった時代ものがいいな〜と書き始め、結局時代ものの方しか書き終わらなかったので、コメディネタの書き出しだけこちらに置いておきます。登場人物(?)たちはとても好きなので、また何らかの機会に続きを書くかもしれません。


***


『羊泥棒』


 デイライト・セービングをご存じだろうか。日の出が早まる夏に時計を1時間進めて、日中エネルギーをより効率的に使おうという制度である。さて、オーストラリアのニューサウスウェールズ(NSW)州では毎年10月の第一日曜日午前3時から開始されることになっている。ちなみにクリーンズランド(QLD)州や西オーストラリア州では取り入れられていない。もっと言えばオーストラリアは国内に3つのタイムゾーンが有り、さらにデイライト・セービングで国内時差が変わるという超ややこしいことになっている。


 時間が抜けている。毎年ログを見る度に笑ってしまう。午前2時から3599秒後は午前4時だ。大体次の日みんな寝坊する。前日の7時のつもりで起きても8時なのだから。365日24時間放送の全国ネットなどは、この切り替えと州ごとの時差が変わる調整がなかなかに面倒である。私は取り囲むモニターを見渡した。問題エラー無し。テレビの送り出し室(プレゼンテーション・ルーム)で働き始めて3年、今では夜間シフトにも慣れた。もっぱら再放送番組ばかり流している22時半から29時(午前5時)、一体このご時勢視聴者なんぞいるのか疑わしいが、送り出し施設があるのだから使っても使わなくても採算が取れないのが実情だろう。ともかくだ。


 留学費用ですっからかんになってしまった貯金を埋め合わせてくれたここでの給料には大変感謝しているが、家と職場の往復では日本に住んでいるのとあまり変わらない。ああ、どこか遠くに行きたいなあ。QVBのカフェでお茶するのもいいけれど、新しいところへ行ってみたい。このふらふらとした性格のせいで、アラサーになっても海外でその日暮らしをしているのだが。溜め息をついたその瞬間、ざぶん、と何かが水に落ちたような音がして、モニターが一斉に暗転した。

「なんで……ジェス!」

 腰を浮かして二つ隣りのデスクにいるはずの先輩同僚シニアを呼んだが、さっきまで鼻歌まじりにコーヒー片手でファイルの整理をしていたジェシカは、もうどこにもいなかった。それどころか部屋全体が静まり返ってしまって、ぞっと背筋に悪寒が走る。オンコールになっているスーパーバイザーに電話をしようと携帯を取り出すと、もっと奇妙なことになっていた。停電であろうが、バッテリーは充分であったはずの携帯電話も、全く起動しない。どういうことだろう、ブーーンブーーンとモーター音のような水が渦巻くような音が響いてきた。とにかく誰か探さなければならない。私の手に負えることではない。慌てて防音ドアに駆けていき、重い取手を回して跳び出る。薄暗い廊下には人っこ一人いない。人は、いない。


 曲がり角から、ひょこりと影が頭を出した。ふさふさとした長い首、長い脚……駱駝らくだだ。


////////


 ぺたりぺたりと廊下を渡り近づいてくる。長いまつ毛がぱちぱちと揺れてこちらを覗き込む。かわいい。いや、今はそれどころではなかった。それどころ? 駱駝がここにいることがそもそもおかしい。第一にここはシドニー郊外の某ネットワーク系放送施設であって、セントラル・オーストラリアではない。第二に室内である。第三に、なんで私と駱駝しかいないの。私は呆然として駱駝を見上げた。駱駝はにっこりと笑い、首を伸ばして私の肩を押す。どこかに連れていきたいらしい。きっとこれは夢だろう。仕事中に寝落ちるなど初めてでもないが、夢を見るまで寝こけたことはなかったはずだ。ぐいぐいと鼻先で押され、やはり誰もいないサーバ室の前を過ぎ、キッチンを通り、大部屋脇を抜けてドアホールに出る。どこにも誰もいなかった。もちろんレセプションもも抜けのからだった。嫌な夢だ、早く覚めればいいのに、と思うが、背後でもふもふしている駱駝は人懐っこくて、ホラーっぽくない。正面玄関を出ると、青白く浮かび上がった砂利のロータリーに、見慣れないものが転がっていた。

【助けてええ】

 甲高い電子音のような声がして驚く。ロータリーに突っ伏し、起き上がれなくなっている簀巻き状のそれには、見覚えがあった。シティの大型レスランチェーンで配膳をしているロボットだ。引っ張り上げてやると、顔に当たるスクリーンに映し出されたまん丸い目が、あざとくウルウルしている。

【まさか人間が来るなんて】

「どういう意味」

【ここは“存在しない時間“。人間がそう決めたのだから、その人間が来ることはできないはず……“羊泥棒“を除いて】

 ネコを模した目と眉と口がキュルキュルとよく動く。駱駝がのっそりと傍らに立った。

【説明した方がいいって? まあそうね……。今夜人間は時計を1時間進めるでしょう、でもその間に起こっていることもあるってこと】

「駱駝に会うとか、配膳ロボットが喋りまくるとか?」

【僕はロボットじゃない、ネコ!】

 プンスカ、と極端な表情をつくるネコ型ロボット。カラダは中空で、トレイが何段にも差し入れられるようになっている。移動は底辺のローラーだし、人語を話す。ネコどころか大先輩のドラ○もんにすら見えないじゃん。という私の微妙な心理を察したのか、チャット機能が大全開になってしまった。

【ロボットだったらこの時間帯にいられないよ! オフィスの中見たでしょう】

「どういうこと?」

【“機械“は“時間“で規定されるから、“存在しない時間“には存在しないんだよ】

「機械には時計が内蔵されてるから?」

押され気味に問答していると、駱駝が割って入ってきた。概念ネコに首を向け低く鳴き、こちらに向いてまたにこりと笑う。かわいい。けれど何か少し寂しそうだ。概念ネコは眉を盛大にしかめつつ、電子音を響かせる。

【それもあるけど、機械っていうのは人間を規約することが使命だからさ。人間が己れに課すシステムの代理執行装置なんだよ。機械が無いと、人間は容易に決め事を忘れたり、違反したりするからね、ナナオみたいに】

「なんで私の名前知ってんの!?」

 へへん、と概念ネコは得意そうな表情をつくる。駱駝はぼああ……と溜め息みたいな声を出して首を振る。なんだかこの駱駝も人語が分かっているみたいだ。以前何かの記事で読んだことがあるけれど、動物の中にも人間のような思考を持っているものがいるらしい。ただ彼らは人間のように発話できないので、私たちは気付かないだけだ。

【レストランに来たことあるでしょう、お友達と】

「やっぱりロボットじゃない」

【ネ・コ・で・す!! 日本ではラジオ局のアシスタント・ディレクターしててえ、辛くて耐えきれなくて『遠くにいくので探さないで下さい』って辞表届け出して、そのままオーストラリアまで来ちゃったんでしょ、お客様の言ってたこと全部記録してるもん】

 黒歴史を引き合いに出されて私は頭に血の気が上る。分かっている、この堪え性の無さ、移り気、よく言えば冒険主義でドリーマーなところが、定職につくことを難しくしているし、自分の家族を持つなんて多分一生無理だし、元カレには「いい年して海外放浪するなよ」と心配される要因なのだ。分かっている、けれどそれが私だからしょうがないのだ。せいぜいこれ以上他人さまに迷惑かけないように生きていくだけである。

「ロボットだ!」

【ネコです! 僕もいつかバイオリン弾けるようになれるんだから】

 ほとんど子供の喧嘩である。駱駝はぼうぼう……と困った呟きを漏らして、ほとんど取っ組み合いになりそうな私たちを引き離す。

「ネコがバイオリン弾ける訳ないでしょ、童謡マザーグースじゃあるまいし」

【ここは“存在しない時間“で“規定が働かない“んだよ、だからネコだってバイオリン弾けるはず】

 なるほど、たぶん人間が考えるところの『あってはならない』ことが『あるかもしれない』のが、この時間帯なのだ。やけに凝った夢である。駱駝はついにぼえ〜〜と長いまつ毛からぽろぽろ涙をこぼして泣き出してしまった。さすがに概念ネコも悪いと思ったのか、慌てて私に本題を振る。

【それで、僕たちはナナオの助けがいる】

「またダレかひっくり返ってんの」

【違う! “羊泥棒”を捕まえたい】

 この時間帯には、昔からもう一人人間が住み着いてるんだ。羊を攫って、逃げ続けている男がね。僕たちは規約から自由であるためにここにいるのに、あいつを恐れなきゃならない。“マチルダの呪い”だよ。

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