別れと再開とそれと...

まだ空も白み始めた頃。

こんな朝早くから、おじさんと叔母さんが何やら準備をしていた。

「今日は、森の奥に咲く花と、木を切りに行くからついて来な」

と薄いパンを私に持たせて森の奥へと連れ出した。くどくど文句を言っている二人についていきながら、昨日子やから持ってきていた薔薇の花びらを数枚撒きながら歩く。

私が見たこと無い所で立ち止まって、

「メリュジーヌ、私達は木を切ったり、花を摘んでくるからここで待ってるんだよ?いいかい?私たちが戻ってくるまで絶対にここから離れちゃ駄目だからね?」

「はい…」

私は言われた場所に座って、しばらくおじさんの木を切る斧の音を聴きながら薄いパンを食べて、少ししたらウトウトし始めた。前夜にあまり寝れていなかったのと、あまり歩かない距離を歩いたせいでいつの間にか眠りについていた。

 ふわふわした記憶。

フカフカのお布団の中でお母さんとお父さんは笑い合っていた。

「本当にこの絵本が大好きなのね」

「うん!」

お母さんは『ヘンゼルとグレーテル』をよく読み聞かせてくれた。

「私もこの本大好きなの。貴方は?」

お母さんがお父さんに聞くとお父さんは困った顔で言う。

「えー?俺?どうだろ…あ、お菓子の家はあったら見てみたいなーってよく思ってたよ」

「私も。さ、もう寝ましょ」

お母さんはランプの火を消して、私の頬に口付けた。お父さんも同じように額に口付けをして私に人んを掛け直す。

「お父さん、お髭いた〜い」

「あらあら」

お母さんが微笑ましく笑う。私にとって一番大切な思い出。

優しく撫でる母の手が、髪を乱暴に掴む叔母さんの手に代わって木の棒で何度も何度も私の体を打ちつけてくる。

「お前のせいで二人は死んだんだ!魔女に食われて死んでしまえ!」

思い出なんだ。思い出でしかないんだ。幸せは。

「ごめんなさい、ごめんなさい…」

うずくまって耐えるだけの私の肩を揺すぶる腕があった。大きくて、あったかくて、優しい手。

「…い、おーい」

薄目で見ると、私の肩を大きく揺すぶる男。

綺麗な金髪。ダボダボのインバネスコート。エメラルドのような吸い込まれるような綺麗な瞳。そして口にはリポキャンディー。

あれ?この人…

「ここで寝たら、風邪引くぞー」

「ん…飴の…お兄ちゃん…?」

「え……グレーテル…?」

ぱっちりと綺麗なエメラルドグリーンの瞳が開かれて、驚いた顔をする。

「ん…?」

私が目を擦りながら首をかしげると「あ…」小さい声を出して驚いた顔からハッとしてエヘヘ…と照れ笑いをする…

「わリィわリィ、久し振りにそう呼ばれたから、妹と勘違いしちまった」

光る様な金髪を揺らして、私の頭をガシガシと撫でる。

「お前、花売りの嬢ちゃんだろ?あのリンゴみたいで美味そうな。こんなところで何してるんだ?」

「叔母さんたちを待ってたら寝ちゃって…」

「そうか…」お兄ちゃんは気まずい顔をして、私を抱き上げた。

「んじゃ、お前はどうしたい?」

綺麗な顔で聞いてくる。このままこのお兄ちゃんと、居たいと言えば、どこかへ連れてってくれるかな?

「お…」

『お前のせいで二人は死んだんだ!』頭の中でおばさんの怒鳴り声が聞こえた。

私が、私みたいなクズが、助けを求めていい訳が無い。

「ん?」

私は首を傾げるお兄ちゃんの服をしっかり掴んで言う。

「おうち…に、帰らなきゃ…」

震えるかをだを抱きしめて、エメラルドの瞳が見透かしてくる。

「なぁ、このまま連れ去っても良いか?お前をこのまま帰したくない。俺の傍に居るのは嫌か?」

「え!えぇと…」

ワタワタしながら言葉に詰まる私を見て、お兄ちゃんは楽しそうに笑う。

「なーんてな。その返事はまた今度。とりあえず、薔薇の花びら追ってけばいいか?」

「え?うん…」

お兄ちゃんは私の口にリポップキャンディーを入れて抱き抱えたまま歩き出す。

「あれ意外と分かりやすいな。俺もやったけど、よくバレなかったなー。アイツらもそれなりに動揺してたってことかな?」

笑いながら言っているが、お兄ちゃんエメラルドの瞳が見ている先は満月より遠くだった。

「お兄ちゃん?」

呼び掛けると人懐っこい笑顔で笑う。

「なんでもねぇよ。まぁまぁ距離あるし、ショートカットするか!」

目の前の大木に向かってお兄ちゃんが助走をつけて走り出す。

「えぇ!」

私はぶつかる衝撃に体をこわばらせてぎゅっと目を瞑る。「はは!目を開けてみろよ!」その声と共に頬を撫でる強い風。強く閉じた瞼を恐る恐る開けてみれば、眼下に広がるのは月に照らされる森とその先にある街の明かり。いつもおきいと思った町も山も全部小さくて、作り物みたいだった。

「不思議だよなーこうやってみると世界はちっちゃくなるんだ。この景色は魔法持ってる奴の特権だな!」

無邪きな笑顔でお兄さん言う。

「はわ、わわ!す、すごい!綺麗!空、飛んでる!夢見たい!」

きっと今、自分の目に映るこれから先の人生で最も美しい景色なんだと思った。

「にゃはは!俺は魔法使いハンス様だからな!これぐらいお茶の子さいさいだ!」

「すごい!」

「あ、お前の家に着くぞ。降りるからしっかり捕まっとけ」

歩いて何時間もかかる距離を、ほんの一瞬で着いてしまった。

「す、すごい!お兄ちゃん!すごい!」

家の前で下ろされた後も興奮で手が震えていた。絵本のように私は空を飛んだのだ。夢みたい。

「お気に召したならよかった。あ、そーだった。大事なことを忘れてた」

「?」

首を傾げる私の手を取って、お兄ちゃんは私の手にちゅ、と口付けをした。私は驚きのあまり何も言えなくて顔を赤くするしか出来ない。

「よし、手の傷は治ったな」

お兄ちゃんの手に包まれる自分の手を見ると、赤切れはやトゲの傷は跡形もなく無くなっていた。

「あ、ありが…と…う…」

お兄ちゃんの顔を見て口付けた瞬間と指先の感触が蘇ってまた顔が熱くなってしまう。

「んだよ、そんな真っ赤にして。アップルパイみたいで食べたら甘そうだな」

「〜〜〜っ!か、からかわないで!」

「別にからかってねぇんだけどなぁ」

お兄さんは呟いて叔母さんの家のドアを叩く。

「はーい」

ドアの奥から聞こえて来たおばさんの声は不機嫌で上擦っていた。扉が開かれて、叔母さんがお兄ちゃんを見て私を見るとほっとした様な、安心した様な顔をしたあと、いつもの酷く不機嫌な顔になって眉間に彫り込まれたシワを作る。

「お忘れ物でーす」

お兄ちゃんは笑顔なのに怖い声だった。叔母さんは私の腕を痛いぐらい握って家の中に引き摺り込んだ。

「誰だい?アンタ。ここらじゃ見ない顔じゃ無いかい」

叔母さんの手は私の腕をギリギリ強く掴む。「い、いたい…」

「昔からここに住んでますよ。ずっと前からこの森に」

「はあ?」

叔母さんとお兄ちゃんが睨み合う。

「はぁ、アンタ自分の事しか考えてないんだな。“あの森に人喰い魔女がいるのを知らないわけじゃねぇだろ!”」

お兄ちゃんは私の腕から叔母さんの手を話して捻り上げた。

「いてて!なんなんだよ!アンタ!」

「アンタじゃねーし。俺にはヨハネスって言う名前があるんだっつーの」

叔母さんは、ヨハネス、と聞いて驚いた顔をした後、売り物の花が入った花瓶をお兄ちゃんに向けて花ごと水を被せた。

「離せ!二度と関わるな!」

怒鳴り散らして強く扉を閉めた。叔母さんは私を鬼の様な顔で睨みつけると、私のボサボサの髪を鷲掴みにして物置の方へと引きずる。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!もうしませんもうしません!もうしませんからやめてください!ごめんなさい!」

乱暴に掴まれた髪がぶちぶちと音を立てて引き抜ける。おじさんはその様子を見ない様に顔を背けていた。

たすけて!と心が叫んでも、私の細い手はいつだって何も掴めない。助けを求める声も謝罪の言葉しか出ない。

叔母さんはうずくまる私を木べらで叩きながら、呪いの様に言う。

「お前が居なければ、お前さえ居なければ!私は幸せになれたんだ!お前のせいでお前のせいで!なんで家族が死ななくちゃならないんだ!お前が死ねば!私はこんなの怖がらなくて済んだのに!」

ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい

「ごめ…ん…なさ」

「泣くな!痛がるな!悲しむな!死んだ姉さんと兄さんの方が痛かった!怖かったんだぞ!生き残ったお前にそんな権利はない!」

叔母さんは泣きながら叫ぶ様に言う。

その通りです。その通りです。ごめんなさいごめんなさい。生き残ってごめんなさい。

薄れる意識の中で手を伸ばす。掴むのはいつもと同じ。何も掴めない。

 目を覚したのはおじさんの背中だった。気絶していた私はどこだか分からない森の奥に連れてこられていた。

体が痛い。きっと昨日の折檻で身体中があざだらけなんだ。

昼間のはずなのに火の光が届かない森の奥の大きい石の上の上に下ろされた。おじさんは私の肩を強く掴んで、泣きながら訴える。

「メリュジーヌ。いいか、お前はもう家に戻ってくるな。今度こそマリ…叔母さんに殺されるぞ!このまま獣道を真っ直ぐいけば隣町に着くはずだ。すまない…すまない…こんなことになってしなって本当にすまない…!お前が居たら…マリジアが壊れてしまう…!お前が…居たら!」

ああ、私は愛されないんだな…ただ、あの頃の愛が欲しかっただけだったのに。

泣き崩れながら縋るよに崩れ落ちるおじさんの肩を優しく撫でる。

「おじさん…ありがとう。ごめんなさい。もう大丈夫だよ。一人で歩くから」

「すまない、すまない!」

私は岩から降りて、おじさんが言った獣道に沿って歩く。最後に一度、振り返って手を振る。おじさんは苦しそうに泣いていた。私が見たおじさんの最後の姿だった。

 あれからどれだけ歩いただろう。

お腹がすいた。ずっと。

足が痛い。足の裏がボロボロで痛い。

治りかけの痣が痒い。

暗い森の中。自分がどこに居るのかどころか、右も、左も、前も、後も、分からない。昼間のはずなのにほの光がない森にただ一人。

言われた通りに歩いてきたはずなのに、歩いているはずなのに。失敗した。また失敗した。何もできない私は、ここで消えちゃうのかな?

駄目だな…、ずっと歩いてたから…疲れちゃった…

私は何日歩いてたっけ?三日?四日?それとももっと?

私は草が生い茂っているフカフカな所に寝転んで眠りに付く。

もしかしたら私は、二度と目が開けられないのかも知れない。私はちゃいけなかった。最初から死んでいればよかった。ごめんなさい。おじさん、叔母さん…二人で幸せになってね。

お腹すいたなぁ

どこかでそう思いながら目を閉じた。

『キューキュー』

綺麗な鳥の鳴き声が聞こえて目を開ける。前を見ると薄暗い森の中に青白く深雪のように光る美しい鳥が居た。

「綺麗…」

『キューキュー』

白く綺麗な鳥は大きい翼を羽ばたかせて、少し先の枝に止まった。

「ついて行けば良いの?」

『キュー』

私は吸い寄せられるように鳥について行こうとした時、私の手を何か固いものが掴んだ。

「やっと見つけた!」

「へ?く、クッキー?」

大きいジンジャーブレットクッキーが私の腕を掴んでいる。

「僕はハンスの作ったクッキーさ!名前はクッキー!クッキーだからクッキーだよ!あ、お腹すいてる?はい!腕!」

「きゃああ!」

いきなり腕を折って渡される。でもお腹が空いて、香ばしい香りに釣られてしまい、腕を受け取って恐る恐る一齧り。あまりの美味しさに一気に腕を食べてしまった。

「どう?美味しい?ハンスの元へ行こう!心配してるよ」

「心配?ハンスって、ヨハネスの事だよね?」

「うん!ハンスはここ五日間ずっと君を探しているんだ!ハンスの家に早く行こ!人喰い魔女に見つかる前に!」

「うん!」

この時私はクタクタだったのに不思議と走れた。ハンスに会いたい。そう思ったら足が止まらなかった。

しばらく走っていたら、

「おーい!ハンスー!」

クッキーが叫ぶと地鳴りの音と共にハンスが走って来た。物凄く怖い顔で。

「ヒィ!」

殴られると思って強く目を閉じると、優しく抱きしめられる感触。優しい力がだんだん強くなってハンスの体が震えているのが伝わってくる。

「よかったぁ、よかったぁ!生きてた…無事でよかった…!」

こんなふうに抱き閉められたのはいつぶりだろう。

苦しいぐらい抱きしめられて、心配されて、よかったと抱きしめられたのは…この苦しさが、嬉しい。

「あ、ありがとう、お兄ちゃん…ひぐっありがとう…!」

「嗚呼。もっと早くみつくけやれなくてごめんな」

自分の頬を流れるものが涙だとわかったら、上手く喋れなくて嗚咽と鳴き声が森に響いた。

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