第9話

月明かりの下、蒼汰とアリアーナは森の中を進み、森の老獣、ガジャナという記憶する象と出会う。ガジャナは巨大な体を慎重に動かしながら、彼らの前に現れた。その姿は壮大で威厳があり、それでいてなんとも温かい眼差しを向けていた。

その瞬間、蒼汰は頭がふわりと軽くなり、世界が一瞬停止したような感覚に襲われた。まるで時間がゆっくりと流れ、自分だけがその流れから外れているような感覚だった。彼はその不思議な体験に驚きながらも、何が起きているのかを理解しようとした。

アリアーナはガジャナと目を合わせ、口を開いた。「ガジャナ、私たちは遺跡を探しています。その場所を知っていますか?」と彼女は聞いた。

蒼汰はアリアーナとガジャナの間で交わされる会話を理解することができなかった。しかし、彼女が象と会話していることは理解できた。彼女の口元が動き、象の大きな瞳が彼女をじっと見つめている。それはまるで彼女が象と何かを伝え、象がそれを理解しているかのように見えた。

彼女は蒼汰に向き直り、「この力は私だけに与えられたもの。一部の知恵ある動物たちと意思を通じ合うことができるんだ。」と語った。


その力はアリアーナにとって特別なもので、彼女自身もその力を神秘的だと感じていた。しかし、その神秘性が彼女を生贄として森に捧げる運命に繋がったのかもしれないと、蒼汰は思った。彼女がその特別な力を持っていたからこそ、彼女は森に生贄として捧げられ、彼女の命が危険に晒されていたのだ。


荒涼とした地形と厳しい気候、さらには森の奥深くに住む未知の生物たち。それら全てを乗り越えながら、蒼汰とアリアーナは忘れられた神殿へと足を進めていた。

その途中、アリアーナは突如として蒼汰に対して意外な提案をした。「蒼汰、私の主人になってほしい。」彼女の声は静かでありながら、その中には揺るぎない決意が込められていた。

蒼汰はその言葉に驚きを隠せなかった。「え?」と彼は驚愕の声を上げる。彼女が何を言っているのか、その真意がまったく理解できない。彼女が奴隷身分であることは知っていたが、それが自分にどう関わるのか、全く見当がつかなかった。

その時、蒼汰の視線はアリアーナの左腕に留まった。彼女の腕には、複雑なパターンと特殊な記号が刻まれた刺青がある。それはただの装飾とは異なり、何か特別な意味を持つように見えた。

この刺青は彼女の奴隷としての身分を表しているのだろうか。それとも彼女が誰の所有物であるかを示すものなのか。蒼汰の心は混乱で満ちていった。


蒼汰とアリアーナの間に漂っていた緊張が静まり返った森に広がり、その静寂を破るかのように、森の精霊の声が響き渡った。「契約を結ぶならば、私が承認しよう。」その声は力強く、神聖さを帯びていた。「この契約は何よりも優先されるべきものだ。」

蒼汰は精霊の言葉をじっと聞いていたが、その意味を完全に理解するには至らなかった。彼はこの異世界での「主人」という概念について、まだ何も知らなかった。それは彼が育った世界とは全く異なる価値観、制度であった。

その疑問をアリアーナにぶつけることにした。「アリアーナ、ここでの主人とはどういう意味?」蒼汰は彼女に向かって尋ねた。彼の声は困惑と不安が混ざり合っていた。

アリアーナは蒼汰の質問を受け止め、少し考え込んだ。

「主人とは、奴隷の生命を守り、奴隷が主人に対して忠誠を尽くすという義務を持つ者。」アリアーナが説明した。彼女の目は蒼汰をじっと見つめていた。「この世界では、主人と奴隷の間には魂の神聖な絆が形成されるの。それは深い精神的、情緒的なつながりを意味し、主人が奴隷の感情や苦痛を共有する能力を持つの。この絆は神々によって祝福され、保護されているのよ。」

蒼汰は少し考え込んだ。その契約が彼にどのような影響を及ぼすかはわからなかったが、アリアーナの安全を確保するためには、最善の方法であることは明らかだった。彼はアリアーナを見つめ、ゆっくりと頷いた。

「分かった、アリアーナ。私があなたの主人になろう。でも、それはあくまでこの世界のルールに従うためだけだ。私たちは平等なパートナーだと心に刻んでおこう。」

アリアーナの目が輝き、ほっとしたように微笑んだ。「ありがとう、蒼汰。この契約が私たちをより強く結びつけることでしょう。」


その後、二人は再び遺跡に向かい、この奇妙な世界からの脱出を目指す旅を続けた。


忘れられた神殿の荘厳な門をくぐり抜けると、蒼汰とアリアーナは古代の石碑に囲まれた広場に足を踏み入れた。空気には古代からの重厚な静寂が漂い、息を呑むほどの雄大さが広がっていた。

「ここで儀式を行いましょう。」アリアーナが、まるでこの神殿に何度も訪れたことがあるかのような落ち着きで提案した。

彼女は地面に円を描き、その中に彼らの象徴となるシンボルを刻み込んだ。蒼汰が感じるところでは、それは神聖で神秘的な力を放っているようだった。

「私たちはこの円の中で契約を交わすの。そして、私たちの意志が一つになることで、神聖な絆が生まれるのよ。」アリアーナが説明した。

蒼汰は彼女の言葉に深く頷き、アリアーナと一緒に円の中に入った。彼らは互いに手を取り合い、目を閉じた。その瞬間、互いの心が見えるかのような感覚に襲われた。

「私、アリアーナは、蒼汰を私の主人と認め、彼に忠誠を誓います。」アリアーナが堂々と宣言した。

「私、蒼汰は、アリアーナの主人となり、彼女の生命を守ることを誓います。」蒼汰も同様に誓った。

その瞬間、彼らの間に強烈なエネルギーが流れ、蒼汰の腕にはアリアーナと同じ刺青が浮かび上がった。それは奴隷と主人の間の新たな絆の証だった。

神殿全体が震え、2人の契約を祝福するかのような音が響き渡った。そして、静寂が戻り、彼らは新たな絆を結んだことを深く胸に刻んだ。


契約の儀式が終わり、神殿全体が再び静寂に包まれた。

「こっちに行こうか。」アリアーナが小さな声で提案し、蒼汰は頷いた。彼らは石碑の間を進み、古代の神殿の壮大さに圧倒された。それぞれの石碑には、古代の文字が刻まれており、それらが神殿の歴史を語っているかのようだった。

蒼汰とアリアーナは互いに距離を保ちつつも、ときおり視線がぶつかり、すぐに目を逸らす。新たな絆が2人の間には存在していたが、まだ新しすぎて、どう接すればいいのかを迷っていた。

「これ、見て。」アリアーナが指差した石碑には、神殿を守る神々の描かれた壮大な彫刻があった。蒼汰は彼女の隣に立ち、その壮大さに言葉を失った。

「すごいね…」蒼汰の声が神殿の中に響き渡った。

アリアーナはそっと頷き、彼の感想に同意した。そして、彼女は少しだけ蒼汰に近づき、彫刻の詳細を指でなぞった。その瞬間、蒼汰はアリアーナの手が自分の手と触れるのを感じた。

その後も、2人は神殿を探索し続けた。互いに新たな絆に慣れるために、そして神殿の神秘を解き明かすために。


神殿の奥深く、草木の生えない静寂な空間の中央に、不思議な輝きを放つ石が置かれていた。その色彩は虹のように変わり、その光は神殿の暗さを払い除けていた。

アリアーナがそっとクリスタルに手を伸ばし、その表面に触れた。その瞬間、クリスタルは更に強く輝きを増し、彼女の手を照らした。

「森の精霊からのメッセージだわ。」アリアーナが言った。「このクリスタルと私の力で、ゲートを開くことができるって。」

蒼汰はそれを聞いて目を見開いた。

この世界でフェーズクリスタルと呼ばれる石だった。フェーズクリスタルは古代遺跡からごくまれに発見される、極めて貴重な資源だ。その力によって、ゲートを開き、場所と場所の間を瞬間移動することが可能になる。

「それなら、俺たちはどこへでも行けるのか?」蒼汰が尋ねた。

アリアーナは頷き、「そうね。ただ、このクリスタルの力は限られているから、慎重に使わないといけない。」と答えた。

2人はそのクリスタルを大切に手に取り、新たな可能性を胸に秘めて、神殿を後にした。


「私たちは、レムニアの森へ行けばいいわ。」アリアーナが提案した。レムニアとは、ヴィタリスの辺境に位置する小さな町で、その周辺に広がる森はアリアーナがよく訪れていた場所だった。「私はレムニアの森をよく知っているから、そこなら安全だと思う。」

蒼汰はその提案に頷いた。ゲートを開くためには、その地を理解し、記憶に刻まれていることが必要だった。アリアーナが提案するレムニアの森なら、彼女の記憶によって確実にゲートを開くことができるだろう。


アリアーナはフェーズクリスタルを手に取り、深呼吸を一つ。その目は固く閉じられ、彼女は内なる力に集中する。彼女の周囲に、ほのかな光が浮かび上がり、やがてそれは強く、明るくなる。その光はレムニアの森のイメージを物質化するかのように、空間を捻じ曲げ、一つのゲートを形成した。

ゲートは、アリアーナの力によってかろうじて2人が通れる程度の大きさだけが開かれた。それは、彼女の力がまだ完全には覚醒していないことを示す証だった。しかし、それでも彼女は決して諦めず、ゲートを開け続けた。

彼女はゲートを開くための力を絞り出すと、ゆっくりと蒼汰の手を握った。

「さあ、行きましょう、蒼汰。」彼女はそう言って、蒼汰と共にゲートに足を踏み入れた。それは、彼女たちが未知の世界へと旅立つ一歩であり、新たな旅の始まりだった。

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