第10話

レムニアは、深い森に囲まれた小さな町だ。緑豊かな自然と調和したその風景は、誰が見ても息を呑むほど美しい。町の入り口をくぐると、最初に目に入るのは手入れされた石畳の道路と、両脇に立ち並ぶ木造の家々だ。それぞれの家は木と石、そして土を主体に造られており、草花が豊かに植えられた庭を持つなど、自然と調和した美しい風景を作り出している。


町の中心には広場があり、そこには大きな噴水が設置されている。その水は町の水源であり、町民たちが集まる場所でもある。噴水の周りでは、子供たちが遊んでいたり、市場が開かれていたりと、いつも賑わっている。

レムニアの町民たちは、自然と調和した生活を大切にしている。畑仕事や家畜の世話、森での狩猟や採取など、自然の恵みを最大限に活用した生活を営んでいる。それは彼らの生活が、森と一体になっていることを示している。

町のすぐ外れには、深い森が広がっている。その森は町民たちに木材や食材を提供するだけでなく、町を外敵から守る役割も果たしている。森の中心には、巨大な樹木が聳え立っており、その樹木は町民たちにとって神聖な存在とされ、森の精霊が宿ると信じられている。

レムニアは、自然と人間が調和し共存する、美しく穏やかな町だ。町民たちは、その自然環境を大切にし、次世代へと引き継いでいくことを誓っている。


レムニアの森の中、ゲートから出てきた2人は、風に揺れる木々と鳥たちのさえずりに迎えられた。蒼汰はしばらくその風景を眺めてから、アリアーナに向き直った。

「レムニアには、知り合いがいるの?」彼の声は、探求心と懸念が混ざり合ったものだった。

アリアーナはちょっと考えてから、ゆっくりと頭を振った。「あまり……いないわ。私がここを離れたとき、私はまだ子供だったから、覚えている人はほとんどいないと思う。」

蒼汰は深く頷いた。彼女が奴隷の身分であること、それゆえに法律上はすでに他の誰かの所有物である可能性、生け贄として使われたことを知れば彼女を連れ戻そうとする人々がいるかもしれないという事実。これらが彼の心に重くのしかかっていた。

「でも、心配しないで。」アリアーナがそう言って蒼汰の手を握りしめた。「私たちは一緒だから、何が起ころうと乗り越えられるわ。」

その言葉に、蒼汰は心からの安堵感を覚えた。彼らは新たな挑戦に直面していたが、アリアーナの言葉は彼に力を与えた。


アリアーナは、その目立つ刺青を隠すために、長いマントを身に纏い、深いフードで顔を覆った。彼女の瞳は陰影の中から、不安と決意を同時に見つめているように見えた。蒼汰は彼女の手を取り、安心させるように軽く握った。

レムニアは木々に囲まれた静かな町で、町の人々は自分たちの日常生活に忙しく、新たに町に入ってきた二人にはほとんど気づかなかった。石畳の道は、彼らが今までに見てきたどんな場所とも違う、新鮮で何となく懐かしい感じを与えた。小さな家々は、こぢんまりとしていて、それぞれがユニークな色と形をしていた。

二人が町の中心部に進むと、大きな広場と、その周囲に広がる商店街が現れた。色とりどりの商品が並ぶ屋台、笑顔でお客さんと話す商人たち、子供たちが走り回って遊んでいる様子。生活感あふれる風景が広がっていた。

アリアーナは、その光景を眺めつつ、フードをさらに深く引っ張り下げた。彼女がここで目立つことは避けなければならない。だけど、その目は、この新しい世界に対する好奇心を隠すことができなかった。蒼汰はそんな彼女の様子を見て、ほほえんだ。


アリアーナは、町のはずれでフェーズクリスタルを手に取って、ゲートの再開を試みたが、無駄だった。クリスタルはその内部の光を失っていた。アリアーナは恐る恐るその現象を眺め、謝罪の言葉を口にした。

「ごめんなさい、私の力が未熟で……」

しかし、蒼汰は彼女の言葉を遮った。「アリアーナ、それはあなたのせいじゃない。フェーズクリスタルの力は一度だけ、それは知っていた。ただ、あなたが安全でいられることが最優先だ。」

レムニアは確かに知り合いがいない場所だったが、それでもアリアーナの身元が露見するリスクはあった。彼女が奴隷の身分であること、そして彼女が神殿で生け贄にされるはずだったことを知る者がいれば、問題は複雑になる。それを避けるためには、もっと遠く、誰も彼女のことを知らない場所へ移動する必要があった。


この世界では、主要都市間の移動はほとんどが神秘的なゲートによって成り立っていた。これらのゲートは古代の力によって形成され、フェーズクリスタルによって制御される。それぞれの都市を瞬時に結びつけるこの技術は、遠距離旅行を大幅に短縮する一方で、その利用には高額な通行料が必要だった。そして、その通行料を支払うための通貨、この世界で「ルクラム」と呼ばれるものが、蒼汰とアリアーナの手元にはほとんど残されていなかった。


ヴィタリスの通貨、「ルクラム」は、この地域で広く認識されている通貨である。ルクラムは金属製の硬貨で、その価値は主に含まれる金属の種類と純度によって決まる。一般的には銅、銀、そして最も価値が高い金の三種類の硬貨が存在し、それぞれがさまざまな価値を持つ。

銅のルクラムは日常の小さな取引に使われ、パン一つ分の価値がある。銀のルクラムはより高価な商品やサービスの取引に使われ、一枚で宿泊施設の一泊分の料金を支払うことができる。最も価値のある金のルクラムは、大規模な取引や貴重品の購入に使われる。これらの硬貨はヴィタリスの国家紋章である獅子と鷲を模したデザインが施されている。


一回の通行には少なくとも数枚の金のルクラムが必要となる。これは一般の市民にとっては決して安い額ではなく、主に商人や貴族、そして国家間の公式な使者などが利用するものだ。蒼汰とアリアーナは現在、それほどのルクラムを手に入れる術を持っていないため、別の移動手段を模索する必要がある。

さらに、レムニアにはゲートが存在しない。主要都市間のゲートが存在するため、小さな町にゲートを設置する必要がないというのが一般的な考え方だった。そのため、彼らが最初にクリアしなければならない課題は、レムニアから最寄りのゲートがある都市への移動だった。


とはいえ、初めて人間の住む町に足を踏み入れた二人は、夜の帳が訪れる前に何とか今日の宿を確保する必要があった。しかし、彼らに目立った持ち物はない。ただ一つ、アリアーナの持ち物の中に、忘れられた神殿で見つけた古代の遺物があった。

「これを売れば、きっと夜の宿は確保できる」と、彼女は小さな遺物を手に取る。それは細工が施された小さな金属の像だった。その美しさは古代の人々の高い技術力を物語っていた。

レムニアでは、古代の遺物を専門に取り扱う商人がいるという。彼らは遺物を高値で買い取ることで知られていた。二人は商人の元へと足を運んだ。

商人の店に着くと、眼鏡をかけた男が彼らを出迎えた。アリアーナが遺物を男に見せると、彼は大きく目を見開いた。

「これは珍しい。よくこんなものを手に入れたな、」男は遺物を手に取り、じっくりと眺める。「これなら、銀貨5枚にはなるだろう。」

商人の言葉に、二人は少し安堵する。銀貨5枚は、この町で一晩の宿泊費には充分すぎるほどだった。

交渉が終わった後、二人はその銀貨を手に入れ、町の宿に向かった。寝床と温かい食事。それが彼らがこの日最も必要としていたものだった。


蒼汰とアリアーナが訪れた宿屋は、レムニアの中心部から少し離れた静かな場所にあった。木造の二階建てで、懐かしい雰囲気が漂っていた。灯りが優しく照らすその趣きは、彼らにとって初めてのこの世界での一夜を温かく包み込んだ。

「ようこそ、我が宿へ。お二人とも、長旅だったでしょう?」と、受付の女主人が微笑む。彼女の銀色の髪が灯りに反射してキラリと輝き、その笑顔はほっとするような親しみやすさを持っていた。

「今夜はここで休ませていただきたいのですが……」

女主人はにっこりと微笑み、「もちろん、どうぞお入りください。我が宿は旅人たちにとって最高の安息の場所ですから。」と、彼らを招き入れた。

宿屋の中は、外観からは想像もつかないほど広く、清潔であった。壁には美しい絵画が飾られ、家具は手入れが行き届いていて、暖かい光がその上を滑っていた。食堂の隣には小さなバーカウンターがあり、旅人たちが日々の出来事を語り合っていた。

「こちらがお二人のお部屋になります。」女主人が二人を二階へと案内した。

「ありがとうございます、ここならきっと良い夢が見られそうです。」アリアーナが感謝の言葉を述べた。

「それは嬉しい言葉ね。お二人とも、ゆっくり休んでいってください。」女主人は微笑みながら部屋を後にした。


蒼汰とアリアーナが宿泊した部屋は、宿屋の2階にある、窓から見える庭園に面した角部屋だった。窓辺には小さな花が飾られ、木製の窓枠には繊細な彫刻が施されていた。部屋の中央には大きなベッドがあり、柔らかそうなクリーム色のシーツとふわふわの羽毛布団が敷かれていた。ベッドの両側には、小さな引き出し付きのナイトテーブルが置かれており、その上には石製のランプが優しく光を灯していた。

部屋の隅には、木製のワードローブが立っていて、こちらにも同じく繊細な彫刻が施されていた。その横には、鏡付きのドレッサーがあり、アリアーナが身支度を整えるのに十分な広さがあった。鏡の縁は、金色の装飾で飾られており、煌びやかさが感じられた。

床は濃い茶色の木材で覆われており、その上には柔らかい手触りのラグが敷かれていた。部屋の隅には、小さな暖炉が設置されており、炎がゆらめいていて、部屋全体に暖かさと癒しの雰囲気をもたらしていた。その暖炉の上には、緑の葉が描かれた陶器製の花瓶に入れられた花が飾られていた。

壁には、ヴィタリスの美しい風景画がかけられていた。美しい湖や森、草原、そして建築物が描かれていて、見るだけで旅情を感じさせられるような絵だった。


「アリアーナ、ベッドは君が使っていいよ。」蒼汰がそう提案すると、アリアーナの目は大きく見開かれた。彼女の瞳が揺れ動き、彼の提案を理解しようとしている様子が見て取れた。

「でも、あなたが主人なのに…主人が床で寝るなんて…」アリアーナがそう反論すると、蒼汰は、自分の持つ常識とアリアーナの持つ常識が違うことに改めて気づいた。

「僕の世界では、女性にベッドを譲るのが普通だったんだ。」と蒼汰は説明する。しかし、それはアリアーナにとって新たな概念だった。

彼女は少し困惑した顔をした。「でも、私は奴隷です。主人が床で寝るのはおかしいです。」

蒼汰は彼女の言葉に一瞬驚いたが、彼女の立場を理解し、改めて自分の提案を考え直すことにした。二人でベッドを共有しよう。

彼の提案は、アリアーナが不快な思いをせず、また自分自身が彼女を尊重する意志を示すためのものだった。

アリアーナは少しだけ驚いた顔をしたが、すぐに微笑んで応えた。「それがあなたの望みなら、私は従います、主人。」


蒼汰は、アリアーナに先にベッドに入るように勧めた。彼女は少し戸惑った表情を見せたが、蒼汰の勧めに従って、ゆっくりとベッドへと足を踏み入れた。彼女の動きはためらいとともに、新たな未知への興味を感じさせるものだった。

その後、蒼汰もゆっくりとベッドに体を預けた。心地よい柔らかさが彼の体を包み、一日の疲れを癒すようだった。それと同時にアリアーナとの距離感に心を揺さぶられる。彼女との距離はこれまで以上に近く、その新たな関係に心が高鳴った。

彼は横を向いて、アリアーナの瞳と合わせた。彼女もまた、彼の視線に応えるようにこちらを見つめ返した。その瞳には緊張と期待が混ざり合っているように見えた。


「アリアーナ」と蒼汰が名前を呼ぶと、彼女は微笑み、何か言いたげに「はい、主人」と答えた。

「僕たちは、これから一緒に生きていくんだ。だから、心地よく眠ってほしい。」彼はゆっくりと彼女の手を取る。

その温かさと柔らかさに、アリアーナは少し驚いたようだった。それから、彼女の手は蒼汰の手に応え、しっかりと握り返してきた。

寝室には安らぎと静寂が広がり、その中で彼らの呼吸がゆっくりと揃っていった。やがて、二人の瞳は閉じ、静かな眠りが彼らを包んだ。

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