第3話


 ――この言葉に、私はとても安心などできなかった。自分が召喚されたことは奇跡だと思っているが、他の場所で同じ奇跡が起こってもおかしくない。実は、魔法陣は間違っていなくて、そのほかの条件が間違っていたら。魔法陣を複数用意することが成功の条件だったとしたら。そもそも成功自体ランダムだったとしたら。もしかしたら、決まった条件自体ないのかもしれない。


「お友達が心配かの?」

「……はい」


 多分、音奈は強くない。強かったらきっと、今の音奈は存在していないはずだ。強くない、けれど、とても優しいから。私は音奈が心配なのだ。


「それなら、白の地図に住むニンゲンにも、変わったことがなかったか聞いてみるかのう」

「冷戦は、大丈夫なんですか……?」

「なに。大事な客人のためじゃ。ちょっとくらい、その、ワシも頑張るぞ」


 そう言ったヨキトの声は震えていた。本当に大丈夫なのだろうか。


「とにかく、帰ることが一番の目標じゃが、まずはこちらの世界に慣れると良い。そして、ワシもヨキトも、アキホの話をたくさん聞きたいと思っておるからのう。お互いの世界の話を、してみるのはどうじゃ? なに、堅苦しくはない。食事やおやつの時間に……」

「王、また王妃に怒られますよ?」

「今は良いじゃろうて!」

「……見つかったら怒られますよ? 今度は喧嘩じゃ……」

「良いんじゃ! 今くらい!」


 小さな子供のように駄々をこねるヨキトを見て、『王様でもこんな態度をとるのか』と、思わず笑ってしまった。自分の発言に笑っていると気づいたのか、ヨキトは今度は黙って顔を真っ赤にさせている。


「と! とにかく! お互いに、楽しい時間になるようにしたいのう!」


 ヨキトはさすが王様といったところで、案内された一時滞在の部屋は、私にはもったいないほど綺麗で広くて煌びやかな部屋だった。用意された服はどれも凝った装飾が施されており、飽きないようにと本もたくさん置かれている。自分には日本語と認識できる文字で書かれており『理解できる』、と言うことがこんなにもありがたいことなのかと身をもって知った。時間になって呼ばれた夕食はとても豪華で、すぐにお腹いっぱいになってしまうほど量も多く、非常に美味しかった。『もしかしたら夢なのかもしれない』なんて思えるくらいに、現実離れした環境に私はいた。


「……あ、そういえばヨキト。あの、王妃はどこに……? ご挨拶したいと思っていて……」

「……そうじゃのう……アキホは礼儀正しいのう……」


 食事が終わった後、席を共にしたとヨキトに王妃の居場所を尋ねるも、なんとも歯切れの悪い回答が返ってきた。できるだけ失礼のないようにしたい。ジンキの話に王妃の存在が出てきたということは、必ずどこかにいるはずなのだ。城に滞在するというのに、挨拶を交わしていないのは後々問題になるかもしれない。


「……王、いずれわかっちゃうんじゃないですかい? それなら、言ってしまったほうが……」

「ジンキよ。ワシにも王のプライド……いや、男のプライドと言うものがあるんじゃ……」


 どうやら、ジンキは王妃がどこにいるのか知っているらしい。ヨキトの様子から、あまり話したくない内容だろうこともうかがえる。


「その、失礼があってはいけないと思うので……」


 私は食い下がった。もしかしたら、ほんの些細なことでも元の世界に帰る手掛かりになるかもしれないし、誰か1人の機嫌を損ねることで元の世界に帰ることができなくなるかもしれない。可能性を潰してしまうなんて、そんな事態は避けたかった。


「……笑わんか?」

「え? えぇ、も、もちろん……?」


 よほど言いたくないのか、まだ言うか言わないか決めかねているらしい。


「……王! もう! オレが言っちまいますよ!?」

「やっ……やめんか! おぬしに言われるくらいなら、自分で言うわい!!」

「早く言わないと――!!」

「あぁぁぁぁぁぁぁぁー!!」


 ジンキの言葉を遮るように、ヨキトは大きな声を出した。――一体、良い大人がなにをしているのだろうか。


「……はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」

「……ヨキト王、言ってください、ちゃんと」

「ぐ、ぐぬぬ……仕方あるまい」


 諦めたように大きな溜息をひとつ吐くと、ヨキトは小さな声でボソボソと話し始めた。


「……に、……る」

「えっ、なんですか?」

「……に、おるんじゃ……」

「……肝心な部分が聞こえないです……」

「……し、白の、白の地図に。……おるんじゃ……」

「えっ!? 冷戦状態の!?」

「そうじゃ」

「なっ、何でそんな危険な場所にいるんですか!?」

「そ、それは……」

「迎えに行かなきゃ! 早く! いつ冷戦状態が解除されるか分からないですよね!? もし、もし……人質にでもとられたとしたら……」

「その心配はない」

「なんでそんなこと言いきれるんですか!?」

「……元々、白の地図と黒の地図の領土はひとつの地図として扱われておった」

「だから、それがなんで……」

「今、白の地図を治めているのが、この国の王妃じゃ。冷戦中なのは、その……」

「……?」

「ワシが、その、王妃と……喧嘩中だからじゃ!!」

「……えぇぇぇぇ!?」


 まさか、そんな個人的な理由だったなんて。私は目を丸くして驚いた。


「……だから、その……言いたくなかったんじゃ……」

「ヨキト王、甘いもの食べ過ぎて、いつも王妃のおやつまで食べちゃってたんっすよ。だから、王妃怒っちゃって。何回言っても治らないから、地図ごと引きこもっちゃったんすよね。いやぁ、盛大な夫婦喧嘩っす」

「黙れジンキ!」


 ジンキの言葉に、ヨキトは顔を真っ赤にして俯いた。


「……その、あの、私にできることがあれば、お手伝いしますよ……? 仲直り……」


 王と言えど、その中身は一般人と変わらないのかもしれない。そもそも、私から見たら鬼なのだが。鬼も同じような感情を持ち合わせて、人間と同じように生活しているのか、と、なんだか妙に感心してしまった。


「……アキホは良い子じゃのう……」


 ヨキトは今度は目を真っ赤にして、うんうんと頷いていた。


「しかし、まずはゆっくり休みなさい。食事前に、白の地図には連絡を入れておいた。もし、なにか変わったことがあれば、明日の朝にはわかるかもしれぬ。仮に白の地図に辿り着いていたとしても、王妃なら、悪いようには扱わんて。大丈夫じゃ」

「ありがとうございます!」

「……見つかると良いのう。アキホの友達も。もし、こちらの世界に来ているのなら」


 食事も終わり、私は案内されたお風呂へ浸かると音奈のことばかり考えていた。こちらの世界に来ていないのならそれで良い。もし来ていたら、なんとか合流したい。合流して、一緒に元の世界に帰る道を探したい。


「……音奈……」


 用意されたベッドは、自分の部屋の物とは比べ物にならないくらいフカフカだった。疲れた身体がゆっくりと沈んでいく。


「つか、れた」


 私はそう呟いて目を閉じると、深い深い眠りへと誘われていった。

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