第3話 Q


(な、なんだあの大きさ。普通じゃないぞ)


 俺は木々の隙間から様子を伺う。ヴァルキリアはその小さな身体をじたばたさせて、必死に抵抗している。だが、その抵抗もいつまで持つか。


「ま、待ってろ! 今助けに……っっっ!」


 ハッとして、口を抑える。今、俺、なんて言った? 助ける、だって? 無力な俺が?


「くっっっそ! こんな時に出てくるなよ! でしゃばりな『本当の俺』!」


 やはり俺の『心の仮面』は完璧じゃない。こういうピンチや突拍子もないことには、本心が漏れ出してしまう。さっきの、顔を赤くした時のように。

 

 ここで飛び出すのは自殺行為だ。あんな狼、勝てるわけがない。俺が行ったところで時間稼ぎにすらならない。2人とも、惨殺されて終わりだ。だから、行ってはいけない。これは逃げじゃない。正しい選択……なんだ。


 それなのに、それなのに! どうして俺の脚は前に進もうと疼いている!? 無謀な勇気は身を滅ぼすと、学んだはずだろう!? もう出てくるなよ、迷惑なんだよ!




「ねぇ旅人くん! そこにいるんでしょ!」


「!?」


 これは、ヴァルキリアの声。まずい、気づかれていたか。


「ごめん、私、もうダメかもしれない! だから、最後のお願い、聞いてくれるかな!」


 ヴァルキリアは必死な声で叫ぶ。その1音1音が、俺の心の奥底を揺さぶる。足が、反応してしまう。


「この森を抜けたところに、1軒の小屋があるの。そこにいる私の家族を、ここに連れてきて! さすがに、誰にも気づかれないのは辛いからさ……」


 なんだよ、死ぬのを受け入れたとでも言うのかよ。俺と同じくらいの女の子が、人に泣き言も言わず。


「それと……こんなことに巻き込んじゃって、ごめんね。君を、助けることも出来なかった。でも、最期に夢を叶えさせてくれてありがとう。君のことは忘れないよ!」


 ヴァルキリアは俺がどこにいても聞こえるように、大きな声で叫んだ。元気に振る舞っているが、その声は震えている。無理もない。てか、無理だ。普通は。こうやって、強がることさえ出来ないはずだ。


 俺の心も、震えていた。全身に生えている産毛の1本1本が武者震いを起こし、その毛穴からは透明な雫が溢れてくる。原因は1つ。俺の奥底に眠る『本当の自分』が暴れているからだ。外に飛び出して、ヴァルキリアを助けようと。


 もし本当の自分が勝ち、助けに出たらどうなるだろう。多分、数十秒で食われる。勝てるわけが無い。あんな強大な敵に。だから、正解は、ヴァルキリアの指示に従うこと。


 そう、わかってるはずだ。


 それなのに、俺の心の暴走は止まらない。助けに行けと、叫んでいる。たった数時間、いや、それ以下かもしれない。そんな僅かな時間を過ごした彼女を、一体どうして助けたいのか。ピンチに陥って偽の心が脆くなったからか? それはわからない。ただ、彼女を助けたい。それだけは確定している。


 今まで通り『偽の自分』に従うか、それとも、『本当の自分』を解放するか――俺の2つの心が互いにぶつかり合う。


「あ、最後に一つだけ! ……君と話して歩いた道、楽しかったよ! 本当はもっともっと話していたかったけど、その続きは、見れそうにないや。でも、ありがとう! じゃあね!」


 あぁ、なんであいつはこんな時に、こんなこと言うんだよ。自分がピンチの時に、他人を気遣えるやつが、どれだけいる? ここまで純粋になれるやつが、どれだけいる? くそ、くそ! くそくそくそ!




 こんなん、助けるしか、ねぇじゃねぇか。

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