第2話 出現

「あ、起きたばっかで喉乾いてるよね。はい、お水!」


 少女は純粋な笑顔で、透明な液体が入ったボトルをこちらに向ける。見る限り、普通の水だ。そもそも、この少女からは敵意が感じられない。ならば、受け取っておくべきだろう。


「ん、美味いな」


 思ったよりも普通の水だった。日本人である俺の口にも合う。ただ、少しの濁りと甘みがあった。その味の正体は掴めない。


「よかった〜! あ、私『ヴァルキリア』って言います! この森の近くにある街に住んでて……たまにここまで遊びにくるんです! で、たまたま倒れてる君が見えたので!」


 少女改めヴァルキリアは柔らかな光を放つ笑顔で言った。彼女からは、本当の自分をひた隠す人間の『嘘くささ』が感じられない。


「それはどうも……」


 日本語は通じる。でも、生えてる植物がどう考えても日本のものでは無い。いや、そもそもこんな植物、地球上に存在するのか? あまりに唐突な展開が続いているせいで、流されっぱなしだったが……この状況、かなりまずいな。未知の世界――異世界か。


 急に不安が津波のようになって、俺の心を飲み込んだ。偽の俺を保つのも精一杯。少しでも気が抜ければ、『本当の俺』が出てきてしまいそうだ。あの、でしゃばりな俺が。


「あの、ここら辺に宿なんてありませんか……?ちょっと事情があって、帰る場所が無いんです」


 俺は困ったような顔を作り上げて言った。見ず知らずの人を助けるような、親切心溢れる少女であるヴァルキリアなら、何も勘ぐらず教えてくれると思ったからだ。


「あ、そうなの! それなら私の家においでよ! 私のお父さんね、この辺の地理がすっごく詳しいんだ! それに、お代だって分からないでしょ? 今日1日くらいだったら大丈夫だからさ、ね?」


 参った。ヴァルキリアの親切心が、まさかこれ程とは。ここで家に行くのだけは避けなければならない。確実に、面倒なことになる。彼女の父親が、完璧な味方とは限らない。むしろ、こんな見ず知らずな男を怪しまない訳はないだろう。


「あ、あの……さすがにご迷惑なので……」


「いいのいいの! さ、着いてきて!」


 俺の制止も虚しく、ヴァルキリアは手招きをしながら森の奥へ奥へと進んでいく。こうなったらもう、着いて行くしかない。もしかしたら、そっちの方が安全かもしれない。不安で溢れる自分にそう言い聞かせ、俺は彼女の後を追った。


――


「ねーねー、君はどこから来たの?」


 木々が生い茂る道を進んでいく最中、ヴァルキリアは俺に話しかけてくる。そうだ、ちょうどいい。ここで何か情報を掴んでやる。ただし、怪しまれないように、だ。


「俺は日本……いや、ジャパンという国から来ました。あの、世界地図の東側にある島国の」


「ジャパン? んー、聞いた事ないなー。東側の島国……私、『ヤマト』って国しか知らないや。ほら、あれ。カタナ、とかいう剣を使う国だよ」


 なるほど……ヤマトか。そして、日本は存在しないと。段々と、この世界が見えてきたぞ。


 多分、ここは俺がいた世界と違う。日本がヤマトに置き換わっていたり、謎の果物があったり。いわゆる『異世界』だな。


 そして、時代もおそらく違う。ヴァルキリアの服装は、いわゆる『現代風』な服装では無い。地味な色のワンピース。その風貌は、前歴史の教科書で見た、中世〜近世ヨーロッパそのものだった。つまり、今は15、16世紀頃で、ここは現実世界のヨーロッパに対応するどこか、ということになるのだろう。


「はぁ……」


 冷静に分析してみたが、やっぱり不安だ。この時代のヨーロッパは現代と違い、治安が悪い。それに、異世界だから何が起こるか分からない。ゲームみたいに、勇者がいるかもしれない。逆に、恐ろしいドラゴンがいるかもしれない。何も、分からない。


 そんな俺がすべきなのは『精一杯生き残ろうとすること』だ。別に、元の世界に帰れないならそれでいい。上っ面人間だらけの世界に未練はないから。


 ただの一般人として生きていくなら、それでいい。ただ、死にたくは無い。そんな単純な思考だ。




「私ってさ、君の力に、なれてるかな」


 俺が考えている間に生まれた沈黙を、ヴァルキリアはいきなりぶっ壊した。それも、前振りなんてないような言葉で。


「も、もちろんですよ。助かってます」


 取ってつけたような言葉をかける。1人の方が楽なんて、言えるわけない。


「そっか、よかった! 私、ちょっと心配だったんだ。もしかしたら、君に迷惑かけてるんじゃないかって」


「そ、そんな……」


 まずい。そんなオーラが出ていたか。


「私さ、誰かを助けることに憧れてたんだ。でも、家が辺境だし、周りにいる人も少ないからさ……そんな時、君が現れた。だから、ちょっと浮かれちゃってて……迷惑じゃないなら、いいんだけど」


 なるほど、そういうことか。危ない。てっきりバレたとでも思っていた。


 それにしても『誰かを助ける』……か。昔は俺も、そんなこと目標にしてたっけ。俺とヴァルキリア。性格は境遇は違えど、元の性質は同じなのかもしれない。ついて行ってみても、いいかもな。


「こんな話してごめんね! さ、行こうか! もうすぐだよ!」


 ヴァルキリアはそう言って走り出した。うん、やはり彼女は信じても大丈夫そうだ。俺は安心して、前へ1歩を踏み出す。その時だった。


「きゃああああああ!」


 突如、謎の黒い獣の影がヴァルキリアを襲った。彼女は獣に押し倒される形となり、茂みへと吹き飛ばされた。


「うおっ!」


 あまりに唐突な出来事が起きたものだから、不意に腰を着いてしまった。なんなんだ、一体!


 ちくしょう。とりあえず、まずは現状把握だ。焦るな。焦るな。焦ると、ろくなことにならない。『隠してる俺』が出てきたりしたら……


 俺は体勢を立て直し、音のする茂みへ、ゆっくりと向かう。そこには――


「グルルルル!」


 ヴァルキリアに馬乗りとなっているオオカミがいた。その毛は黒色で、口からむき出しになっている牙は鋭利で巨大。俺のいた世界のものとは、比べ物にならないほどの凶悪さを放っている。

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