申し訳ない……

 せっかく用意した朝食も食べる暇なく、俺は凪を送ることになってしまった。


 きっと凪の仕事を説明すれば分かってくれるはずのなのに、あの融通の効かないところも俺にそっくりだと頭を抱えて諦めた。

 本当に凪との関係を認めてもらうためには、ここはちゃんと言うことを聞くのがベストだ。


 心配そうに落ち込む凪の肩を叩いて「後でちゃんと説明するから大丈夫だよ」と声をかけたが———そんなの無理だよな……。


 俺が凪の立場なら、ちゃんと自分の口から説明したいと思う。好きな人の親なら尚更だ。

 凪は俺の服の裾を掴んで「私……モデル辞めます」と、口にしてはいけないセリフを言わせてしまった。


「いや、何でそこまで飛躍するんだよ! 凪が心配するようなことはないんだ! 大丈夫だよ、ちゃんと分かってもらえるよ!」

「でも、私……」


 こんなに不安そうな彼女を見たのは初めてだった。今にも泣き出しそうな表情に、俺まで歯痒さを覚えた。


 くそ親父……! あんなネットの記事を鵜呑みにしやがって!


 本当なら今すぐ殴って、凪のことを安心させてあげたいけど、それはあまりにも子供で馬鹿げた行動なので、ぐっと堪えて宥めた。


「俺は、好きなことをして誇らしく働いている凪が好きなんだ。俺なんかのせいで辞めることになったら、俺は一生俺のことを許せなくなる。だからそんなことを言わないでくれ」

「でも先輩!」


 だからと言って、凪との未来を諦めたわけじゃない。

 俺はちゃんと説得しなければならないのだと、自分の責任の大きさを改めて思い知った。


 リビングのソファーで重たい空気を纏いながら座り込んだ父親を横目に、俺達は玄関へ向かった。


 今は何も言わない方がいいだろう。

 無言でドアノブに手をかけた瞬間、凪が前に乗り出して、大声で頭を下げた。


「あの、ありがとうございました! また……ちゃんとご挨拶をさせてください!」


 震えた声で、だけれどもハッキリと。

 勇気を振り絞った凪をチラッと見たが、父は気づかない振りを貫いて新聞に目を通し続けた。


 確かに順序を守らないで外泊した俺たちが悪いけど、あそこまで頑なにならなくてもいいのに。


「凪、ごめん……俺の親父が失礼なことを!」

「いえ、そんな! お父様の心配はもっともだと思います! きっと先輩のことが大事だからこその心配なんで……優しいお父様だと思います」


 凪はそう褒めてくれたけど、全然だ! しっかり調べた上での否定なら何も言わないが、一部の情報だけで決めつけるのは許せない。


「それよりも先輩……あの、申し訳ないんですが、私も親には友達の家に泊まってくると言った手前、家までは……」


 申し訳なさそうに謝る凪を見て、俺も慌てて距離をとった。


 しまった、うっかりしていた。


 しかも凪の場合、仕事上他の人に見られるのも良くない。慰めようと思う一心で、つい肩を抱きしめてしまっていた。


「ごめん、俺も自覚がなくて」

「いえいえ、嬉しかったので気にしないでください! けど今日はここで……家ももうそこなので」


 そう言ってバイバイをしようと手を上げた瞬間、凪の顔が真っ青に固まった。本日二度目のこの表情だ。


 ぞくりと背筋を這う悪寒……ただらなぬ殺気を感じた俺は、恐る恐る振り返った。


 そこには鬼の形相の美人が、こっちを見てワナワナと震えていた。


「凪ちゃん、誰それ?」


 ぶわっと全身の鳥肌がたった。

 嘘だろ、まさか、ご家族? なんて間の悪い、最悪過ぎる!


「お、お、お姉ちゃん、その、これは———!」


 凪が怯え切った表情をしている。これは俺がしっかりしなければ!


「俺は凪さんとお付き合いさせて頂いている斉藤心と申します! お姉様、どうぞ———ッ!」


 ヘブシッ、と全力で頬を殴られた!

 マジか、この人! 初対面の人間を本気で殴ったぞ⁉︎


「テメェにお姉様と呼ばれる筋合いねぇよ! ウチの可愛い妹に手を出しやがって、出るところに出てもらうぞ、あァ?」


 893並のメンチを切る美人に命の危機を感じた。


 おぉ、神よ……確かにここ最近の俺は幸せすぎたが、その代償はデカくないですか?


 俺も凪も、もう何も言えなかった。

 いや、このモンスターを目前に言えるわけがなかった。


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