もう、大丈夫
それから俺は千石さんに渡されたクレンジングで汚メイクを落とし、紀野に連絡をした。
本当なら明日でも良かったのかもしれないけど、今すぐ紀野に会いたくなった。
うん、そう。単なるこれのワガママだ。
通話をしながら、必死に走った。走ってないと気持ちが落ち着かなくて、頭の中がグチャグチャになって発狂しそうだった。
それも仕方ないだろう。
ここ数日、酷いくらいに波瀾万丈だ。あり得ない変化が起きすぎている。身の丈に合わないアクシデントの連続に、キャパオーバーなんだ。
「紀野、紀野凪! どこにいるんだよォ!」
人通りの多い街路にも関わらず、アドレナリンが分泌しまくってる俺は、ドラマのワンシーンのように叫んで走っていた。
冷やかしがヒューヒュー鳴らしている。嘲笑や聞こえる。雑音ばかりが耳障りに入ってくる。
けど俺は、会いたい……、紀野に会いたい!
汗だくのままカドカワ中学行きのバスに乗り込み、そのまま腰を降ろした。
結局、通話は繋がることなく、大量の不在通知を残す結果になってしまった。
学校に戻ったところで会えるとも限らないのだが、何かせずにいられなかった。
もし彼女に会えた時には、俺もちゃんと伝えたい。
バスから見える景色は流れるような情景で、当たり前だけど早い。
普段感じない感覚に、大事なものを見落としているようで怖い気持ちになる。
「って思う時は、大抵フラグなんだ……!」
ソワソワと眺めていたが、気付いて窓に這いつくばった時には、もう遅かった。
路地を走る紀野の姿を、ハッキリと捉えた。
『マジかよ———ッ! こんな時に限って、なんでバスに乗ったんだ俺!』
少しでも早く会いたい気持ちが、結局二人をすれ違わせる。
着信、電話に気付け、バカ!
懸命に走る彼女は、電話の存在に気づかないままバスとすれ違ってしまった。くそ、せっかくの文明が意味ねぇじゃん!
降車ボタンを連打したが、こんな時に限って赤信号に引っ掛かったり、やけに距離が長かったり。踏んだり蹴ったりとはこういうことを言うのだろう。
やっと降りた時にはもう、紀野の姿なんて微塵も見えなくなっていた。
「はは……っ、何やってんだろう、俺」
彼女に会う為には追いかけなければならないのに、へこたれて立てなくなってしまった。
今日は諦めろってことなのだろう。
『どうせ明日になれば会えるんだ。無理して今日会わなくても良いんだけど……』
でも、出来ることなら今すぐちゃんと会って、伝えたい。最後の気力を振り絞って、折り返すように走り出した。
「っていうか、着信気づいて欲しい……! なんでコイツ、気付かねぇの?」
数個目の信号で足止めを食らった時、車の切れ目から捉えたのは、同じように信号待ちをしていた紀野の姿だった。
「———っ、紀野!」
「ッ、先輩⁉︎ うそ、えっと、今からそっちに行きますから!」
汗だくになった顔を拭いながら、信号を気にしていた。早く青になってくれ。早く、早く!
そして信号が青になったことを確認した俺達は、誰よりも早くスタートを切って、中間地点で手を取り合った。
彼女の眩しいほど笑顔で溢れた表情に、涙腺が緩んで目頭が熱くなってしまった。
「先輩……! 仕返しはバッチリでしたか?」
心配してくれてたのか。
うん、もちろんだ。俺一人の力じゃなかったけど、月音にはちゃんとお灸を据えることができたと思っている。
交互に絡んだ指に強く力を込めて、俺は覚悟を決めた。
通り過ぎる人が珍しそうに注目しているけど、もういいんだ。
「紀野、俺———っ!」
「うん? 何、先輩」
繋いだ手の奥には、優しく待ってくれる紀野の顔と……彼女の奥にはショーンのブレずに見据える表情が、幻覚として浮かび上がって来た。
くっ、俺は……こんなところで屈してしまうのか?
正直、この状況ですら怪しいもんだ。白昼堂々と横断歩道の真ん中で手を繋ぐなんて、普通の関係ならあり得ない状況だ。
もし誰かに動画でも撮られてしまえば、紀野の芸能生活も終わりを迎えてしまうかもしれない。それでもこの手は離したくなかった。
「紀野、俺は……っ!」
耳まで真っ赤になった表情に、ただ事ではないと認識した紀野は、そのまま路地裏へと歩き出した。数日前の髪切ってもらった日のことを思い出す。
あの時は引かれるままに歩いていたが、今回は違う。
周りに誰もいないことを確認した俺は、抱き寄せるように背中と腰に腕を回した。
強張った彼女の体。頬を伝った汗が、彼女の肩に落ちる。
緊迫した空気に、息が詰まる。
でも伝えたい……。
俺は……、紀野の一番近い存在になりたい。
「紀野、やっぱ俺、お前のことが好きだ。だから、その」
「せ、先輩! あの……、先輩の気持ちは知ってるので、その、できればそれよりも先に今日の出来事を」
「月音のことはどうでもいいんだよ。それより、俺……今日のでハッキリ分かったんだ。俺は紀野の一番近い存在になりたい。だから俺の………いや、俺と付き合ってくれませんか?」
好きだけじゃ足りない。今回ので十分思い知った。
真っ赤な顔で、思い切って想いを伝えた。
突然の告白に驚きを隠せずにいたが、紀野も視線をそらして、それから小さく頷いた。
「は、はい……。私も、先輩の———彼女になりたいです」
まさかこの前のフラグをこんな形で折るとは思っていなかったが、何がともあれちゃんと伝えられてよかった。
「ははっ、やった。よっしゃぁ! 紀野、本当にいいのか? 俺みたいな情けない奴が彼氏でも」
「今更ですか? 先輩、分かってるくせに」
「いや、だって俺は自他共に認める隠キャのダサ男だよ? いくら好きでも付き合うとなれば、また別問題じゃ」
しかし彼女は、何も言わずに黙って頬にキスをした。チュッと、耳触りの良い音を残して。
「今日のことだってずっと心配で心配で仕方なかったんですよ? これからちゃんと教えてくださいね? 私は……先輩の彼女なんですから」
頬を真っ赤に染めて、照れながらもハニカム彼女を見て、俺まで恥ずかしくなった。
———……★
二日ぶりの更新でした。やっと彼氏彼女です。
もう邪魔を入れずにイチャイチャを書く!笑
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