私は先輩のことが大好きです

 紀野に連絡をして冷静になってきた俺は、酷い自己嫌悪に陥っていた。


 よりによって好きな女子に……。

 しかも年下の、仕事で忙しくしている子に。


 ミジンコレベルから人生をやり直したい———調子に乗ってすみませんでしたと、全世界の人間に土下座したい。


 紀野が俺なんかのことを好きだって、そんな奇跡が起きたせいで、身の程知らずの幸せを夢見てしまった。


 少し前のように、たまに会って話をして、お菓子を食べ合うような……そんな普通の先輩後輩の関係だけでも十分すぎるほど幸せだったのに。


 欲を出したせいで、こんなに悲惨な目に遭ってしまったんだ。


 もしも過去に戻れるのなら、俺は———……



「先輩! こんなところに隠れていたんですか⁉︎」


 俺の黒い思考の中に、弾けるような声が入り込んだ。

 蹲っている俺に差し伸べる手。

 満天の星空をバックに、紀野が汗だくで探し出してくれた。


「もう先輩ったら、かくれんぼ上手すぎ。帰っちゃったかと思っちゃいましたよ」


 肌を流れ落ちる汗が光って見える。熱くなった肌に乱れた息遣いが、急いでくれたことを伝えてくる。


「紀野、俺……」

「わぁー、懐かしいなぁ。公園って来ることあっても、中々遊ばないですよね」


 そりゃ、そうだろう。

 公園は幼児のものだ。紀野みたいな大きな子供が遊んだら邪魔で仕方ないだろう。


 って、俺もか。今日は遊ぶ子がいなかったから良かったけど、邪魔だよな、俺……。


 またしても黒い影が、俺をマイナスに引き摺り落とす。ダメだな、もう。


「へへー、せっかくだから遊んでいこうかな♪ 先輩、ちょっとそっちに寄ってください」

「え、ここに来るのか?」


 デカいゾウの形をした滑り台。

 その中が空洞になって隠れることができる作りになっていたのだが、とても2人が入れるスペースはなかった。


 だが紀野は強引に入り込んできて、そのまま覆い被さるように倒れ込んできた。


「わわっ、ビックリしたー! 先輩、大丈夫ですか?」


 だ、大丈夫じゃない! 紀野の胸元が、頬に押しつけられて……他の部位も、足も……、腰も降りて、ヤバい、思考が暴走する!


「わっ、この体勢って際どいですね。えへへ、先輩、重くてごめんなさい」

「お、重くはないけど……」


 事故、これは事故! 決して俺の意思で触れているわけではない!

 少しでも距離を取ろうと離れたが、むしろ紀野の腕は俺の背中に回って、そのまま摺り寄せるように抱き付いてきた。


「……っ、紀野?」

「先輩が無事で良かった……。もし屋上から飛び降りようとしてたら、どうしようと心配しました」


 流石の俺も、飛び降りなんてしない。

 確かに今日の俺の出来事は、人生最悪な

 日と言ってもおかしくないくらい非現実的だった。


 でも、紀野が……俺のために全力で駆けつけてくれたんだ。それだけでチャラになるくらい、大きな存在だって、改めて実感した。


「もう、先輩がカッコ良すぎるのがいけないんですよ? 先輩はダサいくらいが丁度良かったのに」

「いやいや、暁さんの腕がいいだけで、俺自身は何も変わってないし……。周りが大袈裟すぎるんだよ」


 ふぅーん……っと、拗ねる仕草を見せたかと思ったら、今度は猫のように甘えて擦り寄ってきた。


「でも先輩、覚えててくださいね? どんな先輩になっても、私が一番先輩のことを好きなんですからね?」


 待て待て、紀野……!

 このゼロ距離で愛の言葉は、流石の俺も堪える。


「あは♪ 先輩、顔が真っ赤ー」

「紀野も……耳まで真っ赤」


 俺達は互いの頬を指で撫でて、そのまま距離を詰めた。


 紀野の唇が、躊躇うように動いたが、気付かないふりをして重ね合った。


 心臓が、全身が沸る。

 彼女の細い身体を抱き締め、貪るように求めた。


「ん……っ、先輩、痛ィ」


 呟かれた言葉で、ハッと我に返った。

 俺って奴は、本当にどうしようもなくダメな奴だ。心配して駆けつけてくれた紀野に、何てことを。


「え、やめなくていいですよ……? 少し力を緩めて欲しかっただけだから」


 そう言って俺の手をまた取って、胸元でギュッと抱き締めた。

 まるで宝物の人形を抱き締める子供のような表情に、好きって感情が込み上がる。


 俺は、紀野の一つ一つの行動すら愛しい。


 そんな俺の気持ちを察したのか、彼女もニッと笑みを浮かべると、意地悪な表情で提案を口にした。


「やっぱ先輩……私達、付き合っちゃいましょうか?」

「え?」

「先輩を他の女の人に取られないか心配で……。先輩は真面目だから、浮気しなさそうだし」


 別に彼氏彼女じゃなくても、紀野が一番なことに変わりはないのに。そんなに信用がないだろうか? 自信をなくし俯くように視線を落とすと、ぐいっと持ち上げられた。

 両頬が形を崩す。苦しィ……!


「———好きな人ってだけじゃ、引かない人もいるから。私、先輩を守るためなら、社長と戦う所存だし!」

「いっ、それはダメだ! 紀野の仕事に支障をもたらすようなことはしたらダメだ!」


 いくら人気モデルとはいえ、会社の方針に違反するのは良くないはずだ。

 俺なんかのために、紀野が犠牲を払うようなことはしてほしくない。


「ヤダヤダ、私は先輩を取られる方がヤダだもん! 同業の子で、隠れて付き合ってる子だっているし、遊んでる子も多いもん!」


 ヤメろ! 一般人の夢を壊すような発言はヤメろ! 皆、アイドルや芸能人に夢見て生きているのだから。


「けど、こうして隠れてキスしてる時点で、ファンを裏切ってると思うんだけどなァ。それならオープンにして、お付き合いした方が誠実じゃない?」

「プロなら隠し通せよ……どうせ裏の顔なんて見えやしないんだから」


 ———ん? 俺の方が酷い発言してる?

 紀野は納得いかない顔をしながら、唇を尖らせていた。


「何にせよ、私は先輩に何かあったら守りますからね! 先輩を失うことになる方が、ずっとずっと嫌だから」


 紀野………それはフラグって言うんだぜって、喉元まで出かかっていたが、飲み込んで消した。



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