人間の本能(俺はとにかく逃げたい)
何で? どうして?
何で
幼い頃の恐怖が蘇り、足や指先、いや全身が震えて止まらなかった。
ある意味、幽霊や妖怪よりも恐ろしい。
生身の人間が一番怖いんだよ……って、死んだ婆ちゃんが話していたけど、こういう時に使う比喩じゃないよな? え、合ってる?
あー、もうパニックでおかしくなりそうだ。
何が怖かったって、月音ちゃんだけじゃなくて、当時の取り巻き女子も一緒に待ち伏せをしていたことだ。
まだ続いていたのか?
女子の友情って意外としぶといんだな。
「わー、マジであの斉藤? 変わってないね! アンタがネットニュースに上がっててビックリしたって!」
相変わらずズケズケと発せられる言葉に、心のHPが容赦なく削ぎ落とされる。
どうしよう、冗談抜きで息が吸えない。
目の前が真っ白になりそうだ。
「久しぶりだよね。斉藤くん、私のこと覚えてるかな?」
「覚えてるに決まってるでしょ? ねぇ、斉藤。アンタ、月音ちゃんと付き合ってたもんね」
付き合ってねぇよ!
記憶を改竄するな! ついでにお前達のせいで、俺は未だにヒキョーな斉藤なんだからな!
———って、大声で叫べたら、どれだけ幸せだろう。
現実の俺は竦み上がったまま、何も出来ずにいた。
結局、少しはまともになれたつもりだったけど、根本的なところは全然変わっていないんだ。この有無言わせない空気が嫌いで、ずっと隠れるように生きてきたというのに。
「ねぇねぇ、斉藤。アンタ、月音ちゃんと連絡先交換しなよ? 久しぶりの再会だし、ゆっくり話したいし」
は? 俺はお前らとの再会なんて望んでねぇし!
何なら今すぐ走って逃げたいくらいなのに。
なのにどうして、彼女達を前にすると動けなくなるんだろう?
そんな俺の状態を知ってか、月音ちゃんは手を握ってスマホを取り出してきた。初めて正面から見た
バランスはいいんだけど、整い過ぎて人間味のない———……
「良かった、指紋認証だったんだね。私の連絡先、追加しておいたから今度一緒に遊ぼうね」
はァ? いつの間に?
っていうか、勝手にすんな!
画面を見ると、しっかり友達追加されていて、絶望で思考が停止した。
悪魔だろ、コイツら……。
俺、何も言ってないんだけど?
「月音ちゃんは、アンタの記事を見た瞬間、すぐにリサーチして探し出したんだよ? こんなに想ってくれる人なんて滅多にいないよ? 斉藤、ちゃんと幸せにしてあげなさいよ?」
フラッシュバックする———……あの忌々しい記憶が、鮮明に蘇る。
「………嫌だ、絶対に嫌だ! 俺は!」
そしてまたしても俺は、踵を返して逃亡を図った。
俺も全く成長していねぇ!
無理無理無理、いや、あんなん絶対に無理だろう⁉︎
手に負えないラスボスの到来に、身を守ろうと必死に走った。
せっかく中学は別々になって解放されたと思ったのに、どうしてここまで追いかけ回すんだ?
俺のことなんて好きじゃないくせに! 絶対、今まで忘れていたくせに、何で出没してきたんだ?
こんなことなら自分磨きなんてするんじゃなかった。
この見た目になって、良いことなんて全然ない。
紀野は、前のままでも好きだって言ってくれたんだ。ダサい隠キャのままでも好意を持ってくれたのに。
他の奴らは掌返したように近付いて、気持ちが悪い!
走ってる間も、ずっと月音ちゃんからの着信が鳴り響いていて、いつまでも、どこまで走っても逃げられないと、束縛に近い嫌悪感が拭えなかった。
こんなことなら隠キャのままでいればよかった……。
誰もいない寂れた公園の滑り台の影に座り込み、項垂れるように頭を抱えた。
着信は100件を突破していた。
月音ちゃんだけでなく、取り巻き女子にも情報が共有されたようで、さらに恐怖は加速されていった。
誰か助けてくれよ……、もう限界だ。
そんな窮地を察したのか、地獄に垂れた一糸のように、救いの着信が入ってきた。
「………紀野?」
涙と鼻水と、とにかく色んな汁でめちゃくちゃになった顔だったが、なりふり構っている余裕はなかった。
急いで通話を押すと、普段通りの明るい声が名前を紡いでくれた。
『斉藤先輩? あれから大丈夫でしたか?』
———紀野だ。この気の抜けたような、安心する声に胸が締め付けられた。
「紀野……紀野……っ、俺、ごめん」
『え、先輩? もしかして泣いてるんですか? え、え? ど、どうしたの?』
声だけなのに、彼女の慌てる様子が鮮明に浮かんだ。
あー……俺は何してるんだろう。どうでもいいことを大袈裟にして、心配させてる場合じゃないのに。
「ごめん、ちょっと色々あってメンタルやられてた。けど紀野の声を聞いたら安心したよ」
『色々って、何があったんですか? え、私、先輩のところに行きます。どこにいるんですか?』
いやいや、お前は仕事中だろう? そこまで迷惑をかけるわけにはいかない。大丈夫だからと宥めたけど、彼女は行くからとずっと言い張っていた。
『先輩だって、私が泣いてたら何が何でも駆けつけたいと思うでしょ? それと一緒です。大丈夫、もう一段落して終わるところだったんで』
いや、絶対に違うだろう?
嘘ついているに違いない。
確証はないけど、きっと彼女は嘘をついている。
でもアイツらの言う通り、俺はやっぱり卑怯なのかもしれない。
申し訳ないと思いつつ、居場所を白状してしまった。
会いたくて仕方なかったんだ。紀野の、屈託のない笑顔が見たくて、俺は———……。
『ん、いいんですよ、先輩。私は先輩のことが大好きなんですから、たくさん甘えちゃって下さい』
あー……もう、ダメだろう。
通話終了のボタンを押したと同時に、俺の涙腺は再び壊れてしまった。
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