一度は言ってみたかった「だが、断る」
何やかんだで連れてこられたのは、ご立派なビルの最上階。
広々とした部屋に座り心地のいいソファー。
毛並みのいい真っ白なペルシャ猫を膝に抱いた……性格の悪そうな初老のマダム。
「社長! すいません、言われた通りに連れて参りました!」
俺の口を慌てて塞いだ紀野が、マダムに頭を下げながら挨拶をしていた。
ほう、この人が紀野達の雇い主。
分厚い唇に真っ赤なルージュが、嫌でも視界に飛び込んでくる。
「凪ちゃん、ありがとう。学校だったのに面倒かけちゃったわね」
「いえいえ、そんな! そもそも私も千石さんと一緒にいたのに、深く注意しなかったのがいけなかったので」
「無理よ、凪ちゃん。あの子は何十回繰り返して言っても、1時間後には忘れているような子だから。凪ちゃんは気にする必要はないわ」
それに———そう言いかけて社長は、俺の前に立つなり、ツムジの辺りからからつま先まで、舐めるように見定めてきた。
「それに、少しは感謝したい気持ちもあるのよね。ふーん……」
「は?」
「あら、ごめんさないね。本音が溢れてしまったわ。私の名前は
「斉藤です。あの、何で俺と紀野さんは呼ばれたんですか?」
ショーンに突っ込むことなく、さっさと本題に入った。
つかみどころのない会話に、やれやれと苦笑を溢しながら口を開いた。
「まずは、ウチの雪人が斉藤くんに迷惑をかけてしまったことを謝りたくてね……。本当に申し訳ないわ」
「あ、そのことなら事務所から正式にお断りの文を公開して下さい。自分は芸能人とか興味ないんで」
とりつく島もない。ハッキリと断る俺に、またしても苦笑いを浮かべた。
ついでに隣に座っている紀野も、真っ青な顔でハラハラしながら見守っていた。
「そうね、私もそのつもりだったのよ。でも実際に斉藤くんを見たら、ふふ……中々光るものがあるじゃない。改めて口説きたいと思ったんだけど、本当に芸能界には」
「少なくてもダディーズには入りたくないです。俺には千石さんみたいに歌って踊って、不特定多数のファンに愛想を振り撒くなんて不可能です」
ほんの数日前まで、手のつけられないほどの隠キャだった俺に務まるはずがない。
そういった世界は、したい奴がすれば良いんだ。
野心も興味もない俺には、荷が重い。
「でもね、芸能界に入ったら、凪以上に可愛い子と一緒にいられるのよ?」
は? 紀野以上?
んなわけない。俺には紀野以上に可愛い人なんて存在しない。
いたとしても、俺は紀野が一番可愛いと断言する。
そして俺はショーンのことが嫌いだってことも、断言する。仮にも自分の事務所の子だろ? テメェがそんなこと言うな、コノヤロー。
「見た目だけで判断したら後悔しますよ? 俺と言う人間を、あなたはまだ知らない」
「へぇ、それじゃ見せてくれるの? 斉藤くんって人がどんな人か」
それは面倒だな、とあからさまに眉を顰めた。
「失礼だけど、斉藤くんの話は凪から聞いてたの。原石のように勿体無い子がいるってね。暁ちゃんのおかげで、随分と輝くことになったみたいだけどね」
「あの、俺は中学卒業したら、暁さんの仕事場を手伝いながら高校に行くつもりです。なので芸能人になるつもりはありません」
「あら? そうなの? ふぅん……それならいいわ。ねぇ、斉藤くん。今はそれでいいから、芸能界に興味が湧いたら、絶対に暁ちゃんに相談してね?」
湧くことなんてないと思うけど……。
コクンと頷いて約束をした。
一先ず社長は俺に謝罪をしたかったようで……あわよくば、そのままダディーズに入れようと企んでいたようだ。
「今回の騒動は事務所から訂正するから、安心していいわ。斉藤くん、本当にごめんなさいね」
謝るだけなら電話でもよかったのにな。
ショーン社長は「好きなものでも食べなさい」と紀野にお小遣いを渡して、見送ってくれた。
「そうそう、斉藤くん。今回のことで色んな人の関心を集めたでしょ? どんな気持ちだった?」
は? 気持ち? そんなの決まってる。
「面倒でした。心底放っておいてほしいと思いました」
トドメの言葉にショーンは、諦めるように大きくため息を吐いた。
「本当に勿体無い子ね。原石は誰でも持っているとは限らないのに……」
「俺はその原石のせいで、酷い目に遭ったんで。持っているから幸福になれるとは限らないんですよ?」
ショーンは、もう何も言うまいと目を閉じた。
▲ ▽ ▲ ▽
「先輩、本当に良かったんですか?」
帰り道、紀野はオドオドした様子で尋ねてきた。芸能界のことか? それともダディーズのことだろうか?
「うん、何の問題もないよ。少なくても千石さんみたいになりたいかって聞かれたら、俺には無理だし」
かと言って、紀野との時間が減るのは寂しいから、俺は暁さんのところで修行をするという選択を取っただけだ。
芸能界に興味がないかって聞かれたら、そりゃ、少しはある。けれど人前に出て話したり、歌って踊るのは無理だ。
少しずつ経験を積めば、もしかしたら自信が出て、踏み出せるかもしれないし、そのままへたる可能性もある。
「そっかー、残念。もし先輩が同じ事務所になってくれたら、一緒にいる時間が増えると思ったのにー」
「そもそも紀野の事務所は恋愛禁止じゃなかったのか? ショーンにバレるかと思ってヒヤヒヤしたよ」
「あ、それ! 社長のことをショーンって呼んでいいって、スゴいことですよ! 認めた人にしか呼ばせないんですよ?」
話を逸らしたな、紀野。
っつーか、そんなに煽てても入らねぇぞ?
いくら見た目が整ったところで、隠キャの俺には無理だ。
「でも、いいもーんだ♪ 暁さんのところでバイトするなら、常連さんになるし」
「はいはい」
「あー、先輩! 面倒臭いなー、コイツって思ったでしょ?」
そんな言いながら、紀野はバックハグをして、ギューっと幸せな膨らみを押し付けてきた。
おいおいおい、ここ、一般人も歩く街並み!
誰に見られるか分からねぇぞ?
「いいの、バレたらバレたで……。私、ちょっと不安なの。先輩を取られそうで……」
「は、はぁ? 誰が取るんだよ、こんな男」
「もう、先輩は自分のこと卑下しすぎ! 性格だけじゃなくて、見た目も良くなっちゃったから、心配なんです」
いやいや、性格終わってますが?
心の中で何度、世界滅びろと願ったことか。
「だ、大丈夫だよ。俺のことを好きになってくれる物好きは、紀野くらいしかいないし」
「そんなことないですって! きっと他の子も」
「だとしても、俺は紀野しか好きにならないから……紀野以外に興味ないから」
俺の言葉に、紀野は耳まで赤くした。
笑っているのか、困っているのか、分からない口元を隠しながら、小さな声で「……私も先輩が好きです」と呟いてきた。
———うん、知ってる。
もう紀野の好きは、俺にちゃんと伝わってる。
そうして俺達は、手を繋いで歩き出した。
きっと二人なら大丈夫だ。そう信じて、強く握りしめた。
———……★
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