どんなご関係で?

 突然の芸能人の登場に、俺は緊張で言葉を失ってしまった。

 千石雪人って、あの千石雪人か?


 紀野とほっぺチューをして、されて、人気若手女優とデキ婚をしたスキャンダル野郎の千石雪人か?


 あの憎くて仕方なかった奴なのに、本物はキラキラしていて芸能人オーラが半端なかった。


「え、サインが欲しいの? 仕方ないなー、ネットで売買しないって約束してくれたらしてあげないこともないよ?」

「いやいや、いらないですって。もう千石さん、こんなところで何をしてるんですか?」

「え、そりゃ暁さんに髪を切ってもらおうと思って? ホラ、俺って今、時の人だし?」

「悪い意味でね。もう、事務所も電話鳴りっぱなしで、マネージャー達も困ってましたよ? 他のメンバーも可哀想だし、もっと反省しないとですよ?」


 たしか千石雪人って二十歳前半くらいだったよな?

 中学生に説教されて、何かイメージ狂うな……。


 ———このゆるい空気感。やっぱ元カレ、元カノだからか?

 そんな二人を見ていると、嫉妬でモヤモヤしてしまう。


 そんな俺に気付いた暁さんは「どうしたの?」と心配の声を掛けてくれた。

 さり気ない気遣いが出来て、女の人なのに憧れてしまうカッコ良さがある。


「あ、いや……紀野と千石さん、仲がいいなって思って。やっぱ前に付き合ってたからですかね」


 俺の言葉に「ん?」とフリーズしたけど、すぐに表情を戻して「どういうこと?」と聞いてきた。


「いや、だから……紀野と千石さん。ネットで検索したらこんな記事を見かけて」


 前に見た記事を見せると、暁さんはブハッと吹き出して大声で笑い出した。


「アハハ! えー、斎藤くんはこんな記事を信じたの? これ、前に雑誌で撮影した写真だよ? へぇ、こんな記事が出てたんだ」

「え、雑誌の写真?」

「そうだよ、そうでないとプライベートでこんな決め決めの服なんて着ないでしょ? それに凪ちゃんは、君が初恋なんだよ? 千石くんみたいなチャランポランに惚れるような子じゃないよ」


 俺が初恋……? 想定外の事実に顔がニヤける。

 っていうか、千石をチャランポランって言える暁さんって何者?


「っていうか、待って待って? ねぇ、千石さん。さっき先輩に言ってた……後釜ってどう言うことですか?」


 そういえばそんなことを言っていたな。

 色んな情報が渋滞していてスルーするところだった。


「どう言うことも何も、ほら、俺ってスキャンダル起こしたからグループを脱退させられることになってさー。今度オーディションをすることになったんだ」


 あぁ、オーディションか。

 ビックリした……直に誘われたかと思ったよ。


「けど書類見てる限りじゃ微妙な子ばかりだったから、斎藤くんを社長に勧めようかなーって思ったんだ」

「これ以上、余計なことをしないで下さい! 千石さん! ただでさえ今回の騒動で社長もマネージャーも困り果ててるから!」


 思っていた以上の自由人の発言に、言葉か出なかった。

 あれー……こんな人だった? テレビで見た時は、もう少しまともだと思ったけど?


「それでどう? 良かったら俺から推薦するけど、芸能界には興味はない?」

「全くありません。申し訳ございませんが、丁重にお断りさせていただきます」

「えっ、何でェ⁉︎」


 まさか断れると思っていなかった仙石さんは、信じられないと人一倍オーバーに驚いていた。


「芸能人だよ? モテモテになるよ? きっと君なら俺よりも人気出ると思うよ?」


 それは過大評価って奴です。

 そもそも俺は根っからの隠キャなんで、人前に出て喋ったり、何かするなんてもってのほかだ。

 そもそも俺なんかを好きになってくれるわけがない。


 そう、俺なんか芸能人になれるわけがない!


「わー、凪ちゃん。斎藤くんっていつもこんな感じ? 一周回って面白いんだけど」


 一周回ってって、どう言う意味だ、コラ。


「いつもこんな感じですよ? 先輩、私は大好きですからね♡」


 虚しいフォローをありがとよ、紀野。

 嬉しさのあまり涙が出そうになるよ、コンチクショー。


 そもそも、ここにいる人達と自分が同じ人種だなんて微塵も思っていない。

 同じ空間にいるだけでも惨めな気分になるって言うのに。


 あまりの不快感に胃液が逆流してきた。酸が口内に広がる。俺、もう帰っちゃダメかな?


「そんな卑屈になる必要なんてないよ、斎藤くん。君はあのチャランポランよりも、ずっといい男だから安心しなよ」


 そっと摩るように置かれた背中の手が、マイナスの心に温かかった。横目で見ると、暁さんが子供を諭すような表情で微笑んでいた。


「そもそも今日、髪を切って世界が変わったばかりなのに、いきなりそんな言われても無理だよね? 千石くん、君も突拍子もないことを言って人を困らせたらダメだよ?」


 か、カッケー……。

 本気で尊敬するわ、この人。


 俺もこんなふうにスマートに気遣いのできる大人になりたい。


「けどさ、暁さん。きっとコイツ、明日からモテると思うよ? 世界が変わると思うよ? 今のうちにツバをつけていた方がいいって思わない?」

「だとしても、君はあまりにも早急すぎるんだよ。そもそも斎藤くんは凪ちゃんの頼みで髪を切りにきたんだ。芸能人になるためじゃないんだよ?」


 俺の心の声を次々に代弁してくれて、本当に助かる!

 俺、暁さんの頼みなら何だって聞く。


 この人の弟子になりたいくらい尊敬できる!


 そんな俺に危機感を覚えたのか、紀野がグイグイ間に入っては邪魔するように立ち塞がってきた。


「わっ、先輩! 暁さんに惚れてもダメですよ? 暁さんは女の子のことが好きなんですからね?」

「え、そうなんですか?」

「うん、そうだよ。だから僕は斎藤くんよりも凪ちゃんの方が好きだよ」


 同性愛者って言うのだろうか?

 初めて見るタイプの人間に、言葉を詰まらせてしまった。


「って、いやいやいや! そもそも俺は紀野のことが好きなのに、他の人に惚れるとかないだろ?」

「ツッコミ遅っ! もう斎藤くん、そんなことじゃ芸能界を生き抜くことなんてできないぜ?」

「だーかーら、芸能人に興味はないって言ったじゃないですか!」


 諦めの悪い千石さんに、俺もだんだん堪忍袋の緒が切れ始めた。

 でも新たな刺客が迫りつつあることに、俺は気付いていなかった。


 紀野が隣に付き添うように近付いてくると、ヒョコヒョコっと袖を引っ張ってきた。


「……先輩、本当に興味がないんですか? 私はちょっと、モデルになった先輩に興味があるんですけど」


 唇を尖らせて駄々を捏ねる紀野に、不覚にも不意打ちを喰らってしまった。

 い、いや、安易に了承することではない!


 隠キャの俺には無理だ!


「それじゃ、試しにこの店のカットモデルにならないかい?」


 そう提案してきたのは美容師の暁さんだった。

 カットモデルって……?


「丁度、写真を更新しようと思っていたんだ。今日の分のカット代をサービスするから、斎藤くんの写真をあげてもいいかな?」


 カット代サービスか……それは美味しい話だ。それに暁さんのお店のなら安心できる気がする。


「いいですよ、わかりました。暁さん、よろしくお願いします」


 ただか美容院のカットモデルくらいなら、問題ないだろうと踏んでいた俺がバカだった。

 俺はこ数日後、この時の返事に酷く後悔することになる。

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