第13話 そつない君とカーテン越し

 いつも通りの時間に、アラームで目を覚ます。頭が重い。聞き慣れた基礎設定のアラーム音が、いつもより耳障りに感じた。


 結局、昨日寝たのは一時前だった。意地なのかなんなのか、美羽姉の宿題を写す気にもならず、寝ぼけた頭をリセットするために風呂に入り、古文の和訳を終えて学校へ行く準備をしていたら、そのくらいになってしまった。


「あー…しかも、一限目体育じゃん。終わってるな」


 その上、明日は土曜日という全国的な休日であるにも関わらず、修介と創と遊びに行くことになっている。付き合いというのは非常に大変である。


 のそのそとベッドから体を起こし、一階へと降りる。少し頭が痛い。リビングからは、トーストが焼けるいい匂いが漂ってきた。


「おはよう」


「おはよう、つー兄。朝ご飯、出来てるよ」


「ありがとう…」


 ちょうど玄関で、毛玉の散歩から帰ってきたばかりらしい、ラフな格好した白星と顔を合わせた。自分のありがとうの声が掠れているのが分かった。


 毛玉の小さく吠える声も、目覚めの足しにすらならなかった。


 怪しい意識と足取りで洗面所へ向かう。勢いよく捻った蛇口から溢れ出す冷水で、いつもより念入りに顔を洗う。少しだけ、頭がすっきりした気がした。


「おはよう、兄さん」


「おはようさん」


 既に身支度の大半を終えた風星がトーストをパクついている。何も変わらない朝の風景。ただ、俺の体調が少し悪いことを除けば。


「大丈夫?顔色悪いよ?」


「んー、まあ大丈夫だろ」


 風星は少し疑わしげな顔はしたものの、俺は元々朝は弱い方なので、それ以上気にした素振りもない。元気に朝食を食べ終えて、シンクへ皿を持っていった。


 トーストと目玉焼きを食べ終え、時計を見ると、いつもより五分ほど時間が遅かった。体に鞭を打って、急いで身支度に取り掛かる。


 髪を濡らし、ドライヤーをかけて、制服を着た後、仕上げにワックスで整える。元々癖毛気味な髪は、それだけで簡単に動きが出てそれっぽく見える。


 見慣れた、見慣れない俺の姿だ。


 昨日の残りのハンバーグと茹で野菜を、さっと弁当箱に詰め込んで、おにぎりを一つ作ると、カバンに詰め込んだ。


「行ってきます」


 既に他の二人は学校へと向かったようで、返答はない。ただ、静かな空間に自分の声が木霊しただけ。


 鍵を閉めると、学校へと歩き出す。徒歩十五分。それが、我が家と碧海高校の距離だった。


 住宅街を抜けて、線路沿いを歩く。そのまま少し進むと、駅が見えてくる。そうすると、電車通学の人間が合流し、随分と碧海生の数が増える。

 今日の占いのこと、Youtubeの動画の話、教師の愚痴。そんなものが小音で耳に入っては消えていった。いつもは気にならない雑音たちも、頭痛で過敏になった体には堪える。今日に限って、自前のノイズキャンセリングイヤホンを忘れたのが痛手だった。


「おはよう、鼓星」


 少々ゲンナリしている俺の背後から、名前を呼ぶ声がした。急いで仮面を作り直して、振り返る。


「修介か。おはよう」


 そこにいたのは、今朝も元気に爽やかオーラを発しているイケメンだった。俺に挨拶と共に向けられた笑顔を、通り過ぎていく女生徒がチラ見していったのが分かった。


「珍しいな、修介と朝が一緒になるなんて」


 朝が弱くて、それほど早くは登校しない俺と違い、修介は朝型らしく、課題なども朝に学校ですることが多い。なので、登校時に出会うことは珍しい。


「昨日は課題多くて、夜のうちに終わらせちゃったし。一限目体育だから、体力を残しておきたくてね」


「創のやつは、今日も朝練だろ?その後に体育でもニコニコしてるの信じられないよな」


「あいつは、とにかく体動かすのが好きだからなあ」


 俺も修介も、人並みの体力は持っているが、所詮帰宅部。バスケ部で毎日体を鍛え抜いている創には遠く及ばない。


 遊びに行っても、必ずあいつは最後までピンピンしているのだとか。声が大きくて消費カロリーが大きいのに、なぜ俺たちより元気なのかだとか。そんなくだらないことを話しながら学校へ向かう。


 ただ、やはり体調が悪い身で、十全に細かいところにまで気を配るのは無理だった。いつもより笑顔が固くて、会話のテンポが悪い。


「鼓星?大丈夫か?顔色悪いぞ」


 目の前の、生まれた時からリア充男が、それに気づかないはずもなく。心配そうに顔を覗き込まれる。


「大丈夫、元々朝は血圧低いんだけど、今日は特に寝覚め悪くてな。まだ血が巡りきってないだけだよ」


「そうか、無理するなよ」


 明日どこに出かけるかを話していると、気づけば教室だ。今朝も制汗剤の匂いがする創と三人で、ホームルームまで他愛無い話をした。明日は和歌山駅周辺でぶらぶらすることになった。


 ホームルームが始まり、自分の席に戻って、頬杖をつく。担任の声を聞き流す。一度、美羽姉と目が合った。

 俺とは正反対に、朝に強い美羽姉は、白星を叩き起こして毛玉の散歩に行った後、ゆっくりと学校に来たらしい。


 修介にすらバレた顔色の悪さを、美羽姉相手に誤魔化し切れるわけもなく、目があった数秒後にスマホが震える。


『大丈夫?結局、宿題も自力でやったみたいだけど。寝不足?』


『ちょっとだけ、寝不足かも」


『保健室、行っておいでよ。一限目体育だよ?』


『卓球だし、大丈夫。無理はしない』


『本当だね』


 「問題にゃい」と書かれた、猫のデフォルメスタンプを送って、スマホを裏返してから机に仕舞った。

 担任の連絡事項は、何一つ耳に入ってこなかった。


 少なくとも、保健室に行くとしたら、男女別に分かれて美羽姉にバレなくなってからだ。


 女子が更衣室に向かった後、教室で体操着に着替えた。まだ、半袖一枚になる気にはなれなくて、ジャージを着込んだ。少し暑い。


 うちは体育館が三つある。東体育館、西体育館、そして小体育館。今日の卓球が行われるのは、小体育館だ。

 小体育館は、西校舎のほど近くに建っているので、保健室に近いのが救いだった。ただ、移動が少々面倒くさい。


 シューズと飲み物を持って、体育館へ移動した。案の定、朝イチから元気な半袖半パン姿の創に苦笑しながら。


 碧海は一コマ六十分授業だ。普段の退屈といえる授業が他の高校より長い分、体育なんかのお楽しみ時間も長い。ただ、今日だけは長い時間が恨めしかった。


 準備体操の時間で既に頭がぐわんぐわん鳴っていたのに、いざ卓球が始まると酷い有様だった。体育教師特有の大きい声も、頭に響いて非常に鬱陶しい。


 修介とのラリーが一セット分終わったところで、限界が来た。体育教師に体調が悪いことを伝えると、教師と修介の付き添いを遠慮し、保健室へと向かった。


 最近よく顔を合わせる気がする養護教諭に「顔色が悪いからこの時間は寝てろ」といった旨を言われ、ベッドに叩き込まれる。すぐにカーテンが閉められて、一人になった。

 パリッと糊の効いたシーツに硬い枕。いつになっても落ち着かない空間に戸惑いながらも、目を閉じた。頭が痛くて、すぐには眠れそうにない。


 ガラリと扉が開く音がして、室内から足音が遠ざかっていった。養護教諭がどこかに行ったのだろうか。


「宇久井くん…だよね?大丈夫?」


 それを合図にしたように、カーテンの向こう側から声がした。柔らかな声。


「ああ…紀伊さん。大丈夫。ちょっと、寝不足なだけ。昨日の宿題、思ったより時間かかっちゃって」


「数学の?私も。特に、授業内容を最近はさらっとしか学んでないから…」


「宿題してるだけ偉いと思うよ…」


「そうかな…せめて、学生やってるって実感が欲しいのかも」


 カーテンを二枚挟んだ、紀伊さんの表情を窺い知ることはできない。それでいいのかもしれない。

 意識が少しずつ遠ざかっていく気がする。ようやく、眠気が頭痛に勝ったらしい。


「宇久井くん…私ね」


 視界の全てが真白い。真白いあなたにバレないように、この授業が終わる頃には起きて、教室に戻らなければならない。


「数学、得意だったんだよ」


 そんな声を最後に、白い視界がブラックアウトした。


 結局、三十分ほど眠ると、随分と頭がすっきりした。抜け出したくない気持ちを押し殺し、布団を跳ね除けて保健室を後にした。

 養護教諭に頭痛薬を一つもらうと、なんとか教室に帰った。ちょうど、一限が終わるチャイムが聞こえた。


 ちょうど、修介と創と合流できたので「もう大丈夫だ」と言っておく。教室で保健室の話題を出されると、美羽姉にバレて全部台無しだ。 


 ジャージから制服に着替えると、少し眠った甲斐もあって、意識がはっきりとした。パリッとしたカッターシャツが、背筋を伸ばした。


 なんとか、残る授業を乗り切って放課後になった頃には、クタクタだった。恐らく、体調不良を美羽姉にも悟られなかったはずだ。


 背伸びを一つして、修介たちと教室を出た。二人と駅で別れると、早足で家に帰った。


 シャワーを浴びてスウェットに着替えて水を飲むと、ベッドに倒れ込んだ。保健室の、匂いのしない硬いベッドとは違って、安心するいつもの香りがした。


 使い込まれたクタクタのタオルケットに包まると、すぐ意識が遠くなった。とてつもなく眠い。


 明日は修介と創との約束がある。日曜日は一日中寝てやろうと、そんなことを考えて意識を手放した。


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主人公の鼓星はあんま体強くない。

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