第10話 そつない君と幼馴染の姉さん

いつもより一時間半ほども帰りが遅いというのに、我が家には家族が誰一人いなかった。だというのに、玄関の鍵は開いたままだ。


  不用心だなぁと内心で嘆息して、靴を脱ぎながら「ただいま」と言った。返事はない。


「美羽姉...?ただいま」


  リビングの扉を開いて、再度帰ってきたことを伝えるけれど、返事はない。靴があったのでおかしいなと首を傾げる。お花摘みにでも行っているのだろうかと、手洗いうがいを済ませてトイレを確認するも、明かりはついていない。


  もしやと思い階段を上り自室の扉を開くと、ご丁寧にヘッドフォンまでして俺の携帯ゲーム機をいじっている姿を見つけた。膝の上には、気持ちよさそうにうちの犬が眠っている。きっと起こさないよう、配慮としてヘッドフォンをしていたのだろう。


  そろりと近づいて、ヘッドフォンを片耳だけ外すと、ようやく彼女は俺に気づいたらしく「あ、おかえり〜」と呑気な声を漏らす。


「あのさ、確かにくつろいでおいてとは言ったけど、なんで俺の部屋でくつろいでんの?」


「やー、星くんの部屋なんか落ち着くんだ。子供の頃から変わらない匂いがするからさー」


  その変わらぬ匂いというのも、きっと美羽姉から香る花のような香りできっと毒されて違うものへと変貌し終わっていることだろう。


「星くんもやる?テレビに繋ごっか?」


「いや、いいよ。晩御飯作らないと」


「あ、お米は炊いといてあげたよ」


「それはありがとう。助かるよ」


「おねーさん、ハンバーグが食べたいなー」


「食客のくせに図々しい!」


  口ではそう言いつつも、ひき肉とパン粉はあっただろうか、なんて考えている自分に呆れる。


  俺達のやり取りで目を覚ましたのか、美羽姉の膝の上で毛玉が小さく鳴く。

  美羽姉はそれを諌めるように、慈しむように首元を撫でる。毛玉は気持ちよさそうに目を細めると再び膝の上で体を折りたたみ、目を閉じた。


  毛玉のやつは、やたらと美羽姉に懐いている。飼い始めてから五年ほど経つけれど、飼い主である白星を除けば最も懐いていると言ってもいい。つまり、それだけ美羽姉は我が家を訪れ、毛玉と接する機会があるという証明でもある。


「ごめん、美羽姉。そいつ起こして、餌あげてくれない?」


「ん。さ、彦星。ご飯の時間だよー」


  ご飯という言葉に飛び起きた毛玉は、しっぽを振りながら、美羽姉の腕に抱かれ階段を降りていく。俺もその後に続いた。


  餌やりを任せている間に、軽くシャワーを浴びると、夕餉の支度に入る。


  本当にひき肉もパン粉もあったので、ハンバーグを作ることにした。


  肉だねを捏ねていると、餌やりを終えたらしい美羽姉が僕の手元を見てニヤニヤとしていて不快だったので、投げやりに「煮込む?それとも焼くだけでいい?」と聞くと、煮込みを希望されたのでケチャップを用意する。美羽姉は子供舌なのだ。


  鍋でぐつぐつとハンバーグを煮込んでいると、美羽姉は特に何かを口にする訳でもなく人数分のお箸だったり、食器だったりを用意し始める。誰の箸が何色か、誰の茶碗がどれかなんて、美羽姉は全部知ってる。戸棚に美羽姉の分も我が家には用意されている。


「ありがとう、お味噌汁の具は何がいい?」


「ネギと豆腐でしょ。ちなみに候補は?」


「ネギと豆腐以外なら、玉ねぎと人参と大根かな」


「あ、やっぱりそっちで」


  こっちとしても、ハンバーグに使ったにんじんと玉ねぎの中途半端な残りを使えるので助かる。それから晩ご飯が出来上がるまで、約三十分の間はくだらない話をした。ハンバーグが煮込み切るまで、そうしていた。


  十五年近くだ。十五年近く、俺達はそうして生きてきた。


  俺の事を「星くん」と呼ぶ、美羽姉こと白浜美羽は、両親が俺を授かると共に購入したこのマイホームのお隣に生を受けた、所謂幼なじみだ。


  美羽姉の両親も星が好きだということもあり、ご近所付き合いはなんの障害もなく続いていった。俺は生まれてからというもの、記憶のない時分から美羽姉と遊んで育った。


  遡れば、三歳くらいの時に美羽姉におもちゃを取られて泣く俺の写真が出てきたり、小学校に毎朝共に通う姿を捉えた写真なんかも出てくる。紛れもなく、俺のもっとも近くにいた血の繋がらない人間だ。


  「星くん」と呼ぶのは、単純に子供の頃に舌っ足らずで「つづみ」と言えなかった美羽姉が、俺の名前の発音しない星を見つけて呼び始めたらしいが、物心ついた頃から既に「星くん」と呼ばれていたので、全く覚えていない。


  うちの両親にしてみれば、もう一人の娘。うちの双子からしてみれば、もう一人の良き姉。美羽姉はそういう存在だ。


  俺にとっても、きっと、良き姉だ。


  最早、我が家の一員なのだ。だから合鍵も持っているし、家に居ようと誰も驚かない。


  例え、美羽姉の髪がアルバムの途中で急に白くなって高校に一年通わずとも、それは何ら変わらない。そんなつまらなくて些細なことは、俺たちの間ではなんでもない事だ。


「美羽姉、今日病院の日だったんでしょ?」


「うん。といっても、いつもと変わらないよ。二、三個質問受けて、近況を先生に話してお終い」


「そう」


「星くんこそ、放課後何してたの?」


「ああ、たまには友達と遊ばないとさ」


「星くんに友達が...おねーさん感涙」


「うるさい」


「教室では猫かぶっちゃってー、うげーってなるよ、うげーって」


「二回言うな。能面被ってる人よりマシ」


  全く、誰のために教室で猫を被ってまでリア充に紛れ込んでいると思っているのだ。全部美羽姉を守るためなのに。


 美羽姉は、この髪と服装じゃないと学校に来ることが出来ない。それは過去のトラウマによるもので、それは美羽姉を蝕んで、時間を一年奪った元凶だ。

 俺はそれをなんとかするためだけに、碧海高校に入学してリア充に扮している。


 俺は中学時代の経験でよく知っている。クラス内で何か変化があった時、その事態の舵をとれるのはクラスの中心にいる人間だけなのだと。どう足掻いても人目を引き、いい面からも悪い面からも目立つ美羽姉への視線をうまくコントロールするために、俺はクラスの中心であり続けなければならない。


 窓際で一言も喋らなくても、教室にあなたがいることがどれだけの進歩か知っているから。それを守るためなら、いくらでも嘘つきになって笑ってみせる。


「…ごめんね、星くん」


「…何がだよ。晩御飯作るのなんて、いつものことじゃん。美羽姉料理出来ないんだから」


 下手な惚け方。それでもお互いにそれ以上は何も言わなかった。ダイニングテーブルにハンバーグが乗った皿を置く音を合図に、そこにあったわずかな歪みのようなものは姿をサッと隠してしまった。


「風くんと白星ちゃんは?」


「白星は多分部活。居残り練でもしてるんじゃない?風星は多分…生徒会?仲良いらしいよ」


「へー、風くん上手くやってるんだね。誰かさんと違って、中学時代からコミュ強だー」


「やかましい!」


 そんな数日経てば忘れてしまうほど他愛ない話をしながら、手を合わせると夕食に口をつけ始める。


「リクエストにお応えしましたが、いかがですか」


「うむ、悪くない」


「わさびでも仕込んどけばよかった…」


「出来もしないくせによく言うーー」


「ほーう、高校生になった鼓星くんを甘く見るなよ?」


「またまたー」


「……」


「え?やらないよね?私が辛いの苦手なの知ってるよね…星くん?」


「ごめんなさいは?」


「私が悪かったから、わさびはやめてください…」


 まあ、やらないが。全く、普段は本当に年上か疑いたくなる有様だ。教室では憂いを帯びたような表情で一言も喋らないとか冗談にしか思えない。うげーってなるのはこっちだよ。


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別の意味で学校と家の態度が結構違う二人。

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