第21話 弟リチャード

 眠っている間、長い時間で夢を見ていた。


 遠い昔の記憶でおそらくエリン語が話せる時期――家族と離れ離れになる直前のことだったと思う。


 貴族の邸宅のなかで木陰こかげに隠れているのを待っていたのだったけれど、まだ見つかっていないようだった。


 まだ春の足音が聞こえてきた頃。まだ寒い日が続いていたときだったかもしれない。

 息をひそめていたが、ガサッと音が聞こえてきて自分よりも背の高い成人間近の青年がきた。


「リック。ここにいたのか」


 そこには長い銀髪おくれ毛が出てしまうが、しっかりと結われている青年は笑顔で抱き上げていた。


「にいさま! みつかっちゃったなぁ」

「リックは隠れるのが上手いなぁ」

「へへへっ、にいさま」


 背が高い兄は自分が知らない目線の世界に連れて行ってくれたり、ときどき魔法も使って遊んでくれるような優しい人だ。


 大きな手で頭を撫でられて、少しだけうれしそうな笑みを浮かべているのがわかる。


 兄とは一回り以上……十三歳と年が離れているが、一人になりがちな弟と遊べるときは遊ぶ時間を大切にしてくれていた。


「リック。三月になったら、遊べる時間が減るかもしれないけどいいか?」

「にいさまはおしごとあるって、かあさまがいってたからだいじょうぶ!」

「大好きな俺と話せないんだよ?」

「ううん。さみしくない!」


 それを話して自分のことをぎゅっと抱きしめてくれたのだ。

 包み込んでくれるぬくもりを感じて、初春の冷たい空気にも負けない温かさだった。


「ありがとう。大好きだよ。リック」

「うん」


 そんな幸せな気持ちになる夢をときおり見ることが多かった。

 いつしかそれが兄と会える唯一の時間で涙をポロリとこぼすような朝になる日だ。


 帝国で暮らす日々で小さかった頃は泣きじゃくっていて、養父ちち養母ははにずっと抱きしめられていたことを覚えている。



 涙が頬を伝う感覚でふと目を覚ますと、いつもとは違う上等なベッドに寝かされていた。


 起き上がっても雲のような感触だったことを知り、やはり上等な家具だとこうなるだろうと考えた。


 そして、着ている衣服も異なっていた。


 白い寝間着パジャマになっているのに驚きを隠せないが、長い前髪で視界が邪魔になってしまう。


 もう何年も前髪を切らずに結っていたが、それが習慣になっているので気にしているわけではない。


 時刻は朝の八時半、新聞がサイドテーブルに置かれてあるのが見えた。

 日付はもう三日くらい過ぎていることを知って、あの記憶が蘇ってから行動はあたりを見回すことにした。


 首元にあった拘束感が全く感じず、ホッとしたような気持ちが起きているのだ。

 子どもの頃、このような姿で寝ていたことを思い出していたときだ。


 ドアのノック音が聞こえ、奥から聞こえてきた声に反応した。


 ベッドを降りて、ふかふかの絨毯じゅうたんの上を裸足はだしで歩きながら警戒をするために近くにあった物を武器として持つことにした。


「リック、俺だよ。兄様だ」

「にいさま?」

「そうだよ。開けてくれ」


 声は低くなっているのにとても懐かしい気持ちにさせてくれるのだ。


 ドアを開けるとそこには同じ髪と淡い紫色の瞳をしている男性――兄のクラレンスが経っていたのだ。


「にいさま。お、おはよう」

「うん、おはよう。リック、元気そうだな」


 やや発音が怪しいエリン語で幼い子どものような話し方になっている。

 兄はスーツを着こなしているのを見ているが、まるで別人のように感じながら会話をしたりしている。


「これにサインしてくれるか? 名前のスペルは書けるか?」

「どうして?」

「お前が三十年前に行方不明届が出ていて、発見届を帝国あっちの大使館で提出して入国に対する証明書を出してもらう。そうしないといけない」

「わかった」


 そう言うとメモとペンを取り出し、自分に名前を書いてほしいという。


 リックは自分の本名はきちんと覚えているので、それをスラスラと書いていくことができた。

 彼が書いたのは自分自身の生まれたときから使っていた名前だ。


 リチャード・チャールズ・マコーレー。


 彼はマコーレー侯爵次男で、グレイヴ伯爵となったクラレンスの十三歳下の弟である。


「うん、きれいに書けているね、偉いな」

「てれる。おれ、いくつだとおもってるの?」

「そうだな」


 リチャードはいま三十二歳と話していたが、クラレンスは笑顔で彼にリボンのついた箱を手渡した。


「リック。これを着ていてほしい」

「え、良いの?」

「お前の誕生日祝いだ。今日が誕生日だぞ? 三日間眠っていたんだから、驚くことは無理はないから」


 箱を開けるとそこには兄とは色が異なるが同じデザインのスーツで、とても洒落ているが気品のあるスーツだった。


 子どもの頃にも似たような服を着ていたが、上等な布地で手触りの良いスーツはとてもしっくりしている。


「ありがとう。にいさま」

「うん。わかった」


 クラレンスは光沢感のある紺色のスーツ、リチャードは光沢感のあるダークグレーを着た。

 それからクラレンスにいろんなことを聞かれてしまったのだ。


 ローマン帝国の帝都アクシオで起きた大地震が起きた際に、避難していくなか人ごみの中で手を離してしまったのだ。


 当時母方の実家であるフェラーリ公爵家に帰省していたリチャードは当時三歳。


 その後アクシオの西区の裏路地まで歩いてしまっていたという。

 そこは治安が若干悪いところではあったが、幼い子たちには優しく保護をしてくれたりするような場所だった。


 その際に現在の養父母に引き取られて、リカルド・モンテベルディと名乗るようになった。


 幸いにも周りにも大地震によって親を亡くし、養子に入るということは多かったので自然だった。


 それから学校へ通い、初等教育を施してもらった。


 帝室護衛騎士団へ入団するために、武術を元騎士だった養父から教わったのだ。


 十七歳の年に騎士団に入団し、翌年にとある皇族の護衛を任せられることになったのだ。

 それはルカ・アンドレア帝の妹であるユリア元皇女の護衛に当たっていたという。


「リックはとんでもないな」

「え?」

「ベアトリーチェ皇太后陛下は母様の従妹にあたるんだ。ラヴァンダ家からおばあ様が嫁いできてね」

「そうなのか? それとアンナといとこめいって」

「それはお前も覚えてるかな? ロベルト叔父様の子どもがキアラ皇后で、その娘がアンナだ」

「え、え? うそでしょ?」


 クラレンスに家系図を書いてもらい、納得したがその後話したことに表情を曇らせていた。


 それは暗殺者アサシン部隊へ引き抜かれたときのことだった。


 まだつたないエリン語を話すが、上達していると感じている。


 それがリチャードにとっては幸せな時間だと感じていた。

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