第9.5話 ②

ザックス視点


「はぁ……」


ため息を吐いて空を見上げる。

雲一つない青空が広がっているが、今の俺には眩しくて直視できない。結局、あれ以来一度も店に《会いに》行けていない。


本当は毎日だって会いに行きたいが、この間短時間で高ランクモンスターの依頼を片付けたことを知った冒険者ギルドが、仕事の依頼をバンバン入れてくるせいで休む暇もないのだ。


(まあおかげで金も貯まったし、貯金もあるから暫くは大丈夫だけど。)


それに、最近やっとシノのことを落ち着いて考えられるようになってきた。最初に比べて今では彼女の笑顔を見ると心が安らぎ、自然と笑みが溢れるようになったのだ。


(そういえば、シノの奴、前より笑うことが増えた気がするんだよな。)


前はどこか無理している作ったような笑顔だったが、今は自然な表情を見せることが多くなったと思う。そのことが素直に嬉しい。

ザックスは気付けば無意識にシノのことばかり考えていた。


(早く行かなきゃな。……会いたい。)


***

ドアを開けるといつも通り明るい店内が目に入る。カウンター越しに見えた人影に声を掛けた。彼女は花のような微笑みで、嬉しそうに迎えてくれた。


「来てくださったんですね!嬉しいです!」


その言葉を聞いただけで疲れが吹き飛ぶようだった。だが次の瞬間、彼女が自ら近付いてきた。そして、無防備にもそのまま距離を詰めてきたのだ。

動揺した俺は―パシッ ―咄嵯に手を伸ばして、シノの身体を押し返してしまった。


――やってしまった。

自分の行動に愕然とする。繊細な彼女のことだから傷ついてしまったのではないか。もっと彼女に触れていたかった。

なのに、反射とはいえ拒絶してしまった。呆然とただ立ち尽くしていたその時、泣きそうな顔をしたシノがいた。『もうしませんから』と涙を零すその姿を見た途端、胸が強く締め付けられ、気づいた時には彼女を引き寄せ抱き締めていた。


「泣かないでくれ。頼むから……」


様々な想いが入り乱れる中必死に言葉を紡ぐ。すると次第に落ち着きを取り戻したのか、彼女はゆっくりと顔を上げた。

潤んだ瞳に見つめられて鼓動が速まる。

恥ずかしくなって視線を逸らすと、彼女はふわりと笑ってくれた。

それが堪らなく可愛くて、胸が甘く疼く。

衝動的に口を開くが、上手く言葉が出てこない。そのまま時が流れるのを待つのだった。


***


「どうして会いに来てくれたんですか?もしかして、もう来てくれなくなったりするんですか?」


シノがそう尋ねてくる。言葉を探し黙っていると、段々悲しげな表情になっていく。

――そんな顔しないでほしい。胸の奥底から湧き上がる強い感情。


(シノのことが好きだ。俺みたいな醜い男に好かれても迷惑だろうが……)

「そういうわけじゃない。伝えたかったからだ。」


せめて一度だけ、この気持ちを伝えることを許してほしい。俺は意を決して想いを告げる。



「好きだ」



シノが驚いたように目を丸くする。


俺は今どんな顔をしているだろうか。きっと目も当てられないくらい不細工なんだろう。それでも。初めて抱いたこの感情が、どうか伝わってほしいと切に願う。

しばらく沈黙が続いた後、彼女は混乱しているように見えた。俯いたままの彼女に不安になるも俺は言葉を続けた。

やはり困らせてしまったな……。でも。と諦めきれずにいると、彼女はやがて顔を上げてこちらを見据えた。真っ直ぐに向けられる眼差しにドキリとする。


「私も、好きです!ザックスさんのこと……」


――夢でも見ているんじゃないかと思ったが、どうやら違うらしい。

目の前には頬を赤らめたシノがいて。思わず手を握り、縋るように抱き寄せた。彼女は小さくて柔らかくて温かい。こんなに幸せなことがあるなんて知らなかった。俺なんかを―そんなことを考えてぽつりと零す。

その言葉に、シノは不貞腐れたように頬を膨らませ口を尖らせた。可愛過ぎる。口付けてやろうかと思ったがここはぐっと堪えた。

すると彼女は信じられない言葉を口にした。


―――なんと、俺が美しいと言うのだ。

あまりの衝撃に胸騒ぎを覚えた。俺の顔は醜い。自覚しているし、蔑まれてきた過去が何よりの証拠だ。

間髪入れずに否定すると、唇に柔らかい感触を感じた。


突然の出来事に頭が真っ白になる。


視界いっぱいに広がるのは彼女の綺麗な瞳。長いまつ毛に縁取られた漆黒の双玉には、俺だけが映っていて。

キスされているのだと理解した瞬間、心臓がどくりと跳ね上がった。俺が動けないでいると彼女は『おまじないです』と口にした。


(ああ、クソッ……可愛いすぎる。)


まさかシノの方からしてくるとは思わなかった。不意打ちは反則だろう。

再び彼女を腕の中に閉じ込める。愛おしくて仕方がないと、今度は想いをぶつけるように腕に力を込めた。彼女は抵抗することなく大人しくしていたが、しばらくして俺にそろりと手を伸ばすと頭を優しく撫でてくれた。


(……っ)

「シノは、自分がどれだけ可愛いのかそろそろ自覚しろ。……もう我慢しないからな。」


ぽかんとする彼女に構わず口付けた。

彼女の反応を楽しむかのように、甘い吐息を漏らさないように、何度も繰り返し口付ける。次第に彼女の瞳は蕩けていき、身体からは力が抜けていく。


「ふ、大丈夫か?」


そう言ってもう一度口付ける。


想いが通じ合った今、彼女に誠実でいたくて、俺は意を決して話し始めた。シノと出会うまでの日々、自分の容姿に対する劣等感、そしてこれからのこと。


(俺の話を聞いて、彼女は何を感じ何を考えているのだろうか。)


美醜なんて些細な問題に感じる程、自分の中で彼女の存在は大きくなっていた。この醜い顔を見ても綺麗だと微笑んでくれるなら。それだけで十分だろう。


「愛してる」


耳元でそっと囁いた呟きに、シノはぎゅっと抱き締めて応えてくれた。温かくて柔らかい。


(ああ……幸せだ。)


このまま時間が止まればいいのに。そう願った。

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