第5話 白き刃は月よりも
袖には『誠』の袖章がある。
「…誰かお探しか?」
「いや。…
「熊野の妖刀ならここに」
「…ふん。俺に会わせたくないほどの美人なのか?」
「ええ。それはもう」
自然と表情を緩めた総司は、矢田の焦った顔を想像しただけだったのだが、永倉は挑発されたと勘違いをし、ぶすっとした顔で肩をすくめる。
がしがしと頭をかいてる姿は、拗ねた子供のようだ。
「ふん。この俺が、おまえの覚悟をわかっていないと思うなよっ」
「…わかってますよ。で、要件は?」
「ああ…伝言な。肌見放さず妖刀を大切に扱え。必要な時にまた力をかりたい…だとよ」
「…かってな事を」
「まあな。あと、くれぐれも用心するように、だと。今日から二番隊が一番隊と行動を共にする。おまえと熊野姫のごえい…」
その時、突然表が騒がしくなった。
バタバタと音がしたかと思うと年若い少年が、畳に転がりこんでくる。
「沖田さん!! 襲撃です!!」
この少年が銀之助?
歳は矢田とかわらない。だが刀を握る様は勇ましく、切れて流れる血が頬を伝うのを拭いもしない。
そこには子供が背伸びしているなんて言葉では、すましてはいけない覚悟があった。
「銀之助、さがれ…」
「いやです!」
ここは、こんな少年が命をかけなくちゃいけない時代なのか…。
時代が違うというだけで、矢田は何不自由なく生活してきた。
だが、ここでは明日の命の保証もない。
「…たいした時間はつくれないけど、沖田さん、北から逃れて下さい!」
「…ちっ!」
「永倉さんも!」
「はぁぁ?!」
大人二人はボカリと銀之助の頭をたたく。
「百年早い!」
「まったくだ! だいたい誰に言ってる? 子供のおまえが出るまでもねぇよ」
軽口をたたくが、刀のぶつかる音となだれ込む足音はすぐそばで聞こえていた。
「…では、第二部隊の組長さんらしいところ、見せていただきましょうか?」
「っ! おい!!」
銀之助を押しのけた総司は、勢い良く襖を開けた。
バン!!
襖の動きに合わせ朝靄が流れる。
二階の広縁(広い廊下)に現れた男を見つけ、庭にいた
けもの…?! そう獣だ!!
人のように二足歩行し、牛とも狼ともとれる頭部は化け物。
人間が被り物をしているのかと思うほど、人に似ている。
だが、裂けた口からの雄たけびは、人であるはずがない。
獣が手に、刀や槍、弓矢を持つ様はエジプトのアナビス軍隊のようだ。
庭から矢が放たれる。
矢は、ドスドスと重い音をたてて壁に突き刺さる。
「ちっ」
鋭く舌打ちした永倉が総司の背に合わせて、矢を弾いた。
獣に驚いているのは矢田だけ。みな当然のように応戦している。
永倉は壁に刺さった矢をぬき、容赦なく獣に矢尻を返しておみまいする。
そこに遠慮も、戸惑いもない。
命と命の取り合いが、耳と臭いで、現実として矢田の脳内にやきつく。
総司は目の前に突かれた槍を脇に払いながら、腰の刀を抜いた。
(!!)
それは矢田ではない。
(なんで、ぼくをぬかないの?!)
矢田の声を感じ取った男が、妖刀を大切に腰にさしなおした。
「おまえをむやみに汚したくないからな」
(なっ!)
瞬間、矢田は自分自身の意思で男の手にうつった。
総司の手をかり、彼の敵である獣を薙ぎる。
なぜそうしたいかなんてわからない。
例え…人でない獣だろうと、殺していいわけがない!
命を奪って許されるわけがない!
でも、優しくしてくれたこの腕を、失うのだけは…嫌だった。
まさにその時、永倉の間合いに矢が入った。
「永倉さん!!」
銀之助の甲高い叫びが
刀をすり抜けた矢は、永倉の着物を貫通し…矢尻が心臓に突き刺さる…直前!
(とどけ――!)
矢田は横に薙ぎ払った切っ先を、その矢の先に伸ばした。
風を切った妖刀は、障子を紙吹雪のように散り散りに飛ばす。
ブワッ…と、舞い上がった紙吹雪は、小雪が積もるように、風を
矢は…着物と皮膚の薄い部分をえぐっただけで威力を失い、ポトリ…と雪景色に花を咲かせる。
(…まにあった!)
矢田は、甘美な味にふるえた。
命を奪いたくない。でも、戦う事で守れる命が確かにある。
どこかで、同調しきれなかった妖刀と矢田の薄い壁。壁とはいえないほどの薄いまくに亀裂が入る。
矢田は化け物になるのかもしれない。
この一線をこえたら、元に戻れないかもしれない。
それでも、戻れないのならせめてこの男と、仲間の戦乱の生き様に寄り添いたい。
歴史が変わってしまう?
いや、矢田の知る歴史でないなら、迷う必要なんかないじゃないか!
(…沖田総司、あんたは…ぼくのあるじだ!!)
熊野の刃紋が揺れた。
白き刃に光りが増し、反りは月よりも美しく魅了する。
男に矢田の熱い叫びが伝わる。
長い髪の間から光る目が、複雑な色を浮かべた。
だがすぐこたえるようグイっと柄を握り直すと、縦一文字に空を斬った。
どわ!!
熱をおびた空気が風圧をともない、総司を中心に左右にわれる。
弾き飛ばされた獣はことごとく消え去り、呆然と立ち尽くすのは仲間の隊士達だけ。
宿に戻った静寂に、花の甘い芳香が漂う。
「みごとだ。ヤタ トウガ…」
小さく呟いた男の言葉に、矢田は刃紋を揺らして答えた。
泣きたかったのか。嬉しかったのか。
たぶん、両方だったと思う。
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