第4話 遠江国の熊野御前

 熊野姫ゆやひめとは、江戸より更に昔のお姫様の名前らしい。


 詳しくはわからないとしながらも、総司は生徒に聞かせるようにゆっくりと話出した。


「平安時代、今から七〜八百年前、熊野御前ゆやごぜん遠江国とおとうみのくにで生まれたとされる姫君だ」


 京に上り、平宗盛たいらのむねもり寵愛ちょうあいを受けた熊野御前は、ある日、病の母を見舞う為、遠江国へ里帰りする。

 宗盛は、姫の道中を心配するあまり代々伝わる家宝の妖刀を熊野御前に預けた。


「その妖刀が、どういういわれでか知らぬが、私の剣術の流派、天然理心流てんねんりしんりゅうの初代 近藤内蔵之助こんどう くらのすけが受け継いでいたらしい。だが、それもまゆつばだ。鞘から抜けぬ御守ごしゅであったとも言われる。実際召喚できたものは私だけだ」


「召喚?」


「妖刀には、あるじが必要だからな。妖刀が決めたあるじでないと、刀としての役目は果たさない」


 そこまで話て、総司がじっと矢田を見つめた。光が宿った黒い瞳。


 ドキドキと鼓動を繰り返す心臓にあせる。


(ぼくが…熊野御前の妖刀? なんで…)


 ――だが、身体は覚えている。

 矢田という輪郭を失い、男の手の高揚感に任せ、変貌した妖刀が何をしたかを…。


 乱暴? 暴走? 

 違う…。あれは…残虐ざんぎゃくだ!


「ぼくは…妖刀は…命を奪うものなの?」


「…妖刀の荒ぶる力は、命をくらうと言われる。一度目覚めれば、渇きに贖うことはできない。最後はあるじの炎をもくらいつくす」


「ぼくが…望んでなくても?」


「わからない。だが、おまえは私の命はくわなかった。それには礼を言わねばならないな」


「違う!!」


(あの時、ぼくが何か考えていたなんてありえない!)


 高ぶった感情は、ボロボロと矢田の頬を濡らした。

 短パンに体操服という姿は、ここではあまりに滑稽こっけいで、涙を拭う事すらできない。


「あんたの命を取らなかったなんて、たまたまだよ! ぼくは目の前に出された命をたらふく食べたんだっ。出された料理を完食し、満足して、たまたまあんたは助かった!」


「…それでも、おまえは私と、私の仲間を助けた」


「違う!!」 


「…戦場いくさばとは、そういうものだ」


「うっ。うう…」


「なぜ、おまえだったのだろうな。まだ十四か? 私が呼んだばかりにすまないな」


 不思議だった。

 荒れ狂う波が凪るように、男の言葉が矢田の身体に染みる。


 新選組 凄腕の一番隊組長 沖田総司。

 彼がこれ程優しい声で、人を労るとは思わなかった。


「皆には私の小姓こしょうとしておこう。もし、命の炎をくらいたくなったら、いつでも私のをくらえ…」


 そう呟いて、子供をあやすように背と頭を撫でてくれる。


原田左之助はらださのすけという男が新選組にいる。変わり者だが…自ら召喚したというつい狛犬こまいぬを連れている。一度会ってみるか? 元の世界に戻る糸口がみつかるかもしれない」


「元の世界にもどれるの?」


「私ではわからん」


「あんたは、それでいいの?」


「しかたあるまい。おまえにはすでに助けられているし、おまえが私を見限るのであればな」


「見限るって…。でも、そうすればあんたは死なずにすむ?」


「…いや」


 静かに笑う男に、矢田が元の世界にもどれば、彼の命はない事をさとる。


 意味なんてない。召喚したものの定めなんだろう。


 矢田は感じ取っていた。どうやら知っている歴史とは違う世界。

 人物名は同じだが単純にタイムスリップしたのとは違う。


(どうしたらいいのだろう…)


 その時、離れた場所から足音が聞こえた。


 ビクリと震えた矢田の肩を、男は自らの身体で包んでふすまを背にする。


 程なく、足音の主が襖の前で声をかけた。


「コホン。失礼します。沖田さん、二番隊の永倉さんがお見えです」


「…通せ」 


「すぐにで?」


「かまわない」


「はい」


 すっ…と、気配が遠退く。


「ふふ。私が女を連れ込んでいると思ったのだろう。わざと足音をたてて忠義だな」


「え!」


 一つの布団。総司は寝着の浴衣姿。 

 この状態で誤解を招くなという方が無理だろう。


「ああ、めんどうだから、おまえはしばらく妖刀に…、おまえ、名は?」


矢田冬瓜やた とうが…」


「そうか…。八咫やたなのだな。今のは銀之助ぎんのすけ。おまえと年が近い。あとで会ってみるといい」


 話もあうだろう…と言った男は右手を差出す。


「では、ヤタ トウガ。来い!」  


 ドキリと心臓が跳ねた。身体がスルリと溶ける。と、同時に襖が開いた…。


「沖田、入るぞ」


 入って来たのは…二番隊組長 永倉新八ながくらしんぱちだった。



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