第2話 妖刀になった矢田

 そこは…むせるような熱さだった。

 かすむ景色は、土煙と燃え狂う炎。


(ぼく、いったいどうなった?)


 矢田は、ようやく風が流れた辺りを見渡し、ゾッとする。


(…ひ、人? …死んでる?! いやいやいやいや! さっきまで学校の鳥居にいたし!)


「よく来てくれた。熊野姫ゆやひめ


(ゆや…ひ、ひめ?!)


 若い男の声に飛び上がるが、叫んだ筈の声が聞こえない。


 だいいち、自分で立っている感覚がない。男に強く握られているのはわかるが…酷く心地よい。


(いや、心地よいっておかしいでしょ?! おれ男だし。姫とかでもないし!)


 そこでようやく自分の状態を理解する。

 矢田は長く美しい刀になっていた。


 みごとな刃紋は、白藤が風に揺れるが如く浮きあがり波打っている。


 そして、懐かしささえ感じるこの男に、刀身をゆだねていた。

 

「いざ、その白き花びらのひとひらまで、ぞんぶんにしゅに咲かせよう」 


 ザンバラの髪を一つでまとめた若者が、頭を振ってにやりと笑う。


 不思議と、男の様子が手に取るようにわかった。


 男は矢田である刀を目の高さでかまえ、腰を落とす。


「おおお―――――!」


 血走った目で声を張り上げ、たった一人砂煙のその先に突進した。


「さあ、熊野姫よ! その名に相応しい色に燃えよ! 命の炎をくらい尽くせ! たりなければ私の命をくらうがいい!!」


 矢田は何を言われているかわからない。だが身体(刃)は高揚し、飢えた獣のように喉の渇きを潤おすのみ。


 後はよく覚えていない。若者が突けばその切っ先にいる全てをくらい、横に振れば薙ぎ払ったぶんの命を奪う。


 理由も、理解もない。ただ良心のかけらがほんの少し疼く。

 こんなのおかしい…と、頭のすみが訴えるのに、繰り返される男の言葉に翻弄ほんろうされてしまう。


「私の名は総司そうじ。おまえのあるじ。この命はおまえの物。おまえは私に答えた。私もおまえの望む全てに答えよう。八咫やたよ。熊野姫ゆやひめよ…」


 それは愛のささやきのようでもあり、呪詛じゅそのようでもあった。


 どれだけの時間がたっただろうか…。


 追いつかない頭と、荒れ狂う自分。


 激昂のような感情にのぼせる。ボコボコと湧き水みたいにあふれて、せき止めても、せき止めても決壊し、その熱と歓喜かんきに溺れていく。


 この疲労感は自分のものなのか、この男のものなのか?


 だが突如、男が膝から崩れた。

 仲間の男が走りより、後ろから支える。


「まだだ! 刀をさやへおさめろっ」


「…ながく…ら」


「しゃべるなっ」


「…」


「凄まじいな…。これが妖刀と呼ばれる威力か」


 辺り一面、想像を絶する景色だった。


(これ、ぼくがやった? う、うそだ…)


 正気に戻れば、気が狂いそうだった。

 身体は満たされ喜びさえ感じるのに、頭だけが冷えて震えだす。


 震える身体を抱きしめたいのに、両手がない。声も出せない。もう、何もかも思うようにできない。


(これは夢だ! 夢だ! 夢だ! 早くさめろ! さめろ! イヤだ!! さめてくれよ!!)


 ふっ…と、なだめるように背中をさすられた気がした。


 男がうっすら笑顔をつくり、やさしく刀身をなでていた。


「どうした? 熊野ゆやの…。まだたりぬか? たりぬなら、私をくらえ」


「おいこら。待て」


 総司を支える男がふてぶてしい顔で睨む。


「沖田、おまえはもう限界だ。離脱はゆるさん。熊野姫とやら、こいつは我らに必要なやつゆえ、今日のところはこのくらいで勘弁してくれんか?」


(ゆ、ゆや姫じゃない! ぼくは矢田冬瓜やたとうがだ! 普通の中学生だ! わからないんだよ! 知らないんだよ! 誰か…誰か、もどしてよっ)


 だが、どんなに叫んでも、矢田の声に気付く者はいない。


(…誰か、…誰か)


 ―――絶望だった。


 それに、沖田総司…、永倉…。羽織りの『誠』の紋章。


 思いあたるのは小六の社会で習った歴史。


(…新選組? …ここは幕末?!)


 ぐわん…と視界が回った矢田は、全ての感覚を手放す。

 辛うじて、耳に心地よい男の声が届いた。


「…眠ったか?」


 ……人でない物に言葉はない。

 せめて最後にと、矢田は両親を思い浮かべてあやまった。





 

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