緑の部屋

電楽サロン

緑の部屋

 ちょっと会えなくなります


 百合香とのメッセージはサークルの肝試しの後で途切れている。付き合って2年まであと数日だった。私は渡そうと思っていたプレゼントを持て余してしまい、友人から慰めの言葉をかけられた。彼女の住所も電話番号も私は知らなかった。自分から聞くのを躊躇っていただけだと言っても、酒の席で笑いの種にされるだけだった。

「お前に合う女なんかすぐ見つかるって」

 酔うたびに友人が言った。

 その頃、百合香から再びメッセージが届いた。3ヶ月が過ぎ、季節は秋になっていた。


 お昼ごはんどうですか


 「いつ会えますか」と返信すると、日付とマンションの住所が返ってきた。私は会える日を待ち遠しく思った。

 百合香はよく食べる子だった。特に肉料理が好きで、ステーキハウスに行ったときには800グラムのサーロインを平らげた。紙ナプキンで口を拭い、彼女は恥ずかしそうに頬を緩ませた。そんな百合香が好きだった。

 だから、指定の住所に着いたときは知らない女が出迎えたと思った。顔を見れば百合香だと分かるが、記憶よりかなり痩せて見える。彼女は黒のスキニージーンズに白いコットンのシャツを着こなしている。髪はショートボブで、袖から見える腕はうっすら筋肉がついている。そこに体重を気にしない彼女の面影はなかった。

「よくここ分かったね……?」

「地図くらいは、読めるから」

 私はなるべくゆっくり言った。顔の強張りはごまかせただろうか。手を洗って居間に通されると、柑橘系のアロマが香った。

「いきなり来るからびっくりしちゃった」

「着くとき連絡すればよかったね」

 台所でヤカンを取る彼女を見ながらテーブルにつく。部屋の中には観葉植物が所狭しとある。窓側から反対の壁に伸びるツッパリ棒にはエアプランツが吊るされている。癒される空間に感じてもいいはずなのに、どこか落ち着かなかった。

「どうぞ」

 彼女が私の前にお茶と料理を置いた。ステーキプレートの上で肉が焼けている。百合香の方には料理がなかった。

「食べないの?」

「また後で作るからいいよ」

 先に食べるのは忍びなかったが、彼女が勧めるままにフォークを取った。

「じゃあ、いただきます」

 肉を口に運ぶ。ニンニクと醤油の香ばしい香りが鼻を通る。

「美味しい。焼き方も上手だ」

「それね、油揚げで作ったの。お肉使ってないんだよ」

 彼女は嬉しそうに私を見ていた。

「肝試しの後から頑張ったんだ。動物のものを家の中から無くしてやっと来なくなった」

「……どういうこと?」

 彼女の説明をまとめると、幽霊が見えたため、動物を傷つけない生活に変えて許してもらうようにしたのだという。

「はじめは目がおかしくなったと思った。駅で電車を待ってると、視界の端で何か動いてたの。最後に連絡した頃にはずっと黒い影が視界に居座り続けてて……」

「病院には?」

「行ってない。あれが待合室に座ってたから」

「じゃあ……お祓いとか」

 百合香が食い気味に首を振る。

「むりむり。あれは頭がいいからお寺や神社に行こうとすると隠れちゃう」

 電気ヒーターの音が不自然に大きく聞こえる。暖房が入っているのに部屋が冷たく感じた。

「うん、本当にずるいやつだった。私が寝ようとすると電話を鳴らしたり、壁をひっかいたりするの。眠らさず、正しい判断をできなくさせようとしてる感じ。けどね、やっと法則を見つけた」

「それが動物を入れないこと?」

 彼女はしきりに頷いた。

「動物を取り込むのはね、動物だったものの憎しみを買う行為なんだよ。それが悪いものを呼び寄せてしまうの」

「今はもう見えないの?」

「もう大丈夫」

 彼女は心から安堵したような表情をしていた。

 私は油揚げのステーキを切り分け、彼女へプレートを動かした。

「一緒に食べよう」

 私たちは交互にステーキを口に入れる。百合香が食べると同じものを食べてるとは思えないほど、美味しそうに見えた。

「次は連絡してよ」

「そっちもね」

 その後、私は百合香の料理を味わった。デザートにはオートミールと豆乳を使ったバナナケーキが出た。ふっくらとした生地とバナナの風味がよく合い、いくらでも食べられた。

「トイレ借りてもいい?」

「食べすぎ。玄関の右側のドアね」

 彼女は呆れて笑う。私は幸せを噛みしめていた。これからまた会えると思うと胸が高鳴った。

 トイレに入ると腹痛がした。ポケットでスマホが震える。百合香から「大丈夫?」とメッセージがあった。私は返信をしてスマホをロックしようとする。不意に百合香とのチャット欄に目がとまった。家に来る前に彼女が送ってきたメッセージが消えている。無意識に私が消してしまったのか。背中がざわつく感覚がする。知らない道に迷い込んだような違和感に似ていた。

 トイレを出ると、居間が静まっていた。

 テーブルには食べかけのバナナケーキが置いてある。エアプランツが揺れている。風が吹き込んで肌寒い。いつの間にかベランダの窓が開いていた。私は吸い込まれるように柵へ向かう。5階の高さから真下を覗く。

 百合香がいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

緑の部屋 電楽サロン @onigirikorokoro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ