第34話 金木館へ

(金木舘の不埒を討つ。それはよろしかろう。じゃが、大御所みずからがご出陣とは、わからぬ。)

 新三郎と津軽蠣崎家は幼い御所さまの備(部隊)に入っているが、このたびも大御所に率いられる部隊に吸収された。御所さまは浪岡で勝報を待つ。

 城内の動きからは、浪岡のほぼ総力をつぎ込む気配がわかった。

(貢納を滞らせたままの金木館を、放置しておけない。弁解はあったが、大浦に取り込まれたは明らか。ならば、必ず誅さねばならぬは、わかる。わかるが……?)

 大御所さまと言葉を交わす機会はないので、備の長にそれとなく尋ねてみたが、その将からもはかばかしい答えはなかった。

ただ、この城内の雰囲気には記憶があった。十三湊のそばまで討ち入って大浦に勝利を得た、永禄四年の戦だ。

(総がかりの決戦を挑むお積りか。金木館を攻めるは、大浦の後詰め(援軍)を引きずり出すためじゃな。)

合点はいったが、それで逆に妙な胸騒ぎがしてならない。

(それを、いま、やるべきか?)

 現在の浪岡北畠氏の力で、大浦と直接にぶつかるのは危険が大きいのではないか。できれば金木館とは―相手もそれを望んでいない様子だから―あまり干戈を交えずに、早々にまた帰順させるだけで、今は充分のはずだと思えた。

(大御所さまには無論、何かの仕掛けはある。引きずり出した大浦の本軍に無策で正面から立ち向かうわけがない。……それはわかるが、わかるだけに、何やら気になる。)

 大御所がみずから率いる軍勢は、金木館ひとつを落とすのに相応の数だった。それを上回る軍は、「小御所」さまとも呼ばれる一門の北畠中書が率い、ひそかにすでに城を出て、領内の街道筋のいずこかに潜んでいる。浪岡北畠の主将の旗印を立てた本軍こそが、言わば囮となるのだった。

(なるほど、これが手か。)

 早々に金木館を囲む複数の拠点を作り上げ、新三郎もその一つに入った。ゆるゆると攻める。金木館が落ちてしまえば、大浦は後詰を出す必要を感じなくなるから、わざと時間をかけるのである。

 新三郎の厭な感じは、しかし、金木館を囲む陣中でも去らない。金木館の防備はほとんど破ってしまい、あとは盛り土と空堀を飛び越えて城内に突入するだけのところまで来ている。

 だが、そこでわざと夜を過ごし、救援に向かう大浦軍の進発の報を待っているのだ。それを小御所さま率いる別動隊が捉え、本軍がくるりと体を交わすように金木館包囲から戦場に駆け付ければ、挟み撃ちにもできるというのだろう。

(大御所さまの幕僚におれが入れていても、この策は止めなかっただろう。よくできている。……じゃが、どうにも胸にきれいに落ちぬ。)


「小一郎は御留守居役かえ?」

 全軍が出払ったかに見えるが、城を空にするわけにはいかないから、いくらかの将兵は残る。その中に蠣崎小一郎もいて、祖父とともに、城の北の外郭に当たるこの無名館を守る一団にいると言う。縁先に挨拶に来たのでそれを知り、さ栄は意外に思った。

「兄上……新三郎の命にござりますれば。」

 小一郎少年は、もちろん不満であった。どうやら本格的な戦になるらしいのに、手柄を立てる機会を与えてもらえない。蠣崎家の少年当主としては、是が非でも出たい戦であったろう。

(それなのに、この子を何故残した?)

 さ栄は不安に胸を突かれた。

 新三郎はもちろん、腹の内をさ栄にさらしていない。心配させたくなかったのだろう、と思いだされた。


 出陣の際には形通り軍盃の儀式で送ってやったが、その前々日には、まだ出陣の支度が始まっていないから女の肌に触れるのも許されよう、とどちらともなく言い訳して、褥で狂おしい思いのまま固く抱き合っている。

「……また、天女さまになられた。」

 新三郎は、睦あいの行為の果てに、正気を喪うまでに感覚をきわめてしまったさ栄のさまを、そんな風に言って喜んだ。美しい花を自分の手で咲かせたような、誇らしい気持ちに満たされている。

「さようのことを言うて……!」

 男の激しい愛撫に応じて身を投げた忘我の淵からようやく浮かび上がり、まだ悦びの涙に顔を濡らしながらさ栄は、たしなめる言葉を乾いた咽喉から絞り出した。そして二人は、上気のひかない顔をあわせて、照れた笑みを浮かべあう。

「疾く、ご無事にお帰りなさい。」

 さ栄はそう言って、新三郎の左脇下の傷跡に唇を這わせた。こんな傷をもう負わせたくない、と願い、祈る気持ちだ。

「はい、必ず。」

 肌に口づけられる快感に目をつぶって耐えながら、新三郎は答えた。

「戻れば、一度、松前に参ります。」

「……それは、よいのよ?」

 父に話し、さ栄姫を正室に迎える許可を得ると言うのだろうが、さ栄は特にそれを望むわけではない。むしろ、何か決定的に話がこじれてしまうのがおそろしい。新三郎の思いの強さはうれしい反面、若者の性急さに危うさを覚えていた。

(ただ、さように言うても通じまい。本当はひとりで松前などに行って欲しくないとも言い難い。家督の話もするのだろうから、……。)

 さ栄は、新三郎が蝦夷代官の家督と自分とを秤にかける真似に追い込まれるのは、勘弁してもらいたい。それだけを危惧していた。松前の父子の会話が、妙な成り行きでそんな具合にならないようには、釘を刺しておきたいと思った。

(無事にご凱旋あらば、少し込み入ったことも言わねばならぬか。……いや、なに、簡単ではないか。)

「ぬしさま。さ栄は我が背子さまと離れたくない。まことにそればかりじゃ。その願いさえ叶えば、形には一切こだわりませぬ。申しましたな?」

「……姫さまは、北畠さまのお方じゃ。粗略に扱うてはなりますまい。」

「新三郎? 何故、呼び捨てぬか? 主命に逆らい続けるか。さ栄と呼べと言うたぞ?」

 新三郎は一瞬驚いたが、やがて腕をまた絡め、抱き合って二人で笑った。


「このたびは、まさか、危ない戦でございますか?」

 小一郎のそばで久しぶりに軍装になっているじいじどのに単刀直入に尋ねると、表情が曇った。

(あっ、これはなにか新三郎に聞いておるな?)

 さ栄は肚が冷える思いに襲われる。

「ご先代さま、そのご先代さまのときには、御所さまおん自らが陣頭に立たれるのは少のうございましたから……。」

「永禄四年の戦では、ご先代さまが十三湊まで駒を進められたが、あれとは違いますか。」

「あれは戦の片は付いてからでございました。いまの大御所さまは、もちろん、軍神のごときお方でござるから、心配はないが……。」

(そうか、気にかかるのは、兄上か。……戦上手であられたのは、まことじゃろうが、いまの兄上は?)

 さ栄は、英邁な兄に潜んでいたおそろしい愚かしさを知っている。それ以上に、かれが長い悪夢から醒めた今、迷路から不意に抜け出した者が茫然と膝をつくかのような心境になって、かえってその輝かしい才質に陰りが出ているのに気づかされてならなかった。

(新三郎も知っている。言わぬけれども、おそらく、たいていのことには気づき、大御所の判断に思うところがあるはず。)

 さ栄は思わず、縁から空を仰いだ。方角は違うが、つながっているはずの空の下にいる恋人の無事を祈らずにいられない。


 

 金木館を囲む本営に、大浦軍が動いたとの報せが届いたらしい。早馬は、機をうかがっている筈の北畠中書とその軍のいるいずこかに走ったであろう。

(それをおれがここで知る、と言うのが実は危うい。)

 夜明け、朝の糧食をとる慌ただしい陣中で、麾下の見知った兵たちと飯を食いながら、新三郎はなお不安だった。どうも陣中の情報管制が緩んでいる、と言う意味のことをまず思った。

(危ないことだ。どうなる? 陣中にもしも敵方が紛れ込んでいれば……。)

紛れ込んでいよう、目下の相手はかつての家中であり、だれがどこで内通し、策が大浦にまで筒抜けになる仕組みかは、わかったものではない。まあ、こちらの進発も近いのだろうから、それはよいとしよう。だが、気になるのは、

(中書さまこそが鈍い。大浦領内で軍が動いたのを、こちらに知らせてくれねばならぬ筈ではないのか。)

 大御所さまの粛清のおかげで代替わりしたばかりの、若い北畠中書の薄いあばた面を思った。大御所が気に入って先代を隠居させたのだから、無能ではない。側近の一人として重用されている男だからこそ、決戦の本軍を任されたのだ。

(……今、気づいた。そこに間違いがある?)

 新三郎は飯椀を大事に置くと、立ち上がった。

「組頭、いずこへ参られる?」

「ご本営へ。」

(今からでも遅くない。場合によってはおれが罰せられようが、確かめておかねばならぬ。)


「無作法をお許しください。」

「蠣崎か。大御所さまはお忙しい。」

 とはいえ、新三郎の顔を知る幕僚は、進発の支度にかかった大御所に、まだ人の集まっていない吹きさらしの本営で会わせてくれた。

「おひと払いをお願いできまするか。」

 無言のまま、大御所は近習たちを去らせる。

「……新三郎、久しいの。……あれは、大儀ないか。」

「つつがなくお過ごしと拝察いたします。」

 大御所はその答えに薄く笑ったようだが、今の新三郎こそは、その胸中を推し量ってやる暇がない。あえて言えば、姫さまのことすら今は二の次ではある。

「案じずとも、この戦が済めば、いずれ良しなに計らってやる。今は陣中じゃ、控えよ。」

「は、存じております。この陣のことでお教え願いたく、分際を越えて罷り出ました。」

「分際のと言うが、ご先代さまの猶子じゃろうが。お前はまだ十七だったかゆえ、仕事を覚えさせておるまでじゃ。あれの手前もあるゆえ、いずれまた我が幕下で」

「畏れながら!」

 新三郎は声を励ました。大御所は情け深い言葉を中断されて、不快な顔になるが、黙ってやる。

「大浦動くとの報を、中書さまにお伝えあそばした。その中書さまより、ご返答はございましたか。」

「それを聞いて如何する?」

 新三郎は黙っている。

「……いずれ、来よう。」

(まだ、なのか!)

「かねてよりの打ち合わせがある。遺漏はあるまい。……何が気になる?」

 新三郎は、今回の策の致命的な誤りに気づいてしまった。

(ご大将がここにおわすのが、間違いであった! 中書さまがここで囮になっていなければならなかったのだ。本軍を率い、お自ら判断して大浦の軍を襲うのは、大御所さまでなければならなかった……!)

「畏れながら、中書さまのお家の方はどなたか、この陣中におられまするか?」

 人質をとったか、と聞きたいのだ。

 大御所の顔色は動かないが、不快の色がみるみる差すのがわかった。

「中書は、宗家に近い。あれは昔より、儂が可愛がってやった者じゃ。……新三郎、お前の懸念などは知れたが、もとより無用。」

(ご一門じゃから安心できると、のたまうか?)

 新三郎は慄然とした。川原御所の乱以来の、一族相克の血みどろの沙汰は大御所みずからが作り出したものではないか。それが、親戚だからと言ってそう信頼しきれるというのは、わからなかった。

「囲みを徐々に解き、大浦の兵を避けて戻るはできませぬか。」

「せっかく追い込んだ魚を前に、網を捨てて逃げよと申すのか、お前は!」

「大御所さまだけでも、疾く浪岡に引き揚げられるが肝心と存じます。」

(こやつ、北畠一門の者がこのおれを裏切ると言いたいのか?)

「蠣崎、分を弁えよ。……いや、今の言葉だけでも儂と浪岡北畠を愚弄するもの。造反に等しいわ。」

 新三郎は地面に平伏したが、唇を噛んでいる。

(おれは、ご先代さまに猶子にしていただいた。ご一門の端の端くれとも思い、命がけでお仕えしてきた。……無名館の天女さまには身に余るお情けを賜り、この世でただ一人のお方と想うておる。そのおれが、浪岡北畠さまへのご恩を忘れたとでも!)

「増上慢甚だしい。」

大御所は、積もった感情を若者の背中に吐き出してしまう。心の底では、新三郎が思い上がっているなどとは感じていないのだが、自分の作戦の不備を突かれ、それが「北畠の血」への自分の屈折した感情を逆撫でされたようになると、とめどが効かなくなっていた。

「北畠の姫の気まぐれの情けをこうむっただけで、心得違いをするでない。」

「……滅相もございませぬ!」

「お前など知りようもなかろうが、あれは身持ちが悪い女よ。はしたないところがあるから、近くにおった者に構いおった。いつもそうじゃ。お前には気の毒ながら、それだけのことじゃ。」

(姫さまを愚弄するか!)

 新三郎は嚇っとはしなかった。ただ、ひどく冷えた怒りや悲しみが声に滲む。

「それだけ、か。それでも、わたしはよろしうござる。……じゃが、妹君をお嘲りなさいますな。……あの、お情け深い、あなたさまの妹君でござりますぞ。」

「知った口を聞くな、新三郎。さ栄となずんだからと言うて、お前などに何がわかるか。……さほどに妹を大事にせよと申すなら、……いかにもさよう、尊い北畠の血筋を、蝦夷島などにやってしまいはせぬわ。あれは、公卿、大名とは言わぬとも、せめて本物の武家にまた嫁にやることにしよう。かわいい妹を、どこぞのものとも得体のしれぬ、蝦夷の渡党の末などにくれてやるは惜しいわ。大浦を平らげたら、浪岡御所の姫に相応しい嫁ぎ先を見つけさせる。もはや蝦夷侍などに不埒は許さぬ。」

 新三郎は震えた。土を握りしめ、こみ上げる怒りと絶望感を懸命に鎮めた。この場で斬り伏せてやりたい、とすら思ったが、すべてをここで台無しにしてはならない、と耐えた。

(こやつが何を考えたところで、おれと姫さまの仲はもう裂けぬ! ……それがわかっておるから、斯様に吠えてみせおるのじゃ、あわれな……!)

「申すことがあるか、新三郎?」

「ございませぬな。」

「おのれ……!」

 泣き喚いて詫びるかと思った新三郎の様子が平静なので、大御所の怒りは高まった。刀を引きつける。

「お斬りになりますか?」

「ここで成敗してやる。」

「ようござろう。……覚えておいでか? わたしは元服前に、左衛門尉さまに斬られるはずじゃった。ずいぶん遅くなりましたかな。」

「新三郎!」

 新三郎は立ち上がった。半身に構えて、しばし待つ。大御所は引き付けた刀を、抜くところまでいかない。そのためらいはしかし、理性や情のためばかりではなかった。

新三郎も大刀を佩いている。

(まさか、斬りつければ、おれがやられる?)

 武芸に携わる者の直感で、力の優劣が知れた。まだ老いる齢でもなんでもないのに、この若者に敵わなくなっているのがわかった。自分は急速に衰え、相手の腕は上がり続けてきた。おれはどこで、こんなに老けてしまったのだろう?

(一人では敵わぬと供回りを呼ぼうとも、その途端に、おれ一人が先に斬られてしまいかねぬ。)

 その怯えを知るかのように、新三郎は言った。

「ご近習をお呼びにならぬのか。五、六人で掛かればたいていよろしかろう。」

 大御所は大きく息をつくと、

「蠣崎。追って浪岡にて御所さまに処断いただく。それを待て。」

 新三郎は黙って低頭すると、陣屋を後にした。


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