第17話 魚伏記 二 妖花

 少年は西舘に拠って「兵の正」を名乗る北畠氏の一人娘を娶り、婿入りする形で西舘の次期当主の座を得た。相手は二つほど年上のおとなしい姫君で、容姿も宗家の親戚らしくいかにも北畠の者らしいのが、新郎の心中をひそかに複雑にした。だがこれで、いくらかの心の安らぎを得たのはたしかであった。

(他家からの婿入りでも、その家の者にはなれる。これで、子でも為せば、どうあろうとおれも北畠じゃ。さようではないか?)

 自然、検校舘の「祖父どの」の家からは足が遠ざかった。西舘の若君は忙しく、そして、祖父どのとの会話は忌まわしいことだらけであった。祖父どのは御曹司とも西舘の若君とも呼ばず、父の素性も知れぬ、薬師の孫として扱うのだ。屈辱的であった。西舘の若君としてみずからを鍛え、兵を叱咤し、夢中で馬を駆るときに忘れられることを、わざわざ思い出したくなかった。

新妻は、昔から知っている美貌の偉丈夫を夫に得たのを、心から喜んでくれていたから、仲は睦まじかった。

 ところが、その妻が一年もたたずに病床につき、そのままはかなくなってしまった。

「喪が明けたら、新たに妻を娶れ、小次郎。」

 泣きの涙で、しかし、義父である当代の西舘さまは小次郎に言ってくれた。実の娘を喪った悲しみは深いが、新妻の死に一時は気を喪わんばかりだったほどの婿の方が哀れであった。そして、この優れた武将になるだろう若者に、西舘の将来を託さねばならない。

「……これは罰が当たったのでござりましょうか? わたしが西舘に迎えられてはならなかったのではありますまいか?」

「わけがわからぬ。気をたしかに持て。さようなことがあろうか。」

「西舘のお血を受けた小雪(亡妻)とは別の女を娶るなど、ますますおそろしい……。」

「なにを言うておるのだ。西舘を絶やして貰っては困る。……いま、一門には年ごろの姫はおらぬが、家さえよければたれでもよい。……小雪に遠慮してくれて有り難いが、ならばまず側室でも構わぬ。跡取りさえ生んでくれれば、どんな分際(身分)の女でも構わぬ。」

「分際(身分)……?」

「おぬしは浪岡宗家の出。北畠の血については、なにも申すことはない。」

 義父は知らずに残酷な言葉を投げかけた。


また「祖父どの」のところに来てしまう日が増えた。

(……どうすれば、おれは北畠の者になれるのじゃ?)

口には出さないが、少年―十八になり、青年になりかけていたから、そう呼ぶべきだろう―の悩みはわかる。薬師は青年の憔悴ぶりが好ましい。結婚以来、迷い路から自然に抜け出てしまったかと拍子抜けする思いだったが、ご運のないことじゃったなと、笑い出したい。

(西舘の若君、今度こそ、堕としてさしあげる。)

 老人は内心では、この育ちのよい若者をやはり貴種だと思っているから、ひどいことを企んでいるくせに、こう呼びかける。憎い御所さまの子だと思わねば、復讐の刃が鈍るのを恐れている。

「また、北畠さまの姫を娶ればよろしかろう、小次郎どの?」

「……なかなかおりませぬな。年頃の姫は……。」青年はさびしく笑った。「赤ん坊ならおったか。それでもわたしは構わぬが、ああいう小さい者が首尾よく生き残ってくれるとは限らぬ。」

「おられるではないか、おひとり。」

 青年は胡乱な表情になった。ついで、怒りに顔を赤くし、そしてそれが急に冷えたように青ざめた。

「あれは、……妹じゃ。いや、兄妹として育った。」

「血は繋がっておらぬな、小次郎どの。」

 面と向かって言われると、青年の心はあらためて凍りつくようだ。あの可愛い妹と、自分とは何の繋がりもないのだと思うと、哀しい気分がせりあがる。

「そんなことはできぬ……。」

と呟いた意味を、自分でもわからなくなってきている。

(迷え。悩め。そして夜這うてしまえ。北畠など、乱倫の果てに沈むがよいわ。)

 老人は非道の言葉を内心で吐き散らしたが、徐々に追い込んでやるつもりでいるから、深追いはしない。さあらぬ体で立ち上がると、

「案内しよう。」

「どこへ行くのです。」

「芙蓉の忘れ形見、儂の孫には、我が仕事を見て貰いたい。」

(堕としてやる。人をひととも思えぬようになる景色を見せてやる。)


 幾重にも山の中に分け入ったところがふと開けて、花畑になった。

「夏が近づけば、もう、咲く。」

「薬草でござるか。」

「さよう。唐天竺の罌粟。……ご存知じゃな。阿芙蓉が採れる。」

「あふよう……。母の名は、その毒にちなんだと言うは、まことじゃったか。その名、いかなるお積りだったか? 周囲にひそかに毒を盛られたわけか?」

「そのつもりもあった。阿芙蓉と芙蓉では雲泥の差じゃが、周囲の者は気づかぬ。しかし、この花はたしかに美しい。花に罪はありますまいよ。」

「じゃが、毒になる……。」

「役には立つ。少量で済めば、有り難い効き目がある。痛みが嘘のように去る。気分が晴れ、何も怖くなくなる。死をも恐れぬ。……じゃが、過ぎれば、それなしではいられなくなる。続けているうちに、必ず過ぎる。何が何でも欲しくなる。やがては阿芙蓉のことしか考えられなくなり、衰えた果てには死ぬよりほかない。」

「忌まわしい……。」

「儂らにこの米花の形の痣が伝わるのも、因果であろうか。」

 老人は嘘をついてみせたが、蒼ざめた青年をなだめるように言う。

「じゃが、儂がご城内におれるのは、ここから薬を絞る術を知るためじゃ。御所はこの薬も結構お売りになるらしい。ご存知ないか。」

「……。」

「帝をご始祖に仰ぐ村上源氏のご名流と言うても、そのようなところもある。」

「それを、おれに教えて如何するのか?」

「おぼえていただこう。お教えする。いや、すべてお渡ししよう。この畑も、ひとの使いようも、薬の絞り方、丸め方も。」

「……断る。気が進まぬ。」

「小次郎どのは、儂の孫にあらされる。継いでいただくぞ。」

「おれに、薬師になれと言うのか。」

「さようは言わぬ。あなたさまがまことに北畠の人になるためにお使いになるがよい。」

「なんだと? 如何せよと言うのじゃっ?」

「さあ。それは、お考えなされ。西舘の若君、『兵の正』どのよ。」



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