第5話 童形の初陣

 御所さまは思い出した。

 大手柄といってよかろう。天才丸はじいじどのから蠣崎家の郎党を預かり、西舘さまの浪岡左衛門尉顕範が統括する兵に、元服前にもかかわらず加わっている。毎日のように、南北を走る街道である下之切通りや、東西の動脈の一つで陸奥湾につながる羽州街道を巡視した。これらの商業路に近頃、野盗が出る。

近年、野盗のしでかすことが、大掛かりになりつつあり、街道沿いの拠点である金木、原子といった舘では抑えきれなくなってきた。浪岡城本体からのいわば治安出動が必要になっている。

(背後に、大浦が糸を引いているな。)

 というのは、御所さま―具運にもわかっている。浪岡の繁栄は、交通の要衝であることに支えられている。交易や物流を邪魔すれば、浪岡北畠氏の力はその分弱る。そう考えて、浮浪の者をこっそりと使嗾しているに違いない。

 弟の左衛門尉は、しきりにそれを説き、大浦本隊を釣りだしての決戦まで視野に入れるべきだと考えているらしい。

「南部どのがまだそれを望まぬ以上は、杓子で腹を切るに似ているな。」

 できぬだろう、とは言っておいた。南部氏は大きすぎて、割れている。三戸南部家や八戸南部家としては、元は家来筋のくせに津軽西部に独立的な勢力を築きはじめた大浦氏の頭を抑えたいのはやまやまだが、南部氏宗家の地位を相争うような状態では手が回らないであろう。

「御意にて。しかし、北畠ともあろう家が、いつまでも板東武者のなれの果ての南部頼りというわけにも参りますまい。」

 と、弟が秀麗な容貌をあげて皮肉げな視線を舐めつけるのを、兄は無視した。こうした時の弟の内心を推し量るのは愉快ではなく、ここでは必要でもない。だから、端的に命じた。

「ともあれ、街道を浮浪の者どもに堰き止められてしまっては、われらも干上がる。これは、これとして討つべし。」

 その結果、野盗の本拠を探り出し、かれらが居座って抑えていた村を急襲した。国同士、領主同士の争いでこそないが、小さな戦そのものの規模であった。街道筋のその村落自体がある程度の防備を固め、村人も警固に駆り出している。

「野盗は、七名。」

 これを調べてきたのが、天才丸である。蠣崎千尋丸とともに浮浪児の兄弟に扮して村に潜り込み、村を占拠している人数は存外に少ないのだと確かめた。浪岡の軍勢が無理押ししても、なんとかなるだろう。正規軍に本拠地(ねじろ)を掴まれた時に、野盗などは負けである。

「しかし、七人は決して少ないとも言えぬな。」

 答えたのは、もちろん左衛門尉本人ではなく、その幕僚ともいうべき者の下座にいるひとりである。左衛門尉は西舘での軍議の最も上席で、遠くから庭縁の下に控える天才丸を無表情に眺めている。

(このあたりの魚のごときお目つきは、最初のころの妹さまによく似ておられることよ。)

 下僚が言うのを、天才丸は低頭して聴いてやった。村ぐるみで向かってこられるかもしれない。たしかに、武装させられている村人は多く、出入り口の守りもこれ見よがしに固そうである。しかし、なのである。

「屯集の野盗ども、女子どもを人質にとるほどのことは、しておりませぬ。いざとなれば、百姓は抗いますまい。」

「そうとも言えまい。」

「畏れながら、……」言えまする、と天才丸は答えた。これを聴いてもらいたくて、わざわざこの場に無理を言って罷り出たのである。

 村の長ともいうべき、地侍がいる。この者が呼応したからこそ、野盗は我が物顔で村に乗り込み、そこをねぐら、隠れ家として街道を荒らしまわってこられたわけだ。

 が、この村長がもう、寝返りたがっている。居座っている野盗どもの背後には大浦氏がいるはずだが、それがもう一つあやふやなようで、村としてもこの男としても、見返りがみえてこない。そのうちに、近頃は浪岡の兵士が警察軍よろしく姿を頻繁にみせるようになってきた。浪岡領内で敵方に通じる旨みが、見えかねてきた。

「また心変わり、……いえ、悔い改めております。」

 天才丸はいわば命懸けでそれを調べてきた。千尋丸を村の外に逃がした後、野盗たちの目を縫って地侍の村長本人にこっそり接触したのだ。

 昼間、食い物を恵んでやった浮浪児のひとりに、眠っていた枕元に立たれた村長は、仰天しただろう。目の前に白刃があったので、息を呑んだ。そして浮浪児は、うん、大人しくしてくれたからこんなものはしまうぞ、とさっさと小刀をしまうと、妙にくだけた大人の口調で寝返りを薦めだしたのだ。

「まあ、村の長ならば色々苦労だ。それはご領主さまもおわかりのことよ。」

「……あんたなんぞをいきなり信用していいか、わからねえ。」

「おれの勤めは、ただの前口上よ。いずれ、正式のご使者も来よう。それで、わかる。それまで考えておくんだな。……それこそ、おれなんぞがこうして村にやすやすと潜り込めた。いざ討伐の騒ぎとなれば、どうなるかわかるじゃろう?」

闇の中で、村長が思案する気配を感じると、天才丸は先回りして、

「……考えているな。いま大声を出して、とりあえず、この小童をとっつかまえておけば、と。」

「……さようなことはいたしませぬよ。」

(魚は、釣られたがっておる。)

 村長の口調でそう推量がつくと、天才丸は安堵のあまりこっそり笑ったが、おれを害してもお前はたいして得もなかろうが、余所者の浮浪の徒を村から追いだすだけで、浪岡のご領主さまのご恩賞に預かれるであろうよ、と念を押して言ってやった。言うや否や返事も聞かずに暗い農家の庭を走って逃げ出したが、追っ手がなかったのが答えであろう。

「累代のご恩を忘れておったか、許せぬな。」

 下僚は吐き捨て、周囲も深刻気に唸ってみせたが、天才丸は内心で、調略と言うのを浪岡武士は知らぬのか、とあきれた。

 むろん、左衛門尉は知っている。天才丸はそれきり大して褒められもせず下がらされたが、どうやら上の方で、村長を寝返らせる調略の手は秘かに打ってくれたらしい。

 夜警のはずの村人はこっそりと村の木戸を開け、眠りこけている野盗どものところに案内さえしてくれた。

 とはいえ、相手も寝込みを襲われただけではやすやすと討ちとられてはくれない。左衛門尉は大浦氏が背後にいるのを野盗の頭目らに吐かせたいから、「生け捕り」に拘ったのもまずかった。結局は乱戦になり、ついに生き残りの二、三人が立て籠もった百姓家には火が出ることになった。

 郎党を従え、蠣崎家から借りた馬に乗った天才丸は、童形のままで兜もかぶらず、赤々と燃える火を間近に、頬を火照らせていた。


「蝦夷にも、剛の者はおりまするとか。」

「戦のことまで耳にしたか。天才丸は、そなたになんでも喋るのじゃな。」

「さ栄が尋ねますもので。」


 火がかかり、百姓の中にも手負いが出たことで、戦場の空気が荒んだ。

(いかぬ。)

 天才丸の心づもりでは、この夜は野盗ども七人をすみやかに捕殺すればいいだけのことだった。合戦騒ぎにしなくてもいい。誰にも頼まれぬのに、童形の少年はまるで主将か軍師のように絵図を描いていたが、それとは違うことが目の前で起きはじめている。

 勝ち戦に逸った浪岡の兵が、略奪暴行に奔りだしたのである。

おいっ、と叫んだときには、周囲を固めていたはずの自分の郎党たちも、燃えもしていない百姓家に走りだした。固く閉じた戸をこじ開ける一団に加わってしまった。

「らんぼうは許さぬ。」

 再び叫んだが、周囲をみると、足軽程度のものではなく、それを束ねる備(そなえ)(部隊)の組頭クラスの中にすら、家々に侵入しようとしていた。戦の習いだというのだろう。

(上の方々が、これは止めねばならぬのじゃ。)

 天才丸は功利的に考えている。せっかく寝返らせた相手を傷つけてしまっては、今後に差し支える。浪岡北畠氏の爾後の戦略の問題ではないか。ましてや、ここはご領内であろう。馬鹿げている、左衛門尉さまはなにをしていやがる、と天才丸は思った。

(やむを得ぬ。蠣崎の兵だけでも止める。)

 暴行略奪を目にすること自体、やはり厭だった。それを自分の預かった郎党がするのを見るのは、耐え難かった。

 天才丸は馬から飛び降りた。悲鳴が漏れ聞こえる家に駆け込み、百姓女にのしかかっている、見知ったアイノ兵らしい背中を鞘ぐるみの刀で思い切り叩いた。

「やめよ。蠣崎の者は浮浪の真似を許さぬ。」

 アイノ兵―たしか弥助と和名を名乗る、よい齢の男だ―は、肩の骨を抑えて転がりまわった。仲間たちが、色めき立ったのがわかる。

 これだけでは足りぬ、と考えた天才丸は刀を抜き、そこにいた他の家の兵たちにもあわせて呼ばわった。

「山手に逃げ込んだ者を追う。ついて参れ。儂は御所さまのご一門にも等しい猶子である。我が命は西舘さま直々と知れ。」

 兵たちを追い立てる。


 次の朝、蝦夷足軽たち五人の姿が蠣崎家からことごとく消えていた。

 覚悟はしていたが、天才丸は自分の顔が青くなるがわかる。じいじどのや千尋丸に、申し訳がたたぬ。じいじどのも驚いたらしいが、話を聞くと、笑ってくれた。

「兵の狼藉を止めるのは、将たる者の役目。……間違っとりゃあせん。それに、蝦夷足軽など、いくらでもまた集められよう。」

(そうもいくまい。)

 幸い、誰もいきがけの駄賃とばかりにものを壊したり盗んだりしてから逃げてはいないようだ、とはわかったが、天才丸は身が縮まる思いしかない。

(あいつらはそこまで気が回るまいが、西舘さまの名を騙ったのもまずかった。)

「余計なことをしたな。」

 と、声がかかる。

「あ、おぬしは残ったか。」

 蠣崎の抱えていた蝦夷足軽の中でも若い、瀬太郎と名乗るアイノ兵だった。天才丸が内心で、最もまともな兵らしいと思っていた男だ。先の戦いでも、挙止動作の戦士らしさがとびぬけていた。

 和名を持っていることからわかるように、蝦夷の風体はあまり残していないが、短弓の技はたしかに受け継いでいる。他の蝦夷足軽のやかましい群れからは、離れていることが多いから、このたびも逐電に加わらなかったのだろうか。

「残るといえば、他のやつらも残ってはいる。……おれは、あんたを呼びに来た。」

 治助は肩を割ったぜ、当分は働けねえ、と瀬太郎は天才丸が打擲したアイノ兵のことを言った。

「そうか。だが、気の毒だとは言わん。」

「あいつには女房子供がいるんだ。」

「……案じるな、と言え。治助の肩が治るまで妻子が飢えぬようには、おれがする。」

「そうかい。直接そう言ってやれ。……だが、あいつらは、あんたを締める気でいる。付いてくるか?」

 天才丸は頷いた。

「あらためて言い聞かせる。蠣崎の兵は、浮浪の真似はしてはならぬ。蝦夷といえども、兵である以上は、物は盗ませぬ。女子どもには手を出させぬ。」

「あいつら……おれたちには、ろくな恩賞もない。それくらい許してくれないのかい。」

「もののふの誇りあらば、当たり前のことじゃ。おれの知る蝦夷島の蝦夷の武辺は皆、さようであったぞ。」

 そう言った瞬間、あっと飛びのいた。前を歩き出していた瀬太郎が、いきなり腰の剣を抜いて、天才丸めがけて振ったのだ。

「シャムのわっぱ。お前なぞに、おれたちの何がわかるか。」

 天才丸も剣を抜いた。

「あるじに向かって、その口の利き方はなにか。」

「なにがあるじか。おれが一言いえば、あいつら、お前なぞが大きな顔をする、こんな家は出ていくわ。もうろく(爺い)さまがどう言おうと、そうたやすく代わりのアイノなど見つかりはせぬ。おれが許さぬ。」

 ほう、と天才丸は感心した。

「見たところ若いのに、お前が蝦夷足軽の頭領格だったのか。」

「親父殿の代から、そうよ。」

 瀬太郎は、どうやらアイノの戦士の家系らしい。刀のぶつかり合う激しい金属音とともに、逆にぱっと身が離れて、またふたりは距離をとった。瀬太郎はふふっ、と笑った。

「……なにが、若い、か。あんたなんかよりも、おれはずっと年上だ。」


「結句、蝦夷足軽どもは蠣崎に残ったのじゃな。」

「天才丸の誠意(じつ)が通じたのでございましょう。」

とは言ったが、さ栄もさほどに甘いことばかりとは思っていない。ただ、ややそれに近いとは思っている。

(瀬太郎とかいう蝦夷には、鬱屈(いぶせさ)があったのじゃ。蝦夷の身では、どれほどのもののふとて、浮かぶ瀬は無い。……若い、風変わりな主人が、それを変えてくれると期待したのであろう。)

(わたくしを使いおって……。)

 さ栄は少し、小憎たらしい。天才丸は意外に抜け目がない、とわかった。


 怒りのあまり剣を振ってしまった瀬太郎と斬り結ぶうちに、お前ほどの腕ならば、武士にもなれよう、とでも言ったのだろう。自分がもうすぐ童形を脱し、出世もすれば、武家への取り立ててやるとて夢でもない、と囁いたに違いない。

 むろん、瀬太郎は子供ではないから、うまい話を信じはしなかった。内心ではかえって新たな怒りが湧いたかもしれない。口から出まかせを言いやがって、と剣を収めて、また鼻で笑ったそうだ。

そして、安心しろ、斬り殺すのはやめた、あんたを締めるのもやめさせるが、治助の薬代だけは出してやってくれ、と言って立ち去ろうとした。

 だが、天才丸はその様子をみて、よかろう、信じぬというのなら、証だてに我がおんあるじである無名舘の姫さまのお顔を眺めさせてやる、と言ったのだそうである。

(わたくしも、悪い戯れに乗ってしもうた。)

 あれはこのたびの戦で功あり、その感状がわりの誉れに、遠くから尊きお姿を眺めさせてやって下さいませ、と頼んできたのに、面白がってつい頷いた。

 だけではない、無名館の屋敷の遠く離れた庭に二人がこちらを臨んで平伏しているのがわかると、この離れの生垣まで手招きし、お声かけまでしてやった。

「瀬太郎とは、そちか。……天才丸より、聞いた。たのもしげなり。」

 天才丸がむしろ慌てふためいていたが、蝦夷の青年は悪びれずに頭を深々と下げた。


(これは御所さまには黙っておいてやろう。いや、天才丸だけではなく、わたくしも叱られる。)

「蝦夷などの不心得、お耳に入れますのも恐縮にございましたが、……。」

「いや、面白い話である。」

「まことに、面白い子がおるものですね。蝦夷島から来た者は、みな天才丸のように面白いのでしょうか。」

「さでもあるまいが……。」

「御意にて。天才丸は、とりわけ賢い子なのでしょうね。玄徳寺さまで四書五経を教わっているようですが、どうやらすでにかなりできていると。御文庫の漢籍も楽に読めているとかで。お歌なども、さ栄などではあまり教えられることがござりませぬよ。」

「さ栄……?」

「松前などというのは余程の僻地かと思っておりましたが、『万葉』や『光る源氏の物語』がちゃんと渡っているのですね。天才丸は、そうした書物なら、あちらで『庭訓往来』をおぼえる傍らに読んだなどと、言うておりました。なにやら、威張って。若紫のくだりが面白いなどと……子供が、『源氏』の若紫のと、あんなもののなにをどこまでわかったものやら?」

 さ栄はころころと笑った。御所さまは目を見張る思いだ。

「それも、蝦夷地で、でござりますよ? 商いの船で上方にも直接につながっているから、さようになるのでございましょうか、言葉すらも、津軽よりもむしろ上方風のところがありそうで。あれの生まれた場所だけに、不思議な……。」

「さ栄、そなた、天才丸の話ばかりじゃな。」

 さ栄は言葉に詰まってしまった。

「よいのじゃ、あの番役がよく勤め、……可愛がってやれるなら、まことによいことじゃ。」

「畏れ入りまする。されど、さほど、……さほどには……。」

 顔に血がのぼるのを感じている。

 御所さまは、口には出さぬが、兄としてうれしい。このはっさい(おしゃべり)ぶり、もとの妹に戻ってきよったわ、と喜んでやりたい。

「父上のおすさび(お気まぐれ)の見立て(思いつき)も、ときに悪しからず。」

さ栄は黙って低頭する。

「長居した。」

 立ち上がったところに、妹は畏れながら、と顔をあげ、

「御所さま。一つお尋ねが。」

「わかっておる。差し出がましい真似は、してやるな。……わかっておるわな、そなたは。」


 天才丸は、ほんとうになんでも姫さまに喋るわけではない。肚に飲みこんだことも多い。

 手柄話をした戦にせよ、瀬太郎はじめ蝦夷兵たちの心服を徐々に得はじめていることにせよ、苦い部分はあった。それを姫さまに伝えるまでもないから、黙っている。

「物見の功は大。」

と、蠣崎家が属する組の頭は、西舘さまの幕僚の一人になり代わったように重々しい口調で伝えた。

「されど、地侍某の調略の真似ごとまでしたるは、如何にも余計であった。」

 身に覚えはある。うまく敵中に潜り込んで野盗たちの人数を掴み、村が一揆のように戦意に充ちているわけでもないのも知った。まんまと突き止めたという昂揚から、つい欲をかいて、村長の地侍に接触までしたのは、出過ぎた振る舞いと一喝されても仕方がない。

「まことに申し訳もございませぬ。じゃが、瀬踏みの意味はいくらかあったかと。」

「天才丸。それについては、聴いたぞ。」

組頭は、畏まる少年を気の毒そうに眺めると、また口調を改めて、

「瀬踏みにはなった。されど、瀬に足をとられていたかもしれぬ。……と、おっしゃったとのことじゃ。」

「誰が?」

「西舘さまじゃよ。……村長の某は、このたびこそ二度転んだから、よし。しかし、討伐近しと知って、野盗どもに注進したかもしれぬ。その裏におるもっと大きな奴ら―大浦じゃな―の耳にも届けて、我らは大軍に待ち伏せされたかもしれぬ。」

 それはそうだが、使いをすぐに送られたし、結局のところ調略できたではありませんか、と言おうかと思ったが、組頭は続けて、

「ひとえに分を過ぎた真似じゃった。さようなことをたれの命もなく行うて、よかったと思うか。」

 天才丸は畏れ入って平伏した。

「……調略に際しては、某の子ども一人と母親を人質に抑えておかれたとのことよ。さような支度がなければ、累代のご領主を一度裏切った者を信用できぬ。さて、それくらいの心づもりがあったか、おぬしに?」

 ますます頭を下げざるを得ない。

「……そういえば、儂もおぬしや蠣崎のじいじどのに、そこまでは命じておらなんだ。叱るのを忘れておった。西舘さまが代わりに叱ってくださったわ。」果報者よの、儂もお前も、と好人物の組頭は笑った。

(果報者か。)

 姫さまのもとにしのんできたあの夜の左衛門尉を思い出して、天才丸は複雑な気持ちになったが、少したって、その某とその一家がことごとく始末され、首を晒されたのを耳に挟んで、また考えこんだ。

「お家の爾後(これから)に差し支えありませぬか?」

 のちの世で言う上層部批判に受け取られるのを恐れて、じいじどのにこっそり尋ねた。

 裏切りはこの乱世の習いであり、それを認め、そそのかし、操ってこその調略ではないか。大浦氏は現に、それをしきりに用いて競合する浪岡や大光寺の領地に食い入ろうとしてきた。村だけではなく、国境の舘の主たちにも働きかけているだろう。一度寝返ったら改心したとて許さぬ、という態度はどうか。

 天才丸の理屈はそうだが、内心では、あの村でかりそめに会った人びとのことを思い出している。「浮浪児」二人を憐れんで食を恵んでくれたのは、村では比較的余裕のある、あの地侍某の家の者ではなかったか。某本人とて、欲得だけで寝返ったのではない様子だった。大浦氏が背後にいたにせよ、凶悪な野盗に村に入られてしまうそもそものきっかけは、領主であるはずの浪岡北畠氏の治安維持の失敗ではないか……とすら思える。哀れではないか。

「天才丸、それは逆であろう。ここで示しをつけておかねばならぬ、……とお考えなのじゃろう。」

「民百姓や砦の守りの者を、ただ畏怖させるだけでようございますか?」

「させねばなるまい。……いまのお家ではな。」

(そこまで追い詰められているのか、浪岡北畠は?)

 天才丸は衝撃を受けたが、長く浪岡北畠氏に仕えるじいじどのには、わかるのであろう。まずは敵の浸透を食い止めるという受け身の発想をとるしかないならば、厳罰主義を示して一罰百戒で締める必要がより高い。

 浪岡北畠氏、とりわけ宗家の繁栄は、二代前の浪岡具永(ともなが)のころにその極にあった。具永の受けた官位職階は従四位下左中将。子、孫の代でも従五位。侍従に任ぜられ公家の位階にあり続けるから、それは別によいにせよ、城内の建物までもその頃に比べれば減っているか、無名舘の姫さまが住む一角がそうだったように空き家同然で放置されはじめている。

 浪岡城は、前時代の主要貿易港であった十三湊の悪い夢のような消滅から久しいにもかかわらず、十六世紀に入っても東の油川湊(後代の青森市)などを通じての北方交易で莫大な富を得てきた。今はそれを守るのに懸命なのであるが、

「おぬしがよく知るとおり……。」

 その交易ルートがしばしば浸食の危機に瀕しているのは、もちろん西津軽の大浦氏のためでもあるが、それに煽られたのか、同じ浪岡北畠氏の一門に御所さまの治める宗家の求心力から離れようとする動きが出てきたためでもある。それが一番厄介なのだ、とじいじどのは自分の住まいの中なのに声を潜めて教えてくれた。

「川原御所さま……?」

 天才丸は、城内で遠望したことがある、御所さまの叔父で、分家を継いだ人物のことを思わず口にした。

(すぐにわかった、北畠ご一門のお顔で、大御所様に似ておられた。)

その北畠具信は、先々代の庶子。断絶していた分家を継ぎ、浪岡城のすぐ隣と言っていい川原に城館を構え、「御所」名乗りを許されている。

「滅相なことを言うでないが、……天才丸、あのお方などはまだよいのじゃよ。」

 若年のさい、兄たる先代との家督争いめいたものがあったが、結局は「川原御所」で満足して身を引いた人物である。その後も衰退した名家の復興に努め、浪岡御所の藩屏としての地位は揺るぎない。甥にあたるご当代との仲も、そんなに悪くはないはずだ。

 だが、浪岡城を構成する舘には、それぞれ分家が居を構えている。北舘こと北ノ御所には岩倉殿、東舘に千君公、と言った具合である。

「西ノ御所、兵の正―西舘さまこそ、実の弟君が継がれたから何の心配もないが、ご一族のお考え、必ずしも儂らのような者にはわからぬ。」

(城内、平らかとも言えぬのか。)

 天才丸は、空き地と空き家ばかりの無名舘に住まわれている姫さまの身が、心配になった。

「……あらぬことを言うてしもうたが、構えて他言無用じゃ。千尋にも、まだ教えんでやってくれ。」

「無論のことでござる。」

「ご当代さまはご名君。今のは年寄りの取りこし苦労。実のところは、何の心配も要らぬ。」

「まことに結構に存じます。」

「おぬしの働きのお蔭で、この蠣崎の家にもようやく陽が当たるようじゃ。ご加増があるらしい。」

 西舘さまこと左衛門尉は街道の掃討戦を進め、東では油川湊への道をきれいにし、北では現在の津軽半島東部にあたる北浜、馬郡といった領地との危うくなっていた連絡を確保した。これらの土地は取り返したも同然であり、戦功ある者は恩賞が期待できる。

 津軽蠣崎の家のひとたちに喜んで貰えるのは、少年にはうれしかった。そろそろおれも、という期待はある。

(所領こそ賜らぬまでも、元服はさせて貰えるのではないか。)

 西舘さまに邪魔をされるのではないか、という少年らしい自己中心的な不安は、いつの間にか消えていた。間接的にとはいえ、左衛門尉の配下で戦火をくぐった経験からだろうか。

 

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