第1話  序 / 松前から来た少年 


「……斬るがよい。」

 さ栄(えい)姫さまが言い放ったので、天才(てんざい)丸(まる)は耳を疑った。近頃すこし聞き馴染んだはずの、無名舘の姫さまの声ではない。

 蝋燭の明かりの陰になって顔色は覗えないが、尋常の表情ではあるまい。濡れ縁から、なにかを押し殺したような低く、冷たい声だけが、少年の控える庭に降って来る。

「たれであろうと、殺してしまいなさい。」

(斬り合いをせよ、と言うのか。)

 番役、ことに今宵は不寝番を命じられた自分の任務は、当然、いざという時の武闘につながるものだろう。それはわかっていた。

 だが、十三歳の天才丸はまだ戦場に出たこともなく、人を斬ったことも、むろん斬られたこともない。

 斬られれば、どうなる。考えると、胴震いがきた。

 姫さまには、少年の怖れが当然わかるのだろう。しばらくおし黙っていたが、天才丸、と低く呼びかけた。

「情けない。おぬし、侍じゃろう。戦って及ばず、斬られれば、それまで。」

(さように、ざっと片づけられては困る。)

 天才丸は内心で悲鳴を漏らした。あの迷い路のように入り組んだ、似たような板塀の武家屋敷が続くだけの城内、北館の小路が、なぜか脳裏に急に思い浮かんだ。ふと気づくと、抜けられぬ突き当りに追い込まれていた気分だ。

「それまで……、にはございますが……。」

「主命を受ければ、命は惜しまぬものではないか。」

「仰せの通りにござる。しかし、よばい……夜にお越しというだけで、このお屋敷に入ってくれば斬れとは。貴いお身のお大事はもっともなれど……。」

「おぬしにはわからぬ。」

 さ栄姫さまの声は冷え冷えとしている。天才丸は、主人の思わぬ冷酷が悲しく、怒りすら湧いた。腹立ちまぎれに、言ってしまう。

「わからぬままで命の取り合いをするのは、ご免にて!」

 しばしの間があった。

「わからぬほうがいい。……いや、わかってしまうがな。」

 明るい月を見あげたようだ。また黙って、ご思案の一瞬があった。

「……そうさな。これでよいか? もしお前が死ねば、わたくしも咽喉を突いて死んでやります。」

「えっ。」

 息を呑んだ。死ぬ、と軽々に口走る者は多いから、それにはたいして驚かない。

 だが、女のその声になにか昏い喜色があるのに気づき、少年はたじろがざるを得ないのだ。

(姫さまは、笑っておられるのか?)




第一章 松前から来た少年


 天才丸の父、蠣崎若狭守季広は、本拠地の蝦夷島・松前で、生涯に男女合わせて三十人以上の子をもった。家の正史にあたる『新羅之記録』に記載されるのは、二十六人。うち男子は十三人である。

 天才丸は三男で、兄二人と同じく正室の子であった。同年生まれの異腹の弟がいる。

 永禄三年(一五六〇年)のこの頃には、長男で蠣崎蝦夷代官家嗣子の舜広二十二歳を筆頭に、正側室が八人の男子を産み、ひとりを懐妊中であった。

 たいていは家の女房だった側室たちのたれかが、膨れた腹を抱えて、居城にあたる松前大舘のごく狭い「奥」を大儀そうに行き来している。ご懐妊とご出産のちょっとした騒ぎが、城内に絶えずあった気がする。

 天文十七年(一五四八年)うまれの天才丸にとっては、幼童だった頃の賑やかな家の景色だ。今ではなにか懐かしく思い出すこともある。

 数え十三歳になっていた。ひとり故郷を離れて、この津軽の浪岡城内にいるのは、そう遠くない日の元服のためだといってよい。

 浪岡城は、広大な陸奥国の最北である津軽の中央、街道と河川の交錯する交通の要衝部にあった。奥州北部で最も尊貴な家系といえる、浪岡北畠氏の本拠地である。したがって、正式に「浪岡御所」と呼ばれる。

そこに蝦夷島の蠣崎家の三男が出仕することになった。


 そんなことを蠣崎家から持ちかけられたのは、浪岡家の現当主で「御所様」とよばれる浪岡具運(ともかず)(顕慶)にとっては、面倒なことに思えた。

「よいではないか。蝦夷も同然の渡党のなれの果ての家もが、浪岡の威徳を慕って、小倅を出仕させたいと来おる。」

「大御所さま」こと隠居した先代の浪岡具統(ともつね)によれば、往古、中華の文明に惹かれて四辺の蛮夷が朝貢してきたのにさも似ている。南朝の功臣北畠親房卿の子孫である浪岡家としては、鷹揚に接してやるべきだというのだ。宿老、取次役といった重臣たちは感心して見せる。

 だが、九代目の御所さまこと浪岡具運は、機嫌よさげな隠居の父の言葉には、内心で溜息が出る思いだ。

(父上はいつも斯様(こう)じゃ。)

 思わざるをえない。先代、具統の位階官職は従五位侍従。堂々たる公家の流れを汲む名家の八代目らしく、教養に富み、敬神敬仏の念が厚い。

 それはいいのだが、この浪岡城を往時の平安京に見たてて周囲に建てられた、たくさんの寺社仏閣の修復や寄進に精を出し過ぎた。そのおかげもあって、領主として必要と思われる蓄えまでが疎かになりかけている。

(商いがこの地に集まり、その繁華ゆえに我らが富貴でいられるのも、治めるべき地を平穏に保てていればこそじゃ。それが危うくなりかけてはおらぬか。)

 まだ三十にもならぬ当主の御所さまとしては頭が痛い。

 この土地のもとの主である安東氏は、津軽からは正式に退いたとはいえ、出羽国秋田から目を光らせている。今はそれ以上に、浪岡のすぐ西隣に、新興勢力の大浦家がひどくうるさい。南津軽にいる大光寺南部氏も、その出方に油断はできない。

 陸奥国に威勢を張ってきた南部氏自体は、この浪岡北畠氏の後ろ盾である。とはいえ、南部氏は大きすぎ、複雑に分かれた氏族の内部には事情を抱え込んで、意外に不安定なのだ。いきおい、広すぎる領地に張り付けて管理を任せたつもりの一族や客将や有力家臣が、知らぬ間に自立的になってしまう。現に津軽ではそうではないか。

 このたび蝦夷島の蠣崎家が接近してきたというのにも、

(父上のように、ご満悦ばかりではおられぬ。)

 蠣崎を累代の蝦夷代官に任じているのは、南部氏の潜在的な敵国とも言うべき秋田の安東家である。ここが面倒であると思えた。

 安東氏はもともとこの津軽の十三湊を本拠に、対岸の蝦夷島までを抑え、「下国安東家」として威勢を誇っていた。南部氏の勢力伸長に押され、いろいろあった末に出羽国秋田に遷った。そのさい、固有の領土とも言うべき蝦夷島の統治権と引き換えに津軽西部を南部氏、さらにその庶家の流れを汲む成り上がりの大浦氏に明け渡す形となっている。

 蠣崎家は、その安東家の伝統的な蝦夷島支配に服している。ある時期から蝦夷島南端、松前に拠って代官職を拝命し、蝦夷武士の筆頭格になった。受領名(朝廷から得た正式の官位ではなく、直接の主君から私称を許されている官名のこと)は若狭守である。

 その蠣崎家が浪岡北畠氏に三男を出仕させるというのは、だから、主家の対抗勢力と誼を通じるのに他ならない。

 北からやってくる昆布、干し鮭、毛皮や唐渡の陶器などと、米や酒、鉄、工芸品のやりとりという交易関係が津軽と蝦夷島には古くからあるとはいえ、政治的にはよほどの考えがなければならぬ。

(主家の安東と、浪岡ひいては南部とを、両天秤にかけようというか。)

としか、思えない。

(だが、なぜそんな大儀な真似を……?)

というのは、育ちのよい御所さまにはもう一つわからないのである。

(いまの蝦夷代官は、先代までと違い、温厚篤実の世評あるが……。)

穏やかな忠義者として主家にも世にも知られる蠣崎季広もまた、蝦夷島を名実ともに我が物にすべしという願いをどこかに潜ませているらしい。

 安東氏からの独立の野望であろう。

 三男を浪岡―南部の勢力に近づけようというのは、遠大なその目標にむけての布石のつもりなのかもしれない。

(あまりに迂遠な布石じゃな。危険でもあろう。蠣崎はあたら倅を喪うだけの“駄目”を打っているのではあるまいか。)

 浪岡北畠氏は、公家の流れをくむ隠れもない名門ゆえに南部氏に推され、津軽の中央部に広壮な城と領土を得て代を重ねた。その宗家九代目当主には、蠣崎家のように素性の知れぬ、おそらく地下から這い上がった家には、よくわからないところがある。かれらが栄進を渇望してあらゆる手を打つのは、考えれば飲み込みはするが、とても実感をもって理解できるものではなかった。

 かてて加えて単純な損得勘定でも、自分たち浪岡北畠氏にすぐに大きな益のあることとも思えないので、気乗りしないのである。

(しかも、厄介が重なっている、このときに……。)


 もう一つ、御所さまこと浪岡具運にとって、ありがたくもない者、まさしく「厄介」(居候)が城にやってくる。

 こちらはいやもおうも無く決まってしまったことであった。消息(女性本人の書状)を目にして、文字通り頭を抱えてしまった。どちらかというと領主としてではなく、若い家長としての憂鬱であった。

 妹の出戻りである。夫との死別にともない、婚家から戻ってくるという。

 個人ではなく家がその地の支配単位である時代だから、これとて政治と無関係ではない。御所さまの同腹の妹で、ことし十九になったはずのさ栄姫が結局、縁づかなかったのは、同じ陸奥国津軽の内で緊張関係にある大光寺家の連枝なのだ。

(嫁いで三年で子もなさずに相手が死によったのは、仕方がない。だが、可哀相だが、さ栄は尼にでもなって、あちらの家に残ってくれてよかったのじゃ。それを、さっさと帰ってくると言ってきよって。)

 外交手段である政略結婚の意味を、妹はわかっていないのか。これでまずは、大光寺家との縁が切れてしまうではないか。向こうがしきりに追い出したがっているというわけでもなさそうだから、翻意させるかとも一度は考えたが、

(いや待て。あれが、こちらに戻ってきたがるとは、意外な……。)

 そう思い当たると、よほど大光寺の水が合わなかったのかとも気づいて、そこは血を分けた、しかも同腹の妹だけに哀れにも思える。もとより、本人にとってうまくいくはずもない婚姻であったのか。

(じゃが、帰ってきて、どうする? もう憂いはないか?)

「いま、蠣崎というのはなかなかに羽振りがよいとも聞くが」

「さ栄のことは、いたし方もござりませぬが。」

「……?」

「ご無礼申し上げました。つい別のことに思い当たってしまいました。」

「いや、たしかにさ栄も戻るのであったな。あれには台所飯を食わせておくわけにはいくまい。」

「蠣崎の倅とても、なかなかそうもいきますまい。元服前でなんの役にも立ちますまいが、どう扱ってやればよいものやら。」

「元服させてやらねばならぬのか。」

 老人は急に吝い顔つきになった。

 近年、蠣崎季広は蝦夷島に原住の有力アイノ部族との和睦を成立させ、蝦夷交易が安定した。そのおかげで、急に裕福になりだしたようだ。そんな家が出仕を頼んでくる以上、なにがしかの挨拶があり、こちらにもそれなりの実入りが期待できると踏んでいたのだ。

 ところが、やってくるのが元服前の子供と聞いたとたん、いくらかの些細な出費以上に、無駄飯食いを背負いこむのは損だという思いになった。精神的吝嗇というものであろう。生活の苦労はさほどなく、むしろ浪費家のきらいのある者にこそ、これは時々見られる。

 渋い表情で少し考えると、老人は、そうじゃ、と手を打たんばかりに、

「その者、さ栄の従者につけてはどうか。あれの乳母だけでは不便であろうから、番方(警固役)としてつけてやれ。」

「子供にございますよ。」

「この心やすい(安全な)城内で、姫の番方くらい勤まるであろう。」

(ほう、心やすうござるか。)

「それも勤まらぬようなら、蝦夷島に帰してしまえばよい。」

「……御意にて。」

(さほどに簡単なものではなかろうが、……手間を省けはするか。)

(それに、あれのためには、ほんの子供か余程の年寄りかをつけてやったほうがよいのかもしれぬ。まともな侍では、あれの気が休まらぬやも知れぬ。)

 もう四年もたったが、と御所さまの具運は、父親に知らせていない過去の事件を思って、暗い気持ちになった。

(そうじゃ、あいつ。いましめて(注意して)おかねばならぬ。)

 父親が席を外すのを待ちかねたように、弟を呼ぶように命じる。すでに控えているだろう。別件があり、それは大したことではなかった。

 大御所さまが、またご寄進に精を出している。それも、息子の渋い顔をはばかってか、今はすっかり老耄して寝たきりに近い、「四位さま」こと先々代の具永の名を使っている。

 これ自体どうかと思えるが、ところが弟はそれにまた金を工面してやったらしい。悪いお癖をおつけすることになるゆえ、親孝行を感心ばかりはできぬぞ、と釘をさすつもりだった。 

 それだけのはずだったのだが、もっと人の耳をはばかる話もせねばならぬ。人払いのために、茶室で会うことにしていたのは幸いだったと思った。

 

 蠣崎家三男、天才丸は、くりかえすが、数え十三歳になったばかりである。

 雪が溶けるのを待って、まだ荒い海を渡ってきた。

 やっとの思いで海峡を越えて津軽外ヶ浜の湊に上陸し、夜明けを待って出立する。一日がかりの行程になる。うねうねと曲がる下野切通りと呼ばれる街道を南下し、川舟を経て、羽州街道と東西の幹線というべき大豆坂街道の交点に位置する玄徳寺の門前まで辿りつくと、城はすぐ間近である。雪を残した檜皮吹きの大屋根がいくつも見えた。

「義兄上、浪岡のお城は大舘よりも随分大きい。」

「それはさようでござりましょう。」

 浪岡家への使者でもある南条廣次が頷いた。蠣崎家の重臣で、天才丸の姉、すなわち蠣崎家長女あやめの夫でもあるから松前ではたいそうな者だが、こうして日没近い街道を数少ない主従で行く姿は、出没する野盗を警戒してことさらにいかめしくしたはずの侍姿なのに、行商人の一団のようにしか見えない。

「天才丸さま、あれこそが浪岡御所。浪岡北畠さまは、公方さまと同じく、天子さまから御所名乗りを許されておられる。」

「知っております。おやかたさまよりも、随分とお偉い。」

「天才丸さま、その『おやかたさま』じゃが、たれのことです。」

 南条は少し心配になって尋ねた。

 蠣崎家の中では最近、当主の季広を「おやかたさま」と呼ぶようになっている。公方―将軍家から「屋形」名乗りを許されるような家では到底ないから、これは思いあがった僭称もいいところだ。南条のような硬骨の士からすれば、「殿」の身辺に増えたおべっか使いどものはじめたことだが、近ごろは季広長女である自分の正室までもが実父をそう呼ぶ。定着してしまった。

 とはいえ、れっきとした「檜山屋形」である秋田安東家の人間が、そう松前大舘に出入りするわけでもなく、あくまでうちわのことでもあるし、「舘(たて)」を「やかた」と読み替えてそう呼んでいると弁解もできなくない。

 だが、南条がときどきひやりとするのは、安東の「お屋形さま」の篤実な忠臣を画に描いたような季広本人までが、自分への「おやかたさま」呼びを受け入れはじめていることだった。あきらかに、分を超えた大志が、主人の中には眠っている。それはよいにせよ、ひょんなことで他人に露わになってしまってはならないだろう。

 主筋のこの義弟はひどく賢い子だが、なんといっても世間知らずである。念を押しておかないといけないかもしれない。

「義兄上。ご心配めさるな。父上のことではない。」

(案じずともよかったか。)

 南条はほっとしたが、ではどなたです、と訊いてみた。

「秋田は檜山屋形におられるお方ですよ。」

「天才丸さま。それで正しい。じゃが、しばらくはもう一つ心にとめられよ。……と儂が言ったら、おわかりですかな?」

 天才丸は馬上で、暗くなりだした空を瞬時眺めたが、やがて頷いた。

「安東さまのお名は、ここでは忘れよう。問われぬ限り、口に出さぬようにする。」

(聡い子じゃ。安東さまと浪岡さまは、もとは敵にもあたる間柄。そこに自分が預けられる意味をよくわかっておる。頭の中身だけなら、もう元服させても早すぎはせぬ。だが、……)

 まだ育っていない、ひょろひょろと細い義弟の身体を眺めながら、南条はふと涙が出てくるのを覚えた。

(母者が恋しいと泣く歳ではないが、やはりまだ大人になりきっていないではないか。これからこの子が、他人の家の飯を食う身になる。ご三男ゆえ、生涯、そのようになるやもしれぬ。)

「義兄上は、いつまで浪岡にお留まりか?」

(ほら、もう寂しがっておる。)

「ご挨拶のお役目はすぐに済みましょう。が、せっかくここまで来たのじゃ。噂に高い浪岡御所やお寺を拝めるだけは拝んで、できれば、ゆるりとして帰りとござるな。」

 南条らしくもない呑気な答えを返してやると、少年の顔が輝いたように見えた。この長姉の夫を、天才丸は家中で最も武家らしいひとだと尊敬している。強く、それがゆえにやさしいのが、少年らしい理想だ。

 その人と、しばらくすると長い別れになるのが、今からつらい。

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