わたしは信じていたものにとても裏切られた気分なんですが……
「ところで――」
数日後、野営を終えて出立の準備を整えていたリリムは頭を抱えていた。
「わたしは信じていたものにとても裏切られた気分なんですが……」
「…………?」
二百人とはいえ、軍隊を動かすには兵站が必要である。この前の日もバットリーの街から野営地に物資が届けられた。
その日の物資には大量の水と薪が含まれており、皆は湧いた。風呂に入れるからだ。
その時、風呂に入るか入らないかで大騒ぎしていた一団がいたことは理解していたのだが……。
「まさか、女の子だったとは……。〈魔王因子〉があってもわからないことって、あるのですね……」
リリムの前で首を傾げてハテナマークを出しているその『白髪の少女』。
彼女こそがコロシアムでリリムと対峙し、リリムを乗せてヴェパルの屋敷まで跳んだ、リリム最初の従者、『灰色の狼』こと七百七十四番であった。
彼は彼女だったのだ。薄汚れた奴隷の格好でいたために誰も気づかなかったが、風呂に入れられてその灰色の髪は汚れを落とされ輝く白髪になり、女の子らしい愛らしい顔が現われた。
ちなみに、彼女を風呂に入れたのはバットリーからやってきた兵站の一団の女衆だ。彼女たちは最初から彼女が少女だと知っていたらしい。リリムとしては不覚であった。
今も首をかしげる七百七十四番を見て、いずれ女の子らしい格好をさせてやらねばと自分自身も奴隷服のままであることを棚に上げて思うのであった。
「ところであなた」
「はい、リリムさま」
「その……今さらだとは自分でも思うのだけれども……お、怒らないでくださいね?」
「…………?」
少女は先ほどと変わらず頭上にハテナを浮かべている。
「わたし、あなたのお名前、まだ知らなくて……。教えてくれますか、あなたの名前?」
「なまえ……?」
「そう、名前。あなたの名前」
しかし、狼少女は首をかしげている。リリムは自分を指さして、
「わたしは、リリム。あなたは?」
少女の方を指さす。
すると、少女は、
「ボクは、二百二十四番」
確かに、コロシアムでは『二百二十四番』と呼ばれていたことを思い出した。
「いや、そうじゃなくて……。もっと他の名前はないの? みんなからは何と呼ばれていたの?」
リリムの問いに対し、少女は首を振った。
「なまえ、ない。ボク、なまえありません」
「えっ……!?」
「リリムさま、ボクに、なまえください」
「名前を……?」
「はい。ボク、なまえほしいです」
「えっ? いいの?」
「はい。リリムさまの付けたなまえなら、ボクうれしいです」
少女はコロシアムの待機部屋では見せたことのなかった笑顔を今、リリムに向けている。
これで期待に応えないのは女が廃るというものだろう。
リリムは少し考え、伝説に残る狼の名を思い出した。そこから一部を拝借することにする。
「フェン。あなたの名前はフェンですよ」
「フェン……」
狼少女はゆっくりと噛みしめるように新しく付けられた自分の名を口にすると、年相応の子供らしい笑顔になり、
「はい! ぼくは今日これからフェンです。よろしくお願いします、リリムさま!」
嬉しそうにリリムの腰に抱きつくフェンに、復讐にささくれ立った心の奥が少しだけ癒やされたような気がした。
烹炊隊が朝食の準備が整ったと呼びに来るまでのしばしのひとときであった。
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