頼む。最後の願いだ

「もう大丈夫ですよ。すぐにお屋敷に連れて帰ります。そうすれば――」

 リリムと呼ばれた女の言葉にアガリアレプトは力なく頭を振った。


「いや、もう……無理だ。自分……でも……わかる」

「そんな事言わないで、諦めないで!」

 感情を露わにするリリムをたしなめるようにアガリアレプトは優しく微笑んでみせた。


「それよりも……これを……」

 アガリアレプトが残る力のすべてを振り絞るかのように右手を挙げた。リリムは両手でそれを握る。


 その瞬間、アガリアレプトの右手から何かがリリムの中に入り込んでくるのを感じた。


「これは……?」

 アガリアレプトは顔に耳を付けなければ聞こえないほどの小さな声でリリムだけに話す。


「〈魔王因子〉だ」 

「〈魔王因子〉? まさか……!」


 〈魔王因子〉とは、初代魔王・サタン一世がその身に宿したと言われる魔王の証であり、代々の魔王が継承されていたとされる。比類なき力と膨大な知識、魔王にふさわしいカリスマ性を継承者に与えるとされているが、それは――


「伝説の存在だったのでは……」


「現にこうして存在している。おれはお世辞にも力を使いこなせているとはいえないが……」

「何をおっしゃいますか! ならばなおさら生きて帝国のため、人々のために魔王になるべきではありませんか!」


 リリムはアガリアレプトの手を強く握るが、アガリアレプトの手からはどんどん体温が――命が吸われていくのがわかる。まるで晩餐の間の床にアガリアレプトの命が吸われていくかのように。


 リリムはアガリアレプトの身体を強く抱きしめた。そうすることによって身体から魂が抜けていくことを防げるのではないか、そういう浅はかな考えで。


「さっきも言ったとおり、おれの命はもう長くはない。わかるんだ。〈魔王因子〉は知識を与えてくれる。それが君に継承せよと囁いている……」

「そんなもの、いりません! わたしには殿下が、アガリアレプト様がいらっしゃるだけで――」


「頼む。最後の願いだ」

「……………………」


 その能力から常に自信満々で時には傲岸不遜ですらあるこの主から出た『頼む』の一言はリリムに衝撃を与えた。


 拒めるはずもない。


「帝国は――この世界は腐りきっている。魔王家と、それに群がる貴族達がすべてを支配し、それ以外の者は搾取されている。下層階級であったり、弱かった者は虐げられ、死を待つほかない。このような……うっ!」


「もう喋らないで!」


「リリム、世界を頼む。世界を――変えてくれ。君が嫌なら誰か他に信頼できる……いや、ダメだ。君がやるんだ。〈魔王因子〉は――いや、おれはそれを望んで――」


 アガリアレプトがそこまで言った所で不意にリリムの身体が持ち上げられた。


「な、何を! 放してください!」

 リリムは近衛の屈強な男達に羽交い締めにされ、アガリアレプトから引き離される。


 気がつくと、アガリアレプトのきょうだい達が周囲を取り囲んでいた。

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