第46話 冷たい太陽
黒魔子のデータをスキャンしたマオーバの残党は、そのデータを手に逃亡を図る。
奴らを逃すわけにはいかない杉村光であったが、乗っていたスクーターから飛び降りてしまっているので、自力で追いつくにはもう距離が開きすぎてしまい、こうなると後方からの指示に徹するしかない。
鍵を握るのはスクーターにまたがる一文字真子だ。
自分のことは自分で解決するという、わかりやすい構図になった。
「あのミニバンを止めて!!」
もはや小さい粒にしか見えない黒魔子に全力で叫ぶ杉村光。
黒魔子ならこの距離でも聞き取れるだろう。
杉村光は部下たちへ的確に指示を飛ばして周辺の道路を封鎖し、ミニバンを完全に孤立化させ、囲い込んだ。
こうなることは敵も覚悟の上、それでも絶対に包囲網を突破しようと信号無視を繰り返し、爆走状態で川に架かったアーチ型の橋を渡ろうとする。
黒魔子のスクーターは限界に近い速度でミニバンの後ろを走っているが、敵の車も相当な魔改造が施されているらしく、距離が縮まらない。
この状況に耐えられないのが桐山美羽であった。
「あの~、追っかける必要があるのは承知してますけど、どうにかして私だけ降りられません!?」
新幹線状態のスクーターから強引に下車すれば骨折間違い無しだから、黒魔子にギュッとしがみついて歯を食いしばるしかない可哀相な素人。
「……」
降ろしてあげたいのはやまやまだが、ここで止まってしまうと追いつくのが難しくなってしまう。
相手が事故るか、ガス欠でもしてくれないと追いつけない状況だから、ここで止まるわけにはいかない。
しかしそれを言葉にすると、正体がモロバレになってしまう。
これだけは避けたい。
だから黙って走るしかないわけで、これではさっきのマオーバの連中が桐山にしたこととほとんど変わりがなかったりもする。
しかし黒魔子にはプランがあった。
彼女の耳は、既に自分がいる周囲の状況を完全に把握している。
シルヴィがどこを封鎖したか、何人の関係者がいるか。
いきなり道を閉ざされてイライラしている人達の声、お腹すいたと騒ぐ子供たちの声、何が起きたんだと囁きあう大人たちの声。
無論、敵の声も黒魔子は拾っている。
転送まであと5分。
奴らは追いつけない。
もっと飛ばせ、急げ。
興奮と焦りと期待と不安が入り交じり、狂気じみた叫びが車内で飛び交っているのがわかる。
そして獅子の咆哮のような爆音がこっちに近づいていることも。
「なにあれ……」
桐山美羽が呆気にとられるのも無理はない。
大神完二がハーレーにまたがって橋の向こうから迫ってくる。
両手にショットガンを持った手ぶら走法。
普段はしていないサングラスもしっかり装着していた。
「ターミネーター……?」
思わず呟いた桐山美羽。
「いえ、スーツを着てるから、あぶない刑事ではないかと」
「ああ、舘ひろしが得意なやつで、劇場版でやたら観る……」
「今再放送してるから、影響されたんだと思う」
「面白いもんね。タイトルがみんな二文字……、って、あれ、その声?」
「あっ」
つい言葉が出てしまい、口を塞ぐ。
黒魔子がとうとう自爆したとき、大神が豪快にショットガンを発砲した。
重く鋭い一撃を浴びたフロントタイヤは原形をとどめないくらいバーストし、制御を失ったミニバンは片輪走行となり、やがて横転した。
「はははは! 見事なもんだろ!」
豪快に笑う大神。
「お膳立てしてやったぞ! お前の力を見せてみろ!」
黒魔子を指さして挑発する。
「あの、やっぱり……」
すぐそばにいる謎の黒づくめが誰なのか、核心に迫る桐山美羽であったが、黒魔子はスクーターを止めると、黒い煙を吐き出すミニバンに単身、近づいていく。
「あ、危ないよ!?」
桐山美羽が呼び止めても黒魔子は歩くのを止めない。
横転したミニバンのスライドドアがゆっくり開き、中から男が一人、また一人と這い上がってくる。
皆が同じ紺色のジャージを着込み、大きなマスクで顔半分を隠していた。
近づいてくる黒魔子に気付くと、痛んだ体を押さえながら拳銃を構え、黒魔子に照準を合わせる。
しかし黒魔子はスマホを見ながら、ただまっすぐ歩いている。
敵を見ようともしていない。
「このバケモノが……」
激しく息をしながら銃を構える男たちに、黒魔子のデータをスキャンした党員がある秘密を明らかにする。
「頬だ。頬を狙え。そこだけは人と同じ。奴も死ぬ」
「わかった……」
男たちは呼吸を整えながら、狙いを一点に絞る。
一方、黒魔子はスマホの画面に夢中だ。
愛しい人から、メッセージが届いていた。
何よりもそれが最優先である。
「勝ったよ」
その短い文字だけで黒魔子の口は緩む。
心の中がふわっと和らぐ。
この温もりを一生感じていたい。
さらに琉生はもう一つメッセージを送っていた。
「校長から伝言。
車の中のパソコン壊せ。緑のカプセル気をつけろ。
頑張って」
「ありがとう、琉生くん」
大好きよ。と口を動かしたあと、黒魔子はついに走った。
敵に向かってではなく、道路の端に向かってスライドするように走ると、巨大な橋のアーチを命綱もなしにトントンと駆け上がっていく。
「なっ!」
予想外の動きに動揺した残党たちは一時停止してしまう。
彼らもかつては科学者だったから、目の前の改造人間の出来の良さに見とれてしまったらしい。
何という美しき躍動だろうと。
それは桐山美羽も同じで、驚くべき身体能力を見せつける黒ずくめの姿に圧倒された。まるで後光が差していると思うくらい、その姿に釘付けになった。
人間離れした脚力とバランス感覚でアーチを登りきると、黒魔子は一番高いところから、迷うことなく飛び降り、横転している車に急降下する。
かなりの高所から飛び降りたのにもかかわらず、着地するなりすぐ立ち上がって、車内へ。
「まずい!」
きびすを返して車に戻っていく残党員。
彼らにとって命よりも大事なデータがそこにあったのだが。
ぐっちゃぐちゃになって現代美術のモニュメントみたいになったノートパソコンが車の外に放り投げられる。
それを見た途端、膝を突いて倒れ込む党員がいたくらいだった。
「なんてことしやがる……!」
怒りのあまり車に向かって銃を連射する男。
何もできず、呆然と立ち尽くす男。
そして銃口を自分のこめかみに付ける男……。
車内から飛び出た黒魔子はその男に飛びかかり銃を奪い取ると、その過程で強烈な肘うちをかましてダウンさせる。
あとの男たちは抵抗する様子を見せない。
銃を取り上げ、スクーターのキャリーに入っていた結束バンドで両手の指を縛り、動きを封じる。
「派手なやり方、見事でございますこと」
皮肉たっぷりに杉村光がやって来る。
その後方には大勢の部下たちも集まっており、持っていた電子手錠で男たちを拘束しようとするが、
「世界に安息を」
「マオーバに栄光あれ……つ」
そう呟いた残党員が身をよじって、隣にいた党員の腕を噛もうとする。
一瞬気でも狂ったかと思いきや、そうではなかった。
「悪いけど、薬はここにある」
黒魔子はそう呟いて、杉村光に緑色のカプセルを手渡した。
その姿にがく然としたのは桐山美羽である。
「まさか……、死ぬつもりだったの?」
驚く桐山の肩に杉村が手を置いた。
「企みが上手くいってもそうしたでしょうね。どのみちこいつらに居場所なんかないんだから」
「……」
今まで知ることのなかった世界を始めから終わりまで見るはめになった桐山美羽。ただ呆然と立ち尽くすことしかできない。
それでも桐山美羽と相田李衣菜への強盗事件から端を発したマオーバ残党員の企みは、関わった七人すべての逮捕によって幕を閉じた。
彼らがすべてを賭けて手に入れようとした黒魔子のデータは結局、他の残党員には伝わらず、世界はひっそり救われたということになる。
「なぜ死なせなかった」
党員の一人が護送車に乗る直前、黒魔子に問いただした。
「私達を憎んでいるだろう? なぜ殺さなかった? なぜ薬を奪った?」
「私にとって今日は大切な日になったから」
黒魔子は彼に言った。
「つまらない人死にで、今日を台無しにしたくなかっただけ」
「そうか……。どうやら君は随分とまともに育ったようだ」
男は笑う。
「だが逃れることはできない。博士は気付いたぞ。きっとな」
嘲笑う男の背中を大神がドンと押した。
「さっさと連れて行け」
そして大神は黒魔子をじっと見る。
「あんたも行け。協力に感謝する」
その言葉に一文字真子は小さく頷き、シルヴィたちから離れていく。
「あ、あの!」
桐山美羽が駆け寄ってきた。
「助けてくれてありがとう……」
「……」
多分、もうバレてしまっただろうが、沈黙は守る。
しかし桐山美羽は言った。
「私、絶対言わないから」
「……」
黒魔子は聞き取れないくらいの小声で「こちらこそ」と呟くと、ヘルメットをかぶってスクーターに乗って去って行った。
「って、それ私のなんだけど、ちょっと!」
杉村光の叫びだけがやけに騒々しい夕方である。
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