第15話 貴島優子の秘密
「そう、私が漫画家になろうと思ったのは・・・。」
貴島さんはのっぺりとした巨大なタワーマンションの前に立っている。なんだか悪役の住む居城のようである。空はどんよりと曇っていて今にも雨が降り出しそうだ。高層階のあたりは雲に覆われている。あそこに七星あかりが居るのだ。
彼女はアマゾンの配達員の格好をしてマンションに忍び込む。
「アマゾンです。お届けにあがりました。」
「どうぞ、上がってきてください。」
七星ひかりの声だ。彼女は国民的スターとしては案外不用心だなと思った。
エレベーターで20階まで上がる。彼女はお届け物の段ボールをしっかりと握りしめている。彼女はこれまで生きる為に散々悪い事をしてきたが、そんな彼女の人生においても敵陣に踏み込むのは初めての経験だ。クラッキングや盗聴ならいざ知らず、今回は自分の命がかかっている。下手したら誰にも知られないまま消されてしまうかもしれない。まるで害虫のように。だがこれ以上前澤を放っておく事はできない。彼女は覚悟を決める。
最上階から2階分下にある部屋が七星ひかりの自宅だ。インターフォンを鳴らす。
「お届けにあがりました。アマゾンです。」
しばらくして扉がゆっくり開く。「あ、ありがとうございまーす。」控え目な様子で七星ひかりが出てくる。水色のワンピースを着て、マスクとサングラスをしている。
その瞬間、貴島さんは家ネズミの様に室内に滑り込む。素早く扉を閉め、そのまま鍵をかける。七星ひかりは部屋の中へ逃げ出し、スマホでどこかへかけようとする。貴島さんがスマホを手ではたき落とし、足で踏み潰す。
床に倒れたまま、子鹿のように狼狽える七星ひかりに対して、貴島さんはキャップを取り、七星ひかりに正体を明かす。
「あ、あなたは・・・!」
「前澤先生のアシスタントの貴島です。お久しぶりです、七星さん。」
貴島さんは部屋を見渡す。彼女らの他には誰も居ない。だだっ広く殺風景なフローリングの部屋である。居間にテレビとテーブル、椅子がある。キッチンには冷蔵庫も食器もない。貴島さんは七星ひかりが普段どうやって暮らしているのか気になった。部屋の一番目立つ所に、大型テレビ程の大きさの絵が飾ってある。ぼろぼろのぬいぐるみを抱くゴシックな感じの少女の絵だ。どことなく七星ひかりに似ている。
「あ、あなた、どういうつもりなの!」
「七星さんこそどういうつもりなんですか?あなたの真意を直接伺おうと思いまして。あなたがパラレルユニバースと繋がっているのはもう分かってるんです。前澤先生の人間関係を滅茶苦茶にして、あなたはどうしたいんですか?」
「そっか・・・・。ふふふ」
「あ?」
「あはははは、ははははは、あはははは!」
「何笑ってんだよ。」
「理由があったとして、あなたにそれを答えると思う?」
貴島さんはお届け物の段ボールを開け、そこから怪しく黒光りするものを出す。それを七星ひかりに向ける。
「M1911コルトガバメント。拳銃の中でも殺傷能力の高いものです。闇サイトで拾いました。これをあなたの胴体に撃ち込めばあなたは高確率で死にます。主導権は私にあるのをお忘れなきよう。」
「つまり私を殺しにきたのね。前澤さんの為に。」
「あなたの答えようによっては。」
七星ひかりはゆっくりと立ち上がり、落ち着いた様子で椅子に足を組んで座る。銃を向けられたままで。
「確かにパラレルユニバースを使って、前澤さんの人間関係を壊そうとしたのは私よ。まあ私のスマホとか、色んなパソコンにハッキングして情報を漁ってたあなたには自明の事だろうけど。パラレルユニバースとは昔からの付き合いでね。私実は純粋な日本人じゃないのよ。カンボジア人と日本人のハーフなの。」
「関係のない事を喋るな!」
「撃ちたいのなら撃てばいい。」
彼女は七星ひかりの銃に対しても引けを取らないくらい強い視線に少し狼狽えてしまう。まるで孤高な虎狼のようだ。
「私カンボジアで小さい頃すごい貧乏でね。お母さんは売春宿でいつも金持ちの日本人の相手をさせられてた。私だって成長すれば、そういう事をする様になるのだろうと自然に思っていた。それが運命の歯車が狂って私は日本一のアイドルになった。笑えるでしょう?」
七星ひかりは両手を組んで指を弄んでいる。彼女は目の前の死を恐れない、その余裕な態度にイラついていた。
「実は私の父親と思われる男が、パレレルユニバースの組織の重役だったの。重役の肉親というスキャンダルで私はその組織の重要人物になり、それを利用してここまで上り詰めることが出来たというわけ。面白いでしょう。」
「あんたはこの場で一番重要な事を話していない。あんたの真意は何?」
「それは答えられない。」
イラついていた貴島さんはついに堪忍袋の緒が切れる。
「じゃあ、ここで死ね!」
彼女は七星ひかりに向けて、銃のトリガーを思いっきり引く。だが弾が出ない。セーフティも外してあるし、コッキングも済ましたのに何故?
七星ひかりの口にうすら笑いが浮かぶ。彼女は手を2回叩く。
パン、パン
「もう出てきていいわよ!」
風呂場やクローゼットに隠れていた、黒いスーツを着た三人の男が出てくる。彼らは貴島さんを、家畜を扱うかのように思いっきり地面に押し付け、銃を回収する。
「何で銃が撃てないか、あなたは不思議でしょうね。実はね、あなたが銃を買ったそのルートに私達も関わっているのよ。あなたの行動の先読みをしてね。そのルートの途中で、銃の内部にちょっとした部品を噛ませて、撃てない様にしたってわけ。銃の試し撃ちをしておくべきだったわね。少し手を加えるだけで、この銃みたいにメカニズムというのは簡単に壊れる。人だってそうなのよ。」
「畜生!ここに私を連れてくるのが目的だったと?」
「私には生まれつき人を動かせるカリスマ性がある。組織力がある。小手先だけのあなたとは違うのよ。」
貴島は悔しかった。用意周到な自分の行動がここまで読まれていたなんて。上には上がいて、自分は孤独な小手先だけの人間だったのかと苦虫を噛みしめた。
「次はあなたが語る番よ。なんでそんなに前澤さんに肩入れするの?口が聞ける間に答えてくれる?」
「誰が答えるか、このビッチ!」
「私、聞き分けのない子は嫌いよ。」
七星ひかりはポケットから小さな拳銃を出す。
「あなたの拳銃と違って、これは弾が小さいからあまり殺傷能力は無い。だけれども苦痛を与えるだけにはちょうどいい代物よ。」
七星ひかりはマンションに銃声が響かないように、まるで淡々と料理をするかのように、銃にサイレンサーをくるくる取り付ける。
「さあ、耐えられない程痛くならないうちに答えてもらえるかしら。」
「クソッ・・・。・・・・・前澤先生は私の恩人だからだよ。」
貴島さんは語り出す。それまで誰にも話したことのない、昔の前澤との思い出を。
15年前、貴島さんは中学生だった。粗雑に積まれた本や雑誌、放っておかれて埃だらけの家具や調度品に囲まれて彼女は育った。彼女の父親は元々ジャーナリストだったが、自分をクビにした上司の鼻を明かす計画、正確には妄想だが、に明け暮れ、彼女に構ってくれず、彼女を放置しろくな食べ物も与えなかった。いつもどこかへ出かけているか、パソコンの前に座っていた。彼女はいつもお腹を空かせ、ガリガリで、食べられる雑草を地面に見つけては、それを無造作にとって食べた。髪は自分で切るのでボサボサの短髪で、いつもくたびれた男用のTシャツを着ていた。時々コンビニで万引きもした。何度かそれがバレ、家に連れ帰られては父親に跡がつくほど殴られた。彼女にとって人生が苦しいのは当たり前のことだった。釣り上げられた魚が、地上で口をぱくぱくして苦しむ映像をテレビで見て、彼女は自分の様だと思った。私の場合は生まれ落ちた世界の中で、それでも怖くて死ねないのだが。彼女にとっての世界はいつも白黒で、味気なかった。
近所では外を徘徊するガリガリの子供が居るという噂で有名だった。土下座して食べ物を恵んでもらう事もあった。児相に通報されたりしたが、殴られた跡が服に隠れるような巧妙な位置にあったのと、父親がニコニコする娘を横目に丁寧に対応するので、問題なしと見做され保護されなかった。何より彼女自身が保護されるのを嫌がった。学校や学童保育の様な所が退屈で嫌いだったし、その頃は、少なくとも父親の事を愛していたからだ。
ある日、彼女が近所を徘徊していると、ゴミ捨て場に漫画雑誌が見開きで落ちていた。彼女はその扉絵に釘付けになった。これまでも何度か落ちていた雑誌を拾い読みしていたが、その絵にはこれまでにない魅力を感じた。斬新で、現実と幻想が混じっているかのような作風に魅了された。あまりに魅力的で、白黒の漫画に色がついている様にさえ思えた。作品の名前はガールズリフレクションといった。作者は前澤友作というらしい。
内容は呪われた魔法少女が、友人の死や貧困などのリアルな困難を通じて成長していくという、辛くてあまり一般向けとは言えないものだった。でもリアルな不幸を知っている彼女はその魔法少女と自分を重ね合わせた。困難を通じて強くなっていく魔法少女に勇気をもらった。それからは毎日、そのゴミ捨て場に通い、捨てられた漫画雑誌を拾って読むのが彼女の辛い人生の唯一の楽しみになった。毎週毎週、まるで街角で恋人と待ち合わせをするかの様に。
「お父さん、私将来漫画家になりたい。」
「お前の人生なんだ。好きにすりゃあいい。俺は今忙しいんだ。くだらない事で話しかけるな!」
父親は相変わらずパソコンの画面に向かっていて、娘には一顧だにしなかった。彼女には、後ろから見ると自分の父親は何も言わないし、何もしてこないお地蔵さんみたいに見える。そのまま何もしてこなければいいのに。
彼女には夢が出来た。漫画家になって一人でも多くの私のような子供に勇気を与えたい。彼女はノートの切れ端に漫画の様な落書きを描きはじめた。だけど、本当に漫画家になるにはどうしたらいいのだろう?彼女は前澤に直接会いにいく事を決意した。父親が外出している間に彼の財布からお金を抜き取り、それで東京の都心まで電車を乗り継いで行った。前澤の仕事場は都心のボロいマンションの一室にあった。彼女を最初に応対したのはアシスタントだった。
「私、前澤先生のアシスタントになりたいんです!」
「君、絵は描けるの?何歳?」
「14歳です・・・。」
「それじゃあまだバイトもできないじゃないか・・。もっと成長してから正式に申し込んでくれ。」
前澤のアシスタントが貴島さんを門前払いしようとした時だった。
「わざわざ来てくれた読者をそんなに邪険に扱う事ないだろう、俺が相手するよ。」
奥の部屋から20代の頃の前澤が出てきた。「こんにちは、作者の前澤です。」
出てきたのは地味なポロシャツにチノパンという格好で、眼鏡をかけ、小太りなうだつの上がらなさそうな男だった。だが貴島さんにとってはまるでスーパースターだった。
憧れの人を目にして、全身の汗腺が大きく開いたかのような高揚感があった。
「私、ガールズリフレクションの大ファンなんです!前澤先生、私を弟子にしてくれませんか!!雑用でも何でもします!」
「う〜ん、君はまだ年齢が足りないからなあ〜。でもありがとう、君漫画家を目指してるの?」
「はい!前澤先生の漫画が好きで、私にもあんな作品が描けたらなって。」
「そうか、そのうち君も僕のライバルになるのかもしれないね。・・・・ふふふ、僕の漫画を読んでくれてありがとう。」
「私、お礼なんて言われる様な人間じゃないです、それに本当はライバルにもなれないです。貧乏だし、臭いし、髪もボサボサだし・・。何の取り柄もないし。」
「そんな事言わないで。君が何者でなくても、君は尊いんだよ。誰の魂だって平等に尊いんだ。それを忘れちゃいけないよ。僕も頑張るからさ、君も頑張れ。・・・・ところで、拳を上げてくれないか?」
前澤は彼女の拳に自分の拳を合わせる。
「いつか君が成長して、僕のライバルになった時にまた会おう。期待してるぜ!ライバル!」
彼女は話終える。
「私がその言葉にどれだけ救われたか・・・。」
話を聞いていた、七星ひかりが噴き出す。
「プッ、アハハハハハ、キャハハハハハ!ばっかじゃねえの、ククク笑える。」
「何が面白い!」
「キャハハ人間が平等だって、馬鹿みたい。頭の中お花畑なのね!あんたは本当の地獄を知らないのよ。さて、もう聞くべき事は聞いたし、あなたは晴れてお役ごめんね。しばらく表の世界からは消えてもらうわ。」
七星ひかりは彼女の太ももに銃弾を撃ち込む。
「ギャアッ・・・・。」
「痛いでしょ。希望ではなく、苦痛こそがあなた自身なのよ。さようなら。」
七星ひかりの居るタワーマンションから雲がどき、部屋に夕日が差し込む。まるで私達の人生で、時々新しい希望が顔を覗かせる時のように。
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