第14話 目を逸らしてきた事のツケ
前澤は仕事に没頭していた。周りのアシスタントは以前より仕事熱心な前澤に感心していたが、彼は田中さんの嫌味を忘れる為にがむしゃらになっているところがあった。実は自分が彼女から嫌われていた事、もしかしたらアパートの皆からも?でも仕事を辞める訳にはいかない。仕事もなかったし貧乏だったけれど、お互いに切磋琢磨して足りないものを補い合っていたあの頃には戻れないのだろうか。楽しかったなあ。しかし山田さんから不可解な電話があって、前澤は現在のアパートから目をそらし続ける事ができなくなった。
「前澤先生、私この前宇宙人さんに会いましたよ。」
「え?そうなの?どうして?」
「宇宙人さん、前澤先生がパラレルユニバースに騙されているんじゃないかって心配してましたよ。」
「またその話?大丈夫だって、七星さんが保証してんだから。」
貴島は周りを注意深く見回す。
「前澤先生、あのですね。もうこの際だから言ってしまいますけど・・・。」
前澤と貴島の二人は12月の午後の街中を仕事場に向かって歩いていく。街にはすでにイルミネーションが飾られ、人々は暖かい部屋に向かって蜃気楼のように足早に過ぎ去っていく。
「そういえばこの前山田さんから変な電話があったな。パラレルユニバースは詐欺集団じゃないかって。」
「そうですよ。前澤先生、奴らはね・・。」
その時彼の携帯が鳴る。
「はい、前澤です。」
「警察ですが、前澤友作さんの携帯で、間違い無いですね?」
「け・・・警察!?」
彼は冷や汗をかいていた。なんだがこれまで目を逸らし続けてきたことの、ツケを払わされるのではないかという様な気がしていた。
「先週、輪島俊則さんが、交通事故に遭いまして、彼の携帯の連絡先にあった番号にかけた次第です。」
最初、輪島俊則が一体誰なのか、彼はわからなかったが、昔一度だけ聞いたことのある宇宙人くんの本名だった事を思い出した。
「こ・・・交通事故!?」
彼は仕事場に行くのを辞め、アパートの近くにある総合病院に向かうことにした。
「貴島さんは仕事場に行って!僕は病院に行くから!宇宙人くんが交通事故に遭ったって!」
「私も行きます!」
「え?貴島さんも?」
「私も宇宙人さんとは友達なんです!」
彼らは電車を乗り継ぎ、病院に着くと、病室までかけていった。周りの患者やナースが驚いていた。彼は嫌な予感で浮き足立っていた。足がもつれて何度か転んだ。病室の扉を開ける。
「宇宙人くん!」
そこには、一番角のベッドで、窓から外の景色を眺めている宇宙人くんがいた。宇宙人くんが振り返る。
「宇宙人くん!大丈夫??」
宇宙人くんは頭に包帯を巻かれて、右腕にはアームスリングが取り付けられていおり、腕を骨折しているのがすぐに分かった。それなのに鶏の様にキョトンとしている。次に彼は宇宙人くんから発せられた言葉に驚く。
「おじさん、誰??」
「え!?」
「初めまして、僕は輪島です。おじさんは誰ですか?」
あれ程自分の本名を嫌っていた宇宙人くんが・・・。
「残念ですが、記憶喪失だそうです。」
彼らが到着したのを聞いて警察官がベッドの脇に駆けつけてくる。
「1週間前に、有隣荘のすぐ近くで、車に轢かれたと思われます。彼を轢いた車は特定したのですが、犯人は車を乗り換えていったらしく・・・。今付近の監視カメラを総出で調べています。」
「早く、特定してください・・・。」
「おじさんは前澤さんというのですか?初めまして、輪島です。」
宇宙人くんが握手を求めてくる。前澤はそれに応える。頭がうまく働かない。貴島さんも混乱している。前澤は警察からの簡単な事情聴取に付き合っていた。
「やあ、前澤くん、久しぶりだね!」
前澤が振り返ると、見覚えのある人物が居た。
「大家さん!」
そこには久々に会う、有隣荘の大家さんが居た。長身で、眼鏡をかけていて、短髪の白髪である。歳はもう50を超えてそうだ。筋骨隆々というわけではないが、その身体は芯が通っていて、仏像のような確かな安定感を感じさせる。姿勢が良いのだ。黒いタートルネックに黒いジャケットを羽織っていて、全身黒づくめである。彼は定期的にアパートに来て、住人の様子を観察したり、彼らの現状の報告を聞いたりするのが趣味の一つの様だった。人の成長を見るのが好きらしい。
「この病院にはカゲローさんもいるよ。彼この前自殺未遂をしてね。まだ頭が混乱している。会いに行くかい?」
「自殺未遂!?ええ!?何で?」
「直接本人に聞いてみたらいい。案内しようか。」
彼らは大家さんに連れられて、カゲローさんが居る病室へ向かう。後ろで宇宙人くんが手を振って見送ってくれる。
「さようなら、前澤さん。さようなら。」
病室に着くと、カゲローさんがベッドに寝ている。彼は眠っている様だった。
「カゲローさんは、僕が有隣荘に行った時に、たまたま橋から川に飛び込もうとしていた所に遭遇して、助け出したんだ。」
「大家さんが?」
「冷たい川に飛び込んで、高齢だから、一時期は危なかったんだよ。今は命に別状はないってさ。」
「良かった。」
その時カゲローさんが薄く目を開ける。
「少年か?」
「カゲローさん!前澤です!」
カゲローさんは前澤から目を背ける。
「大家さん、何でここに少年を連れてくるんだ。」
「え?」
「いや、だって、友達だろ君ら?」
「友達、友達ねえ、ハハハ。」
前澤はカゲローさんの冷たい態度に驚く。まるで田中さんみたいじゃないか。
「どーせ俺にはもう残り少ない余生でこれ以上出来ることはないんだ。少年は勝手にどこかで漫画でもバンドでもしてれば良いじゃないか。俺にはもう無関係だね。どっかへ行ってくれ。」
「パラレルユニバースですか?」
貴島さんが話に首を突っ込む。
「そうだよ。パラレルユニバースが俺に現実を見せてくれたんだ。俺は目覚めたんだ。だから俺はあそこで死んだ方が良かったんだ。みんなこの部屋から出ていってくれ。今すぐ。」
三人は病室から出る。前澤は二人の態度に面食らっていた。正直もう仕事場に戻って、何もかも忘れたい誘惑に駆られた。リセットしたかった。だが彼は自分の知らない所で、何かが進行していた事をもう知ってしまった。もう目を逸らすことは許されない。正体は分からないが、それはまるで自分の影のように、いつの間にか裏から自分を支配しようと試みている様だった。
「大家さん、一体何が起きているんですか?山田さんは?田中さんは?」
「山田さんは書き置きを残して失踪してしまったよ。君宛のもある。読むかい?」
「ええ?失踪??」
そこには前澤に対する恨みつらみが書かれていた。
前澤くんへ。君は知っていたのかい?パラレルユニバースが僕の事を騙していたことを。僕はたくさんの借金を作ってしまった。彼らが何の為に僕を騙していたのかは分からないけど、君もその片棒を担っていたんだろうね。君は有名になって、お金持ちになって、貧乏な僕らを忘れたくなったのかな。いじめたくなったのかな。いいなあ前澤くんは努力が報われて、みんなから認められて。 いいご身分だよね。自分は高みにいて、僕らを助けているなんて、善意のふりをして、後から僕らを見捨てるなんてさ。もう君とは関わり合いたくない。さようなら。
前澤は泣きたかった。自分の知らないところで、自分が悪者になっていた。
「田中さん!?田中さんは今どうなってるんですか??」
「アパートに居るよ。会いに行くかい?」
三人は大家さんの車に乗って、有隣荘へ向かう。
「貴島さんと言ったっけ?君はさっきパラレルユニバースと言っていたけど、それについて何か知っているのかい?」
「あ、はい、私の知っている範囲で言えば、パレレルユニバースは詐欺集団だと思っています。」
前澤ももうそれに反対する気は起きなかった。七星ひかりのことも信じられなかった。
「ふふ、実は僕はね、実は昔パラレルユニバースで働いていたんだ。」
「!そうなんですか!」
「だから君の話にそんなに違和感は抱かない。僕だってそんなに褒められた事はやってこなかったからね。芸能界の大体のあくどい話はパラレルユニバースがらみだ。業界の汚れ役って事だね。」
前澤はさらに核心が深まった。その事を七星ひかりに確認しなくちゃいけない。
前澤は一人で田中さんの部屋の前に居る。扉をノックするのに少し勇気がいる。けれどももうそこから目を逸らす事はもう許されていない。
「すみません、前澤です。田中さんいますか?」
しばらくしてから、扉が開く。
「前澤くん?久しぶり。さあ、入って入って。」
部屋は綺麗に整頓されている。というか殺風景である。彼は部屋の真ん中にあるピンク色の椅子に座らされる。彼女はいつもの地味な感じではなく、ピンク色のフリフリのドレスの様なものを着ている。変な違和感を覚えた。
「コーヒー居る?前澤くん。」
「いえお構いなく・・・。」
彼は彼女が存外自分を嫌っていないことに安堵する。
「前澤くん久しぶり。最近お仕事の方はどう?」
「ぼちぼちやってるよ。」
「すんごい儲かってるんじゃない?映画化もされた事だし、今貯金位くらいくらいあるのよ(笑)」
「映画化ってそんなに儲からないんだよ。一作品で500万円くらいさ。」
「そうなんだ。それでさ・・・。ちょっとお金貸してくれない?10万でいいからさ。」
「え・・・。お金?」
そこで彼は彼女の目がまるで飢えた犬のように血走っていることに気づく。
「もう私仕事をクビになっちゃってね、パチンコに行く為のお金もないのよ。買い物に行く為のお金も。たまには美味しいお寿司が食べたいし、お酒だって飲みたいし、パチンコにも行きたいし?ね?お願いよ?」
彼女が彼の身体に絡みついてくる。
「一発抜いてあげようか?」
「やめてくれ!!」
彼は彼女を突き飛ばす。彼女は惚けている。
「大家さんから聞いたよ、田中さんがパラレルユニバースから借りたお金で散財して、その後会社のお金を前借りして、それでクビになったって。もうやめよう!依存症みたいになってるよ。」
彼女の顔がみるみる赤くなり、凶暴な獣のような表情になる。
「家族にも見捨てられて、仕事もクビになって、私に恥をかかせて、40代の私にこれ以上何が出来るっていうのよ!どうせ漫画で何千万も稼いでいるんだから、ちょっとくらいお金を恵んでくれてもいいじゃない!前澤くんはいいなあ、恵まれてて、世間からチヤホヤされて、お金もあって!もう二度とこのアパートには来ないでくれる?部外者に出入りされると迷惑です!」
彼女が家具や調度品を前澤に投げつけてくる。
「や・・・やめて田中さん!」
「出てけ!出ていけこの野郎!二度と帰ってくるな!」
彼は彼女の部屋から命からがら逃げてくる。 共有スペースに大家さんが居る。
「やあ、どうだった前澤くん。」
前澤はこれまでの人生で感じた事の無いような怒りを感じていた。こめかみには青筋が走り、全身の筋肉が軋んでいた。自分の居場所が、何者かによって壊されようとしている。もうそれは自明の事だった。
「今から七星さんに会いに行きます。パラレルユニバースの事を問い詰めないと。あれ?貴島さんは?」
「彼女は寄らなければいけないところがあると言って、行ってしまったよ。」
「寄らなければならない所?」
「その後でいいけどさ、前澤くん、一緒に旅行に行かないかい?」
「旅行!?こんな時に何言っているんですか?」
「いやこんな時こそ息抜きが必要かと思ってね。七星ひかりの事がもっと良く分かる旅行ツアーさ。元パラレルユニバースの社員の解説付きでね。」
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