第10話 Case1 田中さんの場合

「12月の27日に大家さんがまた来るらしいよ」

 田中さんは共用スペースでカレンダーをめくっていた。そこには山田さんとカゲローさんと宇宙人くんも居た。山田さんはコーヒーを飲み、カゲローさんはアコギの練習、宇宙人くんはたまたま立ち寄ったのだった。

「えー、何しに来るんだろう、久々ですよね。」

「またお互いの近況の報告会かね。わざわざそんな事をせんでもお互いに勝手にやってればいいじゃねぇか。」

「まぁまぁ、カゲローさん、それだとこのアパートの存在意義が無いじゃない。」

「まぁ皆さん、報告会までそれぞれがんばりましょう。」

「そうだね。頑張ろう。」

 皆それぞれの仕事に戻っていった。

 翌日、田中さんは自転車でのんびり仕事場へ向かっていた。ぽかぽかとした陽気で、最近肌寒くなってきた中、彼女はちょっと気分が良かった。

「この前は前澤くんに強く当たってしまったな、前澤くんもあれから顔見せないし、謝りたいな…。でも…。やっぱり前澤くんのことを考えると自分がちっぽけに見えて嫌になる。」

 彼女はパラレルユニバースの二人のことを思い出す。

 一緒に異世界にいきましょう!貴方にはまだまだ無限の可能性がある!

 私達に相談してくれれば、資金面でも応援しますし、お仕事も紹介しますから!

「異世界、異世界ねぇ、本当に私を受け入れてくれる異世界なんてあるのかな。」

 彼女は会社へ向かう。

「田中さん、こういうのじゃないんだよ!」

彼女はゲーム会社のオフィスでゲームディレクターから叱られていた。

 本田というゲームディレクターは27歳という若さで抜擢された若手のホープで、多少うぬぼれてる感がある。彼はよくゲーム雑誌やネット記事で紹介されているくらいには有名で、髭を生やしていていつも偉そうだ。腕には最新のスマートウォッチをつけていて、スマホも最新トレンドの何十万とするやつだ。

 オフィスでは10人くらいの社員がパソコンに向かって仕事をこなしている。高性能そうなパソコンの他には観葉植物くらいしかない、殺風景で綺麗なオフィスだ。

「前にも言ったよね!このゲームは低年齢向けなの!!何度同じこと言えば分かるの!?あなたの頭の中は空っぽで筒抜けなの?」

「でも低年齢向けといったってリアリティは必要だと思います。私子供いるから分かりますけど、子供にだって、自分が子供扱いされてるかどうかくらい分かります。」

「あーあー、もうあなたの意見なんて求められてないんだよ!俺がゲームディレクターなの、それであなたはキャラクターデザイナーなの!あなたは俺の言う通りのコンセプトに従ってれば良いんだよ、責任取るのは結局俺なんだから!」

 周りの社員は二人を気にすることなく、黙々と仕事をしている。

「あんたを拾ってやったのは俺なんだからさ、少しは俺の言う事聞いてくれよ、ここクビになったら、他に行くとこないんでしょ!」

「………。」 

 終業時間になる。

「お疲れ様でーす。」

「お疲れ様でーす。」

「これから飲みに行かない?」

「いいね!」

度々ゲームディレクターと問題を起こす田中さんは他の社員から距離を置かれていた。

「お疲れ…様です。」

彼女は一人で帰路につく。

「この歳でやっと掴んだチャンスだから…。無駄にはできないよね…。あの子達も喜んでくれたし…。さ、スーパーの半額になる時間に間に合わないと…。」

 人気のない道を自転車でスーパーまで急いでいると、ポイ捨てされた空き缶で転んでしまう。

「きゃあっ」

 彼女は自転車ごと道路に投げ出され、自転車はガタガタに壊れてしまう。幸い多少擦りむいたくらいで大きな怪我は無かった。

 彼女は転んだその瞬間、我慢していたことの、堰き止めていた感情の全てが溢れ出してしまった。泣きながら呆然と立ち尽くしてしまう。

「もうやだ…もうやだよ…。」

 彼女は壊れた自転車を引いて、アパートに帰る。テレビをつけると、前澤の特集番組がやっていた。テレビを消してリモコンをテレビに向かって投げつける。

 翌日、彼女はパチンコ屋に向かっていた。やめていたタバコも再開し、路上で吸いながら向かった。

「よっしゃーきたきたきた!リーチ!」

台をバンバン叩きながら奇声をあげていた。

「うるさいよオバチャン!」

「誰がオバチャンだこんにゃら〜」

 彼女は景品交換所で仮面ライダーのベルトのおもちゃ7000円分を交換してもらう。

「あの子達、喜んでくれるかな。」

 彼女は小学生の息子達のもとへ向かう。息子達と元夫は都内のちょっとした一軒家に住んでいる。元夫は彼女に比べ稼ぎの良い仕事をし、再婚している。だが彼女は少ない稼ぎを子供達の養育費として払っているのだ。自分が子供達から忘れられない為に。

「よっ健太、涼太、元気してた?」

「どうしたの母さん、急に来て…。」

「今日お父さん居ないって聞いて…。はい、プレゼント!」

「こ…これって…。」

「あんた達欲しがってたでしょう!、おみやげよ!仲良く使いな!」

「わぁ嬉しい!ありがとうお母さん!」

「僕にも貸してよ、兄ちゃん!」

 彼女は嬉しかった。自分の子供を少しでも満足させられることが。それが自分の放埒のごまかしだとは薄々気づいていたとしても。

 彼女は機嫌よく踊るようにアパートに帰る。

「こんにちは!田中さん、調子はどうですか?」

玄関でパラレルユニバースの二人が話しかけてくる。

「あ、まぁ、絶好調よ!」

「そうですか、何か金銭的に入り用でしたら言ってください。支援させていただきますので。」

「そうですか、それって用途とか細かく審査されるんですか?」

「いいえ、支援のお金を何に使うかは、クリエイター本人に委ねる事になっています。」

「そうですか、じゃあ…。」

 彼女は彼らから受け取った3万円を握りしめてパチンコ屋に向かう。

「よっしゃーまたまたリーチ!」

「ウルセーぞ、ババァ!」

「誰がババァだこんにゃろ〜!」

 それから彼女は、パラレルユニバースから貰った軍資金で休日にパチンコに行ったりスーパーやショッピングモールで爆買いしたりするようになってしまった。

「どーせなら高いお寿司でも買っちゃお、おいしい日本酒も一緒にね。あ、この包丁かわいい!高いけど買っちゃおうかな。」

 そんなある日、彼女がショッピングに行こうとすると、ドアの前に山田さんがいた。

「あの、田中さんにお仕事を頼みたいのだけれど、代金を払うからウチの骨董品店のマスコットキャラクターを考えてくれないかな?」

「ええー…。今ちょっと忙しいんですよ。お金にも困ってないしね。悪いけど他の人に頼んでくれません?」

  彼女が行こうとすると、宇宙人くんもやって来る

「田中さん、もう散財するのやめましょう!パラレルユニバースに騙されてますよ!」

「は?どこで知ったの?……気持ち悪い!うるさいわね、あたしのプライベートまで入ってくるんじゃねえよ!」

 山田さんはその乱暴な態度に驚いていた。

 彼女は山田さんの居る前で、宇宙人くんに強くあたってしまって、恥ずかしくて申し訳ない気持ちになったが、そんな気分もショッピングで火星か何処かへ吹き飛んでいってしまった。

 1週間後の午後、彼女が子供のもとへプレゼントのおもちゃを届けに行くと、家から元夫が出てきた。久々に会った夫は、健康そうな身体に、きちっとした雰囲気、清潔感があって、彼女は今のだらしない自分に比べ、まるで上流階級の貴族の様だと思った。彼の後ろに二人の息子たちが隠れている。

「最近子供達が色んな物を持っているから、問いただしたら、あなたからもらったってな。パチンコの景品かこれ?あんたがパチンコで散財して、家計を逼迫してたこと覚えてないの?どこからそんなお金出てんだよ。」

「うるさいわね!今は自分のお金でやってるから問題ないでしょ!偉そうに言わないで!」

「もう二度と来ないでくれ。子供に悪影響だから…。」

「ちょっ待ちなさいよ!!健太!涼太!」

 戸を閉められる。彼女が戸を叩いても、もう誰も反応してくれることはなかった。

 彼女はアパートに帰り、迷子になってしまった子供のようにパラレルユニバースの二人を探す。

「なんでこういうときに限っていないんだよ!徳井さん!爽田さん!なんでぇ…。」

 共用スペースで彼女を見つけた宇宙人くんが話しかけてくる。

「もうあの二人は来ないですよ。騙されてたんです僕らは。」

「お金まで支援してなんで消えるのよ!何のために!」

「それはその…。わからないんですけど…。」

「ばか!」

 彼女は翌日会社に向かう。

「あのーすみません、山里さん、給料の前借りってできませんか?」

 管理職の上司の山里さんは大きな哺乳類のような温厚な中年男性で、いつも田中さんの相談には親身になってくれる。

「一週間帰郷するんです。親戚の葬式があって…。」

「そうですか、ではお支払いしましょう。気をつけていってらっしゃい。」

 翌日、彼女はやっぱりそのお金を持ってパチンコ屋に向かう。彼女はもう息子達に会えないのかと思うとやりきれなかった。そのやりきれなさを放埒でごまかそうとしていた。

「よっしゃー!図柄揃ったー!」

「うるせーっ!バカヤロー!」

「お客様、店内ではお静かに願います。」

 一週間が過ぎまた会社に行くと、山里さんと本田がオフィスの入口に立っている。

「田中さん、残念だよ。」

「社員から密告があってね。あなたが休暇の間パチンコ屋に居たところを見たって。」

 彼女は真っ青になる。

「それは、その…。」

 他の社員は3人を気にすることなく黙々と仕事をしている。

「今日でクビです。さようなら。」

「本当に残念だよ田中さん…。」

 オフィスからクスクスと笑う声が聞こえる。

 彼女はふらつきながらアパートに向かう。もうだめだった。お金もないし、ちっぽけどころかもう自分には何も残っていなかった。

 やっぱりアパートにパラレルユニバースの二人は居ない。

 ベッドに横になる。もう何もする気が起きないし、考えられなかった。涙さえ出なかった。

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