第8話 異世界からのお誘い
「先生、背景のお城の資料はどこですか?」
「僕の後ろの本棚の上から二段目の一番右、世界のお城百景の26ページ、ノイシュバンシュタイン城でお願い!」
「了解です。」
「先生、ここのスクリーントーンの濃さは…。」
「ああ、もう君の裁量に任せるよ!他のページと比べて違和感のない感じでお願い!」
前澤はアシスタントに指示を出しながら、次の話のネームを考えていた。彼は週刊連載がこんなにきついものだと思わなかった。(ガールズリフレクションは月間連載だった。)ネームのアイデアは湧いてこないし、作画もままならないのに、締切という名の断頭台が一週間ごとに、体感的に物凄い速さで迫ってくるのだ。そのせいで一日たりとも気が休まらないのだった。
彼は漫画制作に当たって、都内の他のアパートに部屋を借りていた。壁には大きな本棚があり、様々な資料や漫画が所狭しと並んでいる。部屋の真ん中に5つのデスクが並んでいて、アシスタント達が作品を完成させる為に分業でカリカリと音をたてながら働いている。部屋にはそれ以外の物はなく、そんな余裕は無い。彼は貴島さんを含め5人アシスタントを雇い、交代で寝ることでなんとか原稿を脱稿させていたのだった。貯金はアシスタントへの給料や資料集め、家賃などで目減りしていった。彼には担当編集者の佐伯さんがまるで自分のスケジュールと寿命を握ってる死神のように見えるのだった。
前澤がひさびさにスマホをチェックすると、ラインの通知が何件か来ていた。
「先生、七星ひかりって、あの七星ひかりですか?」
「貴島さん、横からスマホ覗かないでちょうだいよ。」
アシスタントが全員こっちを向く。
「………っ。そうだよ。あの七星ひかりだよ。」
先日のアフレコの後、彼は個人的に七星ひかりと付き合うようになっていた。ラインを交換し、たまに誘われて二人で出かける事もあった。彼にとってはまるで娘のようで、そんな女の子に慕われるのは心地よかった。不思議と下心は湧かないのだった。彼女も実際に会ってみると最低限、1ファンとしての領域からははみ出してはこなかった。
「まぁ、主人公の声優なんだから、なんらかの関係が出来るかもとは思ってましたけど、気をつけてくださいね。今の時代ラインも安全じゃないんで。」
「なんか、彼女今からここ来るみたい。」
「え!?」
ピンポーン、ピンポーン
その時、玄関口のベルが鳴った。
貴島さんが恐る恐るインターフォンに出る。
「前澤ですが…。」
「七星ひかりです、前澤先生の仕事場ですか?」
他のアシスタント達がみんな扉の方を向く。
インターフォン越しに見る彼女はお忍びで来たのかマスクをし、深々とキャップを被っていて地味な格好をし、顔が見えないものの、貴島さんはなんだか彼女の身体から異様な後光の様なものがさしている気がした。
「どうします、先生…。」
前澤は他のアシスタント達からの期待の眼差しを感じる。
「いいよ、入れてあげて。」
扉が開く。七星ひかりがキャップとマスクを取る。
「こんにちはー!、お仕事中お邪魔します!七星ひかりです!」
その瞬間、なんだかこの部屋に居る全員が部屋全体が少しばかり明るくなったように感じたのだった。気のせいかもしれないけれど。
「七星さん、いきなり来られても困るよ。」
「でも前澤さん何度連絡しても反応ないし、この間いつでも仕事場に来ていいって言ったじゃないですか。」
「まったくもう……。」
「あの、サインもらってもいいですか?」
「あ、おいちょっとは遠慮しろよ。」
「あ、いいですよ。なにさんっていうんですか?」
「でへへ、…山田です。」
七星ひかりの前にサインを求めるアシスタントの列が出来ていた。七星ひかりがニコっと笑えば周りに星が散り、少しでも腕を動かせば王女様の付き人のようにみんなが気を使う。この部屋を、空間を七星ひかりのカリスマ性が支配していた。いくら仕事が忙しくても、この部屋に居る全員が七星ひかりの訪問を許してしまう雰囲気が自然に出来ていた。
貴島さんだけが、警戒するかのような目で七星ひかりを睨んでいた。
「あ、女の子がいる!」
彼女が貴島さんの方に寄っていった。
「はじめまして、七星ひかりです。私のこと知ってます?」
「はい、知ってますよ。私テレビよく見るんで。」
「うれしい〜、私引き子の神隠しの大ファンなんです!、こんなかわいい子が描いてたなんて知らなかったなぁ〜!」
彼女は貴島さんの手を掴み、胸の前でブンブン振る。
「あなたとは仲良くなれそうです。よろしくお願いしますね!」
「はは、どうも。」
七星ひかりは手土産の自作のお菓子をみんなに振る舞い、アシスタントから仕事場の説明を一通り受けた。彼女は飼い主に懐く小動物の様に、常に色々なことに興味を持って、うきうきしていて可愛げがあって、コチラから話をしたい気持ちにさせた。前澤は流石人を楽しませるプロだなと思った。
「前澤さん、明日の予定忘れないでくださいよ、ラインに音沙汰がないから、直接来たってこともあるんだから!」
「ああ、忘れてない、忘れてないよ。そう…。七星さんの誕生日だもんね!」
アシスタント達が前澤に羨望の眼差しを向ける。
「じゃあみなさん、さようなら!私1ファンとして皆さんが描く漫画を応援してますので!とっても楽しかったです!ありがとうございました。」
皆が玄関口まで七星ひかりを見送るなか、貴島さんと前澤の2人は部屋に残っていた。
「先生ちょっといいですか?」
「ん?」
「先生、あの人気をつけたほうがいいですよ。私と同じ匂いがします。あと、彼女何か隠し事をしてますよ。」
「ええ!?二人は全然違うタイプに思えるけど…。」
「忠告はしましたからね。」
翌日、前澤は七星ひかりとの待ち合わせ場所に行く。都心から少し離れた、寂れたベッドタウンといった趣の街である。かつてはこの街も地方出身者から憧れの的だったのだ。映画館に、遊園地、大手スーパーに、先進的なアパート。今は寂れたショッピングモールが街の中心にぽつんとある、古い団地とそこに住む老人達の街になってしまっていた。
「前澤さーん、こっちこっち!」
彼女はこの街ごと計画的に作られたであろう、整然と並んだ古いアパートの前で、柄物のワンピースに麦わら帽子を被り、こちらに手を降っている。気持ちのいいくらいの秋晴れだった。
「七星さん、その格好目立たない?」
「むしろ人混みに入る時はサングラスとかかけてると目立つんですよ。自然体でいたほうがいいのです。」
2人はその街の寂れた遊園地に向かっていく。それは東京の外れにあるのに、東京アミューズメントランドという大層な名前で、そしてあと一年で閉園してしまうということだった。彼は何でディズニーランドとかじゃなく、誕生日にこんな郊外の遊園地に来たのか甚だ疑問だった。
「私の思い出の場所なんです。前澤さんは異世界って信じますか?」
「異世界?」
「だって前澤さんは異世界転生物を描いてるじゃないですか。」
「まぁね。信じてはないなぁ。」
「私、昔ものすごい貧乏で、小さい頃に初めて連れてきてもらった時、ここは私にとっての異世界だったんです。前澤さんにもそんな異世界を知ってほしくて…。今日は付いてきてもらったのです!」
「七星さん、昔貧乏だったんだ…。」
「だから今でもどこかに異世界があるんだと信じてるのかもしれないです。」
「そうなんだ。ふふふ、今日は勉強させてもらいます。」
入り口でチケットを買うとウサギのマスコットのきぐるみを着たキャストが声をかけてくれる。
「夢の国へようこそ!現実の世界を忘れて、楽しんでいってね!」
あと一年で閉園だというのに園内は閑散としていた。入り口にある大きな広場にはベンチでお弁当を広げる親子が2組と1組のカップルと老人の集まりがいるだけだけだった。ここも周りのベッドタウンとあまり変わらなかった。
園内にはジェットコースターやお化け屋敷、モノレール、メリーゴーランドなどがあったが、どれも廃墟なように古臭く、所々塗装が剥げていて、錆びていてなんだかもう閉園しているかのような印象を受けた。
「ジェットコースター乗りましょう!」
彼女が勝手知ったる庭のような感じでエスコートしてくれる。
学生時代、暗澹たる青春を送った彼は人生で初めてジェットコースターに乗るのだった。
ジェットコースターのレールは錆びていて、乗り物も古臭く、少し傾いてるのもあったりして、彼はこんなので事故にならないか心配だった。
「ほんとにこれに乗るの?」
乗り物は左右にガタガタ揺れながら動き出す。
「まだ死にたくないよ俺は…。」
「大丈夫ですから!心配性だなぁ…。」
彼は乗っている間ものすごい風圧とGでもみくちゃだった。
「うばばばばは!」
「キャーッ、」
彼女は散々な彼を横目に、まるで無邪気な少女のようにジェットコースターを目一杯楽しんでいた。
「前澤さん、ジェットコースターに乗る時はキャーッて叫ぶのがセオリーなんですよ。」
「ごめんそれどころじゃ無かった。おえええええ。」
「次はあれ乗りましょう!」
二人はメリーゴーランドに乗る。
よくある感じのメルヘンで古臭いメリーゴーランドは、二人が隣同士の馬に乗ると、めんどくさそうにのろのろと動き出し、退屈な音楽が流れ出す。
「これ楽しい?」
「楽しいですよ、メリーゴーランドを楽しむコツはね、浮世のことなんか全部忘れて、この円の中の世界に集中することなんです。好きな人の顔とか見ながらね。」
彼女が彼の手に自分の手を乗せて、不安げな顔でこちらを見る。二人の目が合う。その顔は年相応の女性というよりも、まるで小さな少女の様だった。
そしてその手は大人の女性の相手を誘惑する為のものではなく、か弱く震える小さな少女の手だった。
彼が微笑みかけると、彼女が少し笑う。くるくると回る円の中で背後に流れ行く蜃気楼の様な風景と、退屈な音楽と、ふたりの時間が流れていた。そこは二人だけの異世界だった。
「異世界は誰でも幼少期にあるんです。でも大人になるにつれて、現実と異世界の間に壁が作られてしまうんだと思うんです。そしてそのうち異世界があったこと自体を忘れてしまう。」
「そうだね。僕も童心に帰って楽しめたよ。君のおかげだ。」
「また会ってくれますか?こんなこと前澤さんにしか打ち明けられなくて。」
「もちろん、いつでも頼ってくれて構わないよ。」
その同時刻、薄暗い自室で貴島さんがスマホと向かい合っていた。彼女の前にはまるで植物の根のように張り巡らされた配線と、高スペックそうな自作のパソコンと、横に3台並んだ煌煌と光るディスプレイがあり、そのディスプレイの一つが、前澤のスマホ画面を映し出していた。
「やっぱり嫌な予感がする。彼女は要注意人物ね。」
彼女は前澤の携帯を傍受していたのだった。
その頃有隣荘では宇宙人くんと田中さんとカゲローさんが共用スペースで談笑していた。
「少年は今日も本業の方かな。」
「前澤くん、忙しそうですよね。」
「ユーチューブに上げた少年と一緒に作った曲の反応がいいんだよ。そのことを報告しようと思ったんだがな。」
「そうなんですか?フォローしたいから、アカウントの名前教えてくださいよ。」
「あのーすみません、…」
3人が振り返るとそこにはまるで仮面を被っているかのような笑顔が張り付いた、白いタイルのような歯を爛々と輝かせる黒いスーツの男と女が立っていた。
「あなた達は異世界を信じますか?私達にあなた達をプロデュースさせてもらえませんか?」
「異世界?」
「なんですかあなた達は?」
「前澤先生からの依頼で来ました。株式会社パラレルユニバースの徳井と申します。」
彼が名刺を渡してくる。
「私達の会社は様々なクリエイターのプロデュースを行っておりまして。是非このアパートの有望な皆様がたをプロデュースさせていただけないでしょうか?」
「前澤くんの依頼?」
「まぁそれなら…」
宇宙人くんは何も言わず、二人の訪問者を睨みつけていた。
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